大童法慧 | 法話
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
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法話




2月 04日 心得

先日、急用のため、新横浜から広島に向かう新幹線に飛び乗りました。 新大阪に到着した時のこと。 不意に前の座席から、金髪で鼻にピアスをした若者から、「あの~、すみません」と声をかけられました。 「何ですか」と応じると、彼はこう言ったのです。 「座席を少し倒してもいいですか」 正直な話、まさかそんな言葉を聞くとは思いませんでした。 そして、自らを省みて、飛行機でも新幹線でも座席を倒す時、その言葉をかけることを忘れておりました。 だから、彼に対して「ありがとう。どうぞ。」と答えました。 彼との出会いは、それだけです。 でも私は、「ああ、こういう所だな」「こういう命の使い方を心得ておかなければならないな」と教えられました。 そういえば、新幹線が停車するたびに、乗り換えのご案内とこんなアナウンスが流れています。 「お降りの際は、お座りになられました座席のシートをもとに戻すのに御協力ください」 停車する駅ごとに、このアナウンスが入る事を考えれば、おそらく徹底されていないのでしょう。 座席をもとに戻すどころか、前のアミには、ゴミを入れてそのままだし、読んだ新聞や雑誌は席においたまま。 わりとよく目にする光景です。 口をとがらせ、権利ばかりを要求する姿。 居酒屋では食い散らかし、ホテルのベットには濡れたバスタオル。 スーパーに行けば、買うつもりのお刺身をやめて、肉の売り場に置き残す。 心得ておきたい言葉の一つです。 「すみません、座席を後ろに倒してもいいでしょうか」
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1月 27日 suddenly

悲しみは、どうやら、突然やってくる。 そして、突然、やってきた悲しみは、とても悲しい。 「お参りさせてください」と言って、本堂で手を合わす女性。 半時あまり過ぎた頃、「ありがとうございます」と声をかけてこられた。 お茶を進めたら、笑顔で頷いた。 「先日、病院で検査して、癌だと告げられました。 治療を進められたけれども・・・おかげさまで、決めることができました。 ここで、母のことや自分の人生を振り返って、甥には迷惑かけられない、と決めました。 私、もう70年も生きてきた、もう十分だって思えた。だから、治療はしない。」 悲しみは、どうやら、突然やってくる。 そして、突然、やってきた悲しみは、とても悲しい。 でも、私たちは、その悲しみを避けて通れない。 行きつけのショトバーで「同い年だね」と、私に語しかけてきた男がいた。 バツイチ無職、女のところに転がり込んで威張り散らす彼。 9歳の子供の親権は、当然、別れた妻が持っているという。 聞けば、せっかく勤めた会社も、「給料が安い」「馬鹿にされた」と理由をつけ辞めてしまう。 酒を飲めば暴れる、甲斐性なし。 それでも、どういうわけか、女にはもてて食うに困らない。 女は別れたくても、別れられない。 だから、本人は追い詰められない。 でも、今日は違った。 ショットバーではなく、お寺を訪ねてきた彼が、絞り出すように言った。 「息子が・・・」 悲しみは、どうやら、突然やってくる。 そして、突然、やってきた悲しみは、とても悲しい。 でも、私たちは、その悲しみを避けて通れない。 そういえば・・・ 絶望を胸にした時、痛切に思った事がある。 「なぜ、こんなに悲しいのに、こんなに苦しいのに、こんなに辛いのに・・・また、朝がくるのか」 「自分がこんなに悲しくても、朝が来る」 訪れた朝が、憎く恨んだ。 訪れた朝に、怯え震えた。 悲しみは、どうやら、突然やってくる。 そして、突然、やってきた悲しみは、とても悲しい。 でも、私たちは、その悲しみを避けて通れない。 いつも、あなたを思い出す。 いつも、懐かしく思う。 あらざらむ この世の外の 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな   和泉式部
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10月 26日 八風吹けども

八風吹けども・・・ 追い風にのり、順風満帆な日もある 非難批判の風がふきつけ、足元がすくわれる時もある 突然呼ばれた会議室、告げられた言葉 誤解、裏切り、かばわぬ上司 覗いたメール、ふたりだけの言葉 不倫、言い訳、甲斐性なし 再検査、告げられた病 不安、受容までの道のり、憐みの涙 八風吹けども・・・動ぜず 動ぜぬものは、何だろう? ジムで鍛え、サプリを飲み続けた頑強な身体も老いていく 全ては心次第だと悟った心も、強風に引きづられ振り回される この身と心は、そんなにあてにならない そう、動ぜぬものとは・・・真実なるものがあると信じ、気づく歩み 会議室での数分間は、お釈迦様からの風 覗いたメールで別れたのは、道元さまからの風 告げられた病で人生をまとめられたのは、瑩山さまからの風 妬み嫉みで貶めようという世界が現れたとしても 自分がどんなに嫌いになったとしても 「もうだめだ」と呟く事態に陥ったとしても そう、南無帰依佛と誓ったからには‥‥菩提の行願
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10月 08日 よくある話

かつて、私はとても裕福な家に育ちました。 今思えば、とても幸せなことでした。 年頃に、両親が選んだお相手も、申し分のない方でした。 しかし私には、好きな人がおりました。 そう、私の家で働いていていた彼です。 彼との間に、子どもを身籠ってしまいました。 若気の至りというのでしょう。 許されぬ恋に燃え、駆け落ちをした私たちは、遠い町で暮らしを始めました。 出産が間近になった頃、ふと思い出しました。 子どもは実家で産まなければならないという、私の国の習慣を。 「実家で子どもを産みたい」と告げる私に、夫は怖れました。 でも私は、実家へと戻る旅を始めました。 夫もしぶしぶ後を追ってきましたが、旅の途中で陣痛があり、そこで子どもを産みました。 そして、私たちは実家に帰らずに、自分たちの家に引き返す事を決めました。 数年後、また私は子どもを授かりました。 そして、家族で実家に向かうことにしました。 旅の途中、激しい嵐の日、また陣痛がはじまったのです。 私が横たわっている間に夫は、雨をしのぐ覆いにする枝を集めるために森へ行きました。 けれども、夫はそこで、毒蛇にかまれ死にました。 子どもは無事生まれました。 途方にくれた私は、赤ちゃんを抱き、もうひとりの子の手を引いて、実家を目指すことにしました。 強い雨の続くある日、洪水で水かさの増した河を渡らなければなりませんでした。 でも、私には一度にふたりの子どもを運ぶことはできませんでした。 私は上の子を河岸に残すと、まず、赤ちゃんを抱いて対岸に渡りました。 川を渡り切り、大切な赤ちゃんを地面に置いた時、大きな鷹が赤ちゃんに襲いかかってきたのです。 私は、大声を出して追い払いました。 その様子を見た対岸で待っていた上の子は、私が呼んでいると思ったのでしょう。 なんと、河に飛び込んだのです。 驚いた私も、その子を救おうと飛び込みました。 しかし、上の子は急流に流されて溺れてしまったのです。 そして、私が岸に上がった時、鷹が赤ちゃんを連れ去る姿を見ました。 私は、ただ歩きました。 夫を、かわいい子供を、赤ちゃんを思って、歩きました。 父を、母を思って歩きました。 故郷の町はずれで、ある男に、私の実家について尋ねました。 彼は言いました。 「その家については、聞かないでくれ。」 問い詰めた私に、男が答えました。 昨晩のひどい嵐が私の実家を壊し、その家の者たちが全て亡くなったと言うのです。 「全てを失くした」と思った時、私は気を失いました。 それ以後のことは、全く覚えておりません。 泣きながら地面をのたうち回り、人を見れば悪態をつき、絡み、暴れ・・・ ある日、町の人々が、暴れる私を押さえつけるようにお釈迦さまのところへ連れて行きました。 お釈迦さまは、私の目をしっかりと見つめ、こうおっしゃいました。 「涙・・・大海の水ほどの悲しみの涙」 首をかしげる私に、お釈迦様は示されました。 「この世は、無常であります。みんな移り変わっていく。 私たちが生きるということは、大海の水ほどの悲しみの涙を流すことでもあります。 あなたの悲しみは、あなただけのものではない。 人として生まれてきた以上、避けてとおることはできないものなのです。 だからこそ私たちは、決して無くならないもの、誰からも奪われないもの・・・ 真実なるものを求めなければならない」 私は頭を剃り、お釈迦さまの弟子となりました。 今思えば・・・そう、その時には思えなかったけれど・・・ 今、思えば・・・窮することは、決して悪いことでなかった。 「よくある話」だと、笑われるかもしれませんが、本当にあったのです。 私たちは、苦しく辛い状況を、早く解決したいと願うものですが・・・ 苦しい気持ちこそが懺悔であり、解決であると思い定めることも必要ではないかと思います。 それは、決して独りよがりの判断ではなく、また、安易な道でもありません。 というのも、その状況が真実なるものに導いてくれることもあるからです。 だから、あなたの胸の痛みを大切にしてください。 そして、これ以上、御自身を責めないでください。
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9月 19日 彼岸到

彼岸には、 布施   <分け合う事> 持戒   <慎む事> 忍辱   <忍ぶ事> 精進   <努力する事> 禅定   <心を静める事> 智慧   <学ぶ事> を実践していくことによって、迷いのこの岸から悟りの彼の岸に渡るという意味があります。 けれども禅では、もっと深く彼岸を受けとめます。 それは、迷いと思っているこの岸こそが、悟りの彼の岸でもあるのだよ、という事であります。 つまり、遠くの彼の岸を見て、足元を忘れちゃいけないよ、というのです。 この岸、つまり、「今・ここ」を大切にする歩みを深めることで、この岸も彼の岸もないというへだてのない世界、つまり、ひとつながりの世界に気付く、それが禅であります。 たとえば、私たちには夢や目標があります。その夢や目標に向かって計画を立てて実行していく。夢が叶えば、当然嬉しい。 けれども、挫折や失敗することもあります。そんな時、私たちは言い訳をしたり、人のせいにしたりする癖が出てしまいがちです。 でも実は、夢に向かって歩いているその歩みこそが、夢の達成であり、夢が叶ったその瞬間と同じくらい大切なはずなのです。そう言える視点、ものの見方が禅なのであります。 遠くの結果を見つめるのではなく、今・ここの足元を大切にする歩み。 そこに必ず、穏やかな心持ちと生きる勇気が現れてきます。 彼の岸と此の岸は離れていない。ひとつながりであります。 ここをしっかりと受け止めて、互いに歩みを深めてまいりましょう。
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12月 06日 さようなら

「先生さようなら、みなさんさようなら」 病気と転校、そして、事故がないかぎり、また教室で会えた。 また明日  バイバイ  それじゃ、またね  さようなら 「さようなら」は、「左様ならば・・・」が語源らしい。 振り返れば、ずいぶんと、「さようなら」をしてきたものだ。 あんなに仲のよかった友とは、何年も会っていない。 お互いに、田舎を離れりゃ、仕方がない。 所帯を構えて、ガキが二人いりゃあ、東京にもこれんわな。 結婚しようと誓った女は、今では、消息すらわからない。 思い出そうにも、顔がぼやけてかすんでしまう。 切に願わくは、非道い男に会っていない事を。 自分が嫌で、厭でたまらなかった。 だから、頭を剃るのに、迷いはなかった。 しかし、本当は、さよならすべきは自分自身だった。 また明日  バイバイ  それじゃ、またね  さようなら コノサカヅキヲ受ケテクレ ドウゾナミナミツガシテオクレ ハナニアラシノタトヘモアルゾ 「サヨナラ」ダケガ人生ダ この井伏鱒二の名訳を知ったのは、川島雄三の墓碑銘のおかげだった。 また明日  バイバイ  それじゃ、またね  さようなら 学生の頃、遠州流を習っていた。 先日、先生の訃報を聞いた。 「一期一会は、なにも、お茶だけの事じゃないのよね。 綺麗にさようならをするのが、一期一会。ねぇ、あなたはどう思う?」 先生、あれから、およそ20年が経ちましたね。 禅の世界に生きて、私はこんな事を知りました。 別れても別れない、さようならがある事を。 離れても離れられない、温かな世界である事を。 謹んでご冥福をお祈りいたします  法慧合掌
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10月 25日 私たちの根っこ

禅とは、一体、どういうものでしょうか? 私は、禅とは、一言で申せば、根っこではないかと思います。 根っこが、自分にある事を信じ、根っこのありかに気づき、そして、その根っこと、しっかりつながった歩みをするのが禅だと思うのです。 あいだみつをさんの詩集『にんげんだもの』に、こんな言葉があります。 花を支える枝 枝を支える幹 幹を支える根 根は見えねんだな 私たちは、咲いた花の大きさや色や形のみを評価します。 しかし、目に見えないけれど、その花を根幹で支えている大切なもの、それが根っこです。 私が私である根拠。私を私としてなさしめているものは、何か? 根本の根本にあるもの。 そんな私たちの根っこ、それは、強く、大きく、そして、絶対のものでなければならないはずです。 なぜなら、せっかく、人として生まれてきて、人生を安っぽいものに騙されたり、侵されたりしてはもったいない。 何があっても動じないもの、そして、何物にも奪われないもの、決して、無くならないもの。 それこそが、私たちの根っこであるはずです。 では、その大切な根っこは、どこにあるのでしょうか? 曹洞宗の禅僧に、内山興正老師という方がおられます。 明治45年に生まれ、平成10年に遷化、つまり、亡くなられました。 坐禅一筋に生きられ、また、多くの御著書があります。 その内山老師が、こんな詩を遺されております。 貧しくても貧しからず 病んでも病まず 老いても老いず 死んでも死なず すべて二つに分かれる以前の実物 ここには 無限の奥がある いかがでしょう?二つに分かれる以前の実物。 この二つとは、生と死、良い悪い、勝った負けた、損した得した、好きだ嫌いだという相対の世界、つまり、比べる、比較する、対立の世界です。 普段、私たちは、自分の頭の中で作り出した、この対立の世界に悩み苦しんでいるのではないでしょうか? そして、私たちは、自分の頭で考えた対立の世界こそが全てであると、思っているのではないでしょうか? 二つに分かれる以前、つまり、一つ。 その一つの世界にこそ、私たちの根っこがある。 そして、その根っこには、無限の奥がある。 今日、これから坐禅をしていただきますが、まず、大切な事は、姿勢を正す事です。 後ろ頭で天を衝くような気持で、腰骨を立てる。 姿勢が整えば、呼吸が整い、おのずと、心も整ってくる。 坐禅をすると、煩悩や妄想が取り払われて、無になるとか、また、無にならなければと誤解している方がいるかもしれません。 しかし、実際に坐れば、かえって、いろいろな考えや思いが浮かんでくる事に驚くでしょう。 また、足腰のしびれや痛みになやまされるかもしれません。 私が坐禅を始めた頃、今と同じように太っていて、また、体がとてもかたかったものですから、片足のみを組む半跏趺坐さえも、ままになりませんでした。 一炷40分の間に、何度も足を組み換えて、その痛さに泣き出しそうになっておりました。 頭の中を駆け巡る様々な思いや、足腰の痛み。 時には、突然、畳の目ひとつひとつに、お観音様のお姿が浮かび上がるかもしれない。 時には、線香の焼け落ちる灰の音が、「ドスン」と、腹に響くような大きな音に聞こえるかもしれません。 しかし、ここで、最も大事な事は、その浮かんできた事を追いかけない。 何が起きても、相手にせず、邪魔にせず。 また、何も起きなくても、相手にせず、邪魔にせず。 そうすれば、坐禅をする中で、自分の頭で作り出した対立の世界が、決して、全てではないのだ、と必ず気づくはずです。 その気づきが、私たちの根っこへの扉となるでしょう。 坐禅をはじめるにあたって、道元禅師のご著書に、とても勇気づけられる言葉があります。 「佛祖の往昔は我等なり、我等が当来は佛祖ならん」 佛祖とは、お釈迦様、そして、その教えを命がけとなって信じ守り伝えてきた禅僧の事であります。 おうしゃくと読みましたが、おうせき、つまり、昔の事です。 当来は、来るべき未来のことです。 一本の道。 今、私は、お釈迦さまと同じ一本の道を歩んでいるのだ。 かつては、お釈迦さまもこの私と同じように、自分の根っこを見失った日送りをしていた。 それ故に、苦しみに引きずられたり、悲しみに迷わされたりもしていた。 ああもう駄目だと泣いた事も、どうすればよいかと悩んだこともあったでしょう。 しかし、お釈迦様は自分に根っこがある事を信じ、根っこに気づき、そして、根っことしっかりつながった歩みを進められた。 そう、私も、まず、根っこが自分にあると信じる事からはじめてみよう。 そこに自ずと、お釈迦様と同じものの見方ができてくる。 その歩みのなかで、安心、即ち、こころのやすらぎを得、そして、必ず、生きる勇気を持ち続ける事ができるのだ。 「佛祖の往昔は我等なり、我等が当来は佛祖ならん」 お釈迦様と同じ歩みをする、この根っこにしっかりつながった歩みをする。 道元禅師は、この道を信じて歩けと、私たちを励ましてくれております。 それでは、共に、悠々と堂々と坐りましょう。
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9月 26日

塊になると、己のみ高しとしてしまう。だから、受け入れてもらえない。 塊になると、人の言うことに耳を貸さなくなる。だから、成長できない。 そりゃさ、何年かは先輩だわさ。 そりゃさ、あんたも築いてきたわさ。 でもね、やっぱり、損をしとると思うんよ。 誰に対しても、頭を下げれる人が偉か…

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8月 21日 萬福

お通夜の後席についたとき、喪主さんが語りかけてきました。 「母が亡くなって以来、彼女の人生は幸せだったのだろうかと、そればかり考えてしまいました。 88歳、苦労しどおしの母の人生を思うと・・・」と、声を詰まらせました。 「人生の先輩に対して、申し上げるのも恐縮ですが・・・」と前置きして尋ねました。 「幸せって何でしょうね?」 「そりゃあ、お金に苦労しないで、健康で、家族や友達と仲良く暮らして、長生きして・・・」 喪主さんは思いつくまま答えたのでしょう。 しかし、その言葉を遮り、改めて尋ねました。 「それだけでしょうか?」 お金は、ないよりも、あった方がいい。 入退院を繰り返すよりも、もちろん健康である方がいい。 人生、馬鹿と蔑まれるよりも、先生と呼ばれたい。 せっかく生きるのなら、泣いて暮らすよりも、笑って過ごしたい。 けれど、幸せは比較の問題でしょうか? ・・・減っていくのが幸せ? ・・・奪われてしまうのが幸せ? ・・・無くなってしまうのも幸せ? いや、どんな状況にあっても幸せでありたい。 条件など、つけることなく、そう、どんな状況になっても幸せでありたい。 惚れた人と迎えた朝も、ケンカしてぶち込まれた留置所で起きた朝も、同じ朝。 托鉢をしながら野宿した夜も、銀座8丁目のお店で過ごす夜も、同じ夜。 風呂無便所共同の四畳半の部屋から見上げた空も、六本木ヒルズから眺めた空も、同じ空。 「萬福。萬の物、全て福なりって、本当に思える人が幸せなのでしょうね。 お母様は、人生って苦しい事も多いけれど、そんなに悪いものでもないよって、最後に、皆さんに伝えたいと思いますよ。」 あなたは、幸せって何だと思いますか?
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8月 11日 初盆

どんなに悲しくとも 体は勝手に呼吸を止めない。 どんなに空しくとも、朝になれば、また、日が昇る。 雲は流れ、季は巡る。 世界中の花や線香を買占め供えても、多くの僧侶を呼んで法要を営んでも・・・ 亡くなった人は、生き返ることはない。 「もう一年になるのね。やっと、初盆。 正直な話、あの人が亡くなったとは思えない、そんな気持ちがする時もあるの。 もしかしたら、朝、目が覚めたら、隣で寝てるのでは・・・ 振り返れば、テーブルに座って新聞をよんでいるのでは・・・ ひょっとしたら、携帯に電話すれば、出てくれるのでは・・・もしかしたらって、ね。」 ふたりは、二十歳を過ぎた頃に東京で出会い、惹かれ、結ばれ、共に暮らした。 ともに福井の出身だった。 お金も縁故もなかった。 でも、それ故に一生懸命、与えられた仕事をこなした。 彼は真面目で、お酒も煙草もしなかった。 趣味は、小説を書く事。明るく、いつも笑顔だった。だから、楽しかった。 子を授かった事を機に、籍をいれた。 そして、あっという間の37年。 還暦を迎えたら、新婚旅行をしようって、約束していた。 最後は、「ありがとう、ありがとう」って、手を握ってくれた。 ・・・ 「あのね、法慧さん。 主人は娘のところには、もう3度も、夢に現れたっていうのよ。 けど、私のところには、一度も来ないのよ。不実よねぇ。 でも、お盆だから・・・」 お盆。 キュウリの馬、ナスの牛。 馬に乗って一刻も早くこの世に帰り、牛に乗ってゆっくりあの世へ戻って行くように、と。 盆提灯を飾り、盆棚をしつらえて、亡き人を迎える。 あの世があるのか。死んだら霊となるのか。祖霊信仰。習俗。 ・・・とまれ、そんな野暮を言うのはよそうじゃないか。 そうせずにはいられなかった人間の悲しさに手を合わせよう。 そうせずにはいられなかった人間の祈りに、希望をもとう。 供養の養とは、記憶を養う。つまり、忘れない事。 悲しみを生きる力に転ずる事が、何よりの供養なのだから・・・
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