大童法慧 | 僧侶的 いま・ここ
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
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僧侶的 いま・ここ




10月 31日 雲を離れた月

『恵眼院鉄門海上人伝 ~注連寺縁起~』を頂戴しました。 上人の御生涯を偲ぶ時、『法句経』にある言葉を想い起こしました。     以前には 放逸であった人でも、のちに 放逸でなくなるなれば、その人は、雲を離れた月のように、この世を 照らすであろう。  …

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10月 24日 お骨の重さ

火葬が終わり、お骨を拾い、壺に収める。 親の荼毘の終わる時間が待てなくて、さっさと帰る子もいると聞く。     箸渡しの儀式も拾うお骨の分量も、地域で異なる。 今では、お骨を全て焼切ってくれという意見も少なくない。 そうすれば、お墓の心配もしなくていい。 &n…

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10月 17日 徳をつらぬく

かくばかり みにくき国に なりたれば        ささげし人の ただに惜しまる   先の戦争の未亡人が詠まれた歌だそうです。     今年八月、ご縁あって知覧に行きました。長年、伺いたいと心に留めていた町です。というのも、私が生まれ育った町、山口県徳山市は回…

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10月 10日 starting over

  躓いても、自分を支えるのが困難でも、もう一度、歩き始めようと思えない時でも、それでも、生きざらめやも。     アルフレッド・D・スーザ Alfred D’ Souza 牧師 私はずっとながいこと、「本当の人生」はまだこれからだと思っ…

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3月 18日 無宗教葬 

都内葬儀社の社長さんとお話をした。 特に最近の流行は、菩提寺を持たない方の無宗教葬であるとのこと。 かつては、 戒名はいらないけれど、お経だけは読んで欲しいという方が多かった。 つまり、俗名での葬儀がされていた。 でも今は。 戒名はもちろん、意味の分からんお経もいらない。 お経よりも、故人の好きだった歌でも流した方がいい、と。 通夜や葬儀に集まって、音楽をかけて、焼香もしくは献花をする。 そして、偲ぶ会と称しての会食。 無宗教葬は自由葬ともいうらしい。 自由だから、何の制約もないから、 「自分らしい葬儀」ができるという売り。 ニーズの変化に対応する。 故郷の菩提寺との縁を断った今、 新たに都会で寺院墓地を持つよりも宗派不問の霊園が気軽でしょう、と。 生前、お寺や僧侶と縁がなかったのだから 死後に縁がなくとも困らないだろう、と。 「生き死に」に関して、宗教を求める必要がなかった人生。 案外、何よりの幸せなのかもしれない。 「無宗教。自由。自分らしさ。」 ここに、確固たる核があるのならば。
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3月 14日 ほどほどの饅頭

88歳のおばあちゃんが体調を崩し、入院した。 家族の祈りと治療の甲斐あって、無事に退院することができた。 おばあちゃんの好物は、甘いもの。 医師から、「これからは、できるだけ甘いものはひかえましょうね」と諭されて、「はいはい」と二つ返事。 帰りの車の中、お気に入りのお饅頭屋さんに寄ってくれ、と願うおばあちゃん。 「退院のお祝いだから、今日だけよ」と言って、立ち寄った。 久しぶりに微笑むおばあちゃんの顔を見た。 そして、、、「今日だけだから」「ひとつだけだから」と言いながら、甘いものを求める日々。 おばあちゃんの体調を気にする家族の切なる想いを、娘が伝えた。 「甘いものはひかえてとお医者さんに言われたでしょう。早く死にたいの? 今日から、家の中から甘いものを隠します」 驚いたおばあちゃんは、手を合わせながらつぶやいた。 「私は、ありがたいことに充分に生きたよ。 でも、最後は好きなものを隠されて、それを盗み食べるような人生にしたくはない。死んでから、饅頭をたくさん供えられても困ってしまう。できるだけ、みんなの手を煩わさないで逝きたいと願ってる。」 「ほどほどにしてね」と言った娘の返事に、「はいはい」と答えたおばあちゃん。 甘いもの、ほどほどに、ほどほどに。
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2月 20日 神も仏もあるものか

どこに続いているかわからない 真っ暗の夜道 一人寂しく ただ歩む その前を楽しそうに歩くあなたを見つけた 「その人に解決できる問いしか立てられないものよ」とあなたは微笑んだ そう、「神も仏もあるものかと」思うのならば、そこにいるのは、私独りだけ だから、「それでも・・・・神も仏もいる」と思えるのならば、私は独りではない     いつもともに  広島市 植松伸子 元気になったら すぐに 忘れてしまうのです あなたのことを だから 時々あなたは 私の足元に 小さな石を置いて下さる そして つまづいた私は 思い出すのです いつもともにおられる あなたのことを     産経新聞 朝の詩    
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