大童法慧 | 僧侶的 いま・ここ
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
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僧侶的 いま・ここ




11月 04日 御随喜の皆様へ

10月26日 枕経 10月29日 大夜 10月30日 葬儀・告別式 藤水院三心妙房禅尼覚位の大夜並びに葬儀告別式に御随喜頂き、誠にありがとうございました。 お蔭様で、92歳の長寿を保ち、晩年は、骨折のためベッドや車椅子の生活を余儀なくされましたが、大往生でありました。 大本山永平寺の仏殿には、たいへん美しい言葉の書かれた聯があります。 来雁遷鶯尽是祇園仏事<来雁還鶯、是、祇園の仏事> 開花紅葉莫非少林家風<開花紅葉、少林の家風にあらざるなし> 秋となれば雁が北からやってくる。春となれば、鶯が谷底から高い樹に還ってくる。この事こそが、お釈迦様の説かれた佛法であります。 春には花が咲き乱れ、秋には木々が色ずく。この事こそが、達磨様の説かれた禅である。 お釈迦様の佛法は、禅宗初祖の達磨様に、そのまま伝わりました。 そして、その佛法は、高祖様・道元禅師様へと受け継がれました。 この世の姿は、無常であります。 しかしながら、私たちは、自分の物に常住を望んでしまいがちです。 そこに、執着を生じ、苦となってしまします。 藤水院様は、そのことを全身全霊をもって、この身が移り変わっていくものであると、示しました。 遺された者として、その事を受け止めねばならないと、感じております。 この度は、大導師様をはじめ各仏事師様、誠にありがとうございました。 また、多くの御寺院様も御随喜ありがとうございました。 そして、檀信徒の皆様、特にお世話人、協力委員の皆様方、隣組の皆様、ありがとうございました。 今後とも、よろしくお願いいたします。 法慧 九拝
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10月 26日 本音

とある葬儀社の経営者の言葉。 「今、家族葬や密葬、それに直葬といって、格安のギリギリの葬儀プランを組んで売ってるけれど・・・実際、最近は、安い施行というか、利益にならないのが多いんだよね。」 「真面目にやれば、厳しいよ数字は。」 「お得だとか安いとか、そんな宣伝に飛びついてくる人が多いの。 騙されるだの、ぼったくられるだの、マスコミが煽るもんだから、警戒しちゃうのかね?」 「正直な話、自分の親が死んだ時、そんなプランで葬式するかといえば、絶対、やらないよ。」 「だって、あんな祭壇とか棺じゃあさ、親に申し訳ないもの。 それに、あの収骨では寂しすぎるよ。可哀想だね。」 「今、葬儀には様々な選択肢が用意されてるけど・・・よく、考えなきゃね。 後悔するぐらいなら、よく調べなきゃ。」 火葬場の炉にも、ランクがある。 特賓室 特別室 最上等の三種類。炉は同じだが、収骨室が異なる。
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10月 20日 やり逃げ?

1周忌と併せて納骨の法要の依頼があった。 自宅で1周忌をし、都内の公営霊園に納めたいという。 拙僧「お葬式をしてもらったお坊さんに頼まれてはいかがですか?」 施主「いえ、連絡がつかないのです。名刺を頂いたのですが・・・」 拙僧「どちらのご紹介ですか?」 施主「葬儀社です」 拙僧「ならば、その葬儀社さんから連絡を取ってくれるはずですよ。 葬儀の時に、担当してくれた方に聞いてみて下さい」 数日後、お施主さんから再び電話があった。 葬儀社からの連絡で、その僧侶は多忙のため法事の約束ができないから、と言われたとの事。 施主「で、お願いできませんか?」 拙僧「じゃあ、お受けしましょう。私は多忙ではありませんし・・・」 ご法事の日、施主宅にて。 故人の親族や友人の方々が15人ほどがお集まり。 別れた故人を偲ぶ情よりも、口にされる言葉は 葬儀にきた僧侶への不信や葬儀社への不満ばかりが次々と・・・ そして、ご法事をはじめる時に、お位牌を見てびっくり。 位牌に彫られている戒名に、誤字が。しかも、2文字もありました。 拙僧「この戒名は、なんてお読みするのですか?」 施主「いや、よく解らないのですが・・・どう、読むのですか?」 何も知らない人が、悪いのか? 何も知らない人は、騙され易いのか? 通夜と葬儀と戒名と初7日で、お布施として、合計80万円を請求された挙句、この誤字の戒名。 院号を特別にサービスしておきました、と、坊主に言われたとの事。 葬儀後、お布施を葬儀社と折半したかどうかは知りませんが・・・ 拙僧「お葬式をしたのは曹洞宗のお坊さんですか?」 施主「はい。そう、言っていました。」 自称僧侶?自称曹洞宗?それとも・・・? 仏壇店は、白木の位牌を見て原稿にし、位牌を彫ったのでしょう。 石材店も、白木の位牌を写し手本にし、霊園の墓誌に刻んだのでしょう。 通夜葬儀に集まった親族や友人で、誤字に気付いた人はいなかったのか? それとも、坊主に間違いを指摘して、七代まで祟られると思ったのか? 漢字テストなら、間違いなく×だろうに・・・ 誤字でも戒名か? 誤字なのに戒名か?
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10月 13日 悲嘆

なぜ、こうも悲しいのだろうか? なぜに、こんなにも辛いのだろうか? なぜ、ここに、あの人がいないのだろうか? この声は、あの人に、届いているのだろうか? この思いは、あの人に、伝わっているのだろうか? 何をもってしても、埋め合わす事のできない空虚な気持ち。 何をもってしても、変えることの出来ないあの人への想い。 日ぐすり、時ぐすり、そして、佛法のくすり。 悲嘆の回復には、長い時間を要するかもしれないけれど・・・ あなたと、ご縁があったのだから、お付き合いいたしますよ。
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10月 06日 生きて今あるは

生きて 今あるは この事に あわんがためなり これは、私のお師匠様の言葉の一つです。 この事とは、何でしょうか? 惚れに惚れて一緒になった人の事でしょうか? 大切な大切な血を分けたわが子の事でしょうか? 節約に辛抱を重ねてやっと建てた家の事でしょうか? 百年の恋も、一夜の浮気に破れ、誓い合った仲も罵り合う事に・・・ 大きな期待をかけ、手塩にかけて育てた子も、今じゃ音沙汰なし・・・ 30年のローンを組んで、片道2時間、夫婦も親子も会話なくなって・・・ では、この事とは何でしょう? 各人において、大切なもの、かけがえのないものがおありでしょうが・・・ やはり、折角、この世に生まれたならば、・・・ それが無くなるものではなく、失うものでもなく、真実なるものに、永遠なるものにお会いしてみたいな、と思うのです。 禅門では、「この事」を本来の面目と言います。 あるいは、本来の自己ともいい、あるいは、本来のいのちともいいます。 実は、本来の面目という言葉に出逢うにも、本当は、たいへんな事なんですけれども・・・やはり、佛縁が深くなくては、あえないものです。 しかし、その言葉ひとつで、安心<あんじん>できるかというと・・・ 残念ながら、そうではありません。 言葉だけでは、所詮は、絵に描いた餅にすぎません。 この事は、言葉や文字で現し難く、やはり、刻苦精励して冷暖自知するより他がありせん。 この事を知らんがために、多くの修行者が命懸けで師を求めました。 ある老師は、その問いに、黙したまま、一本の指を立てました。 ある老師は、庭にある柏の樹とお答えになりました。 薄い粥をすすり、襤褸を着て、托鉢や作務で己を空しくしながら、与えられた公案をひたすらに参究する。 師に悪態をつかれ、どつきまわされても、三拝九拝しながら、その教えを乞うていく。 師が「カラスは白い」と言えば、弟子は、「はい」と応じる事。 頭の良い方は、黒いじゃないかって、反論したくなるでしょうけれど、 師が白いと言えば、白い世界なのであります。 じゃあ、人権はないのか?自分はないのか?って思うのは、やはり、頭の良い方ですね。そこに、私とか損得勘定はないんですね。 ただ、師を信じる。師を信じるとは自分を信じる事でもあります。 師とは、全てを奪ってくれる人の事だと思います。 だからこそ、「正師を得ざれば学ばざるにしかず 『学道用心集』」です。 すぐに、騙されたとか、裏切られたとか言うのは、真剣に求めていないからではないでしょうか? もっとも、これをカルト宗教のような洗脳と紙一重と思う方もいらっしゃるかもしれませんが・・・ その当時の写真を見て、今、丸々と太った自分に反省しております。 酒がいかんかったかな。何でも残さずに食べるし。 今月から、私は、褚遂良の『雁塔聖教序』を臨書しております。 これが、実に難しい。 いわば、見て書くだけの事なんだけれども、それが、できない。 強い線を出す事だけを考えなさい、と教えられても、やはり、できない。 字など名前が読めりゃいいともいいますが、道を究めんとすれば、一の字さえも、なかなか書けないのです。 「とにかく、呼吸。それにはやはり、書いて身につけるしかない。たくさん書かなきゃ、だめだよ」と、毎回、叱られております。 趣味で筆を持つのなら、楽しめばいいんでしょうけれども・・・ 人生の一大事を、楽して掴もうというのは虫のいい話だと思います。 先日、知人の頼みで、出家したいと言う方とお会いしました。 数年後に、定年を控えている方で、話を聞いて欲しいとの事。 お会いして、すぐに、まだその時節ではないな、と感じました。 基本的な問いにも答えられず、かといって、無常観や大きな疑念があるでなく・・・ただ、雰囲気に憧れていたんですね、禅の世界の。 定年後、小遣い稼ぎのために、葬式法事をするお坊さんになるのなら、話は別ですが・・・坐禅会や仏教の勉強会から始めては、とアドバイスしました。 帰り際、彼はこう言いました。 「人生や生き方について、考えた時間を持ったり、誰かと話をしたりしたのは初めての事でした」と。 彼は60歳近くになってはじめて、この事がある、と知ったはずです。 この事あり、と知る。 この事あり、を信じる。 この事あり、と単提する。 この事あり、を体現していく。 人それぞれに立場があり、勿論、皆が修行者ではありませんが・・・ それぞれの方の環境や境涯おいて、「この事」を互いに支えあいながら、深めていく僧伽<サンガ>を作りたい・・・大きなおなかを抱えながら、こんなことを切に願っております。 磨いたら 磨いただけは 光るなり 性根玉でも 何の玉でも 山本玄峰老師
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9月 13日 お持込料

先日、ご法事の依頼がありました。 この方は、お檀家ではなく、グリーフワークの会でご縁ができた方です。 ご主人様の7回忌ということで、某民間霊園でお勤めしました。 ご法事を終えての設斎での話。 施主「お持ち込み料という事で、霊園から壱万円を請求されました」 拙僧「何を持ち込んだんですか?」 施主「法慧さんの事ですよ」 お持ち込み料って?、 施主が、縁のある僧侶に法事を依頼をし、その僧侶を霊園に<持ち込み>する料金の事。 僧侶の同行料もしくは入山料の名目で請求される。 壱万円の価格設定が多いようです。 因みに、お塔婆にも持ち込み料が発生します。お塔婆1本につき、千円。 霊園が紹介する僧侶には、当然、持ち込み料はかからないけど・・・ 霊園によっては、僧侶の紹介手数料として壱万円を請求される、と聞く。 持ち込んでも壱万円、紹介されても壱万円。 でも、壱万円あれば・・・?
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9月 09日 Death be not proud

英国の聖職者であり、詩人でもあったジョン・ダンの詩 死よ驕るなかれ お前は 運命や偶然や王侯や絶望した人間のしがない奴隷 そして 毒薬や戦争や病気のしがない同居人にすぎない 死よ 威張るなよ 人がお前のことを 強くて怖いと言ってても お前はそれ程のもんじゃない お前がやっつけたと思っている人たちにしても 死んではいないんだ 哀れなやつめ お前はこの俺すら殺せはしない お前とよく似た休息と眠りからでも喜びが溢れ出ている ならば お前からはもっと多くの喜びが溢れ出るはずだ 敬虔な人たちがお前と直ちに旅立とうというのも不思議ではない お前が肉体を休め 魂を解放してくれるのだから お前は運や偶然 王侯や絶望者の単なる奴隷 そして 毒薬や戦争や病気と単に一緒に暮らしているだけだ 麻薬や魔法でも眠りは得られて しかも お前の一撃よりも効果があるのだから どうしてそんなに威張れるんだ? つかの間の眠りが終われば 永遠の目覚めがやってくる そして死は二度とやってこないんだ 死よ お前がそのとき死ぬんだよ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 生死問題の入り口の一助に。 死と向き合う事の難しいこの国、この時代に。 禅宗坊主の伝えられる事は・・・ さあ、辛気臭い面持ちはやめて、まず、坐りましょう。
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9月 04日 自分が一番愛しい

コーサラ国のパセナーディ王はマリッカー夫人と、高楼に登って雄大な眺めを楽しんでいた。 王は、ふと夫人に問いかけた。 「あなたは、自分自身より愛しいと思われる者があるか?」 しばらくの沈黙の後、夫人は優しく正直に、こう答えた。 「私には、自分より愛しいと思われる者は考えられません」 王は、最愛の人からの「何よりも、あなたが愛しい」という言葉を、期待していたのかもしれない。 しかし、王は、その言葉の重さに愕然としながらも、その意味を正しく受け止めていた。 今度は、夫人が王に問いかけた。 「王は、ご自分よりもっと愛しいと思われるものがおありでしょうか?」 王は、静かに答えた。 「私も、自分自身よりも愛おしいと思われるものはない」 この話を聞いたお釈迦さまは、深く首肯<うなず>き、次の偈を説かれた。 「人の思惟<おもい>は、何処へも行くことができる。 されど、 何処へ行こうとも、人は己れより愛しいものを見いだすことを得ない。 それと同じように、すべて、他の人々にも自己はこのうえなく愛しい。 されば、 おのれの愛しいことを知るものは、他のものを害してはならぬ」 自分よりも愛しい者はいない・・・ これは、涙まじりにマイクを握り、下手なカラオケをうなる事ではない これは、避妊もせずに一夜を遊び、同意書をもって中絶する事ではない これは、学業成績の不振を理由に、親の建てた家を放火する事ではない これは、色情や性欲を満たそうと、力ずくで女を組み伏せる事ではない これは、己ひとりのみ高しとして、気に入らない者を殺める事ではない これは、利己主義のエゴイストの宣言ではない これは、自己陶酔のナルシシストの独り言ではない 自分さえよければ、それでよし。法に抵触しなければ、問題なし。 そして、人が見ていなければ・・・やっちまえ‼ ・・・本当は、そんな、安い自分でもないだろうに。 自分よりも愛しい者はいない・・・ この言葉には、やはり、含羞や恥じらいがなくてはならない この言葉には、やはり、人の持つ愚かさの発見がなくてはならない この言葉には、やはり、その愚かさの反省と赦しがなくてはならない
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8月 24日 勝者はどっち?

その若者は、かつて、とある宗教に帰依していた。 しかし、お釈迦様の教えに出合い、帰依し、出家した。 面白くないのは、かつてのお師匠さん。 大切な弟子をたぶらかした、とご立腹。 お釈迦様のもとを訪れ、激しい悪語をもって、罵倒し、誹謗した。 けれど、お釈迦様は、ただ黙していた。 そこで、お師匠さんは、大威張りで言い放った。 「沙門よ、なんじは負けたのだ。沙門よ、わたしは勝ったのだ」 すると、お釈迦様は、静かに答えた。 「雑言と悪語とを語って、愚かなる者は勝てりと言う。 されど、まことの勝利は、堪忍を知る人のものである。 忿<いか>るものに忿りかえすは、悪しきことと知るがよい。 忿るものに忿りかえさぬ者は、二つの勝利を得るのである。 他人のいかれるを知って、正念におのれを静める人は、 よくおのれに勝つとともに、また他人に勝つのである」 これを聞いたお師匠さんは、猛反省。 やがて、機縁が熟し、お釈迦様のもとで出家したという。 いくら、声が大きても、いくら、すごんでみせても・・・それは、虚勢。 他人に自分の考えを押し付け、折伏したとしても・・・それは、まやかし。 勝者は、どっち?
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