大童法慧 | 僧侶的 いま・ここ
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
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僧侶的 いま・ここ


 

12月 30日 みんな 心配いらないよ

みんな 心配いらないよ みんな 心配いらないよ 何を心配しているの 自分が生まれたと思って心配しているのでしょう 生まれたんじゃないよ 生まれたんじゃないよ <どういうことでしょう・・・・・> もともと全部 授かっていた いのちなのです ひょっこり生まれてきたんじゃないんだよ はじめのはじめからいらっしゃった あなたです 真のいのちは常にひとつ 元来 授かっているいのち <どこに・・・・・> いつも 今ここ 一切に 一切に我がいのちは充満せり 縁によって 現れてくるものなのです ・・・・・ただ 現れる 縁によって しばらく姿を隠しても 何処へも行かない縁を 必ず現れてくる縁を みんな一人ひとり 作っているのだから 必ず現れてくる いのちは永遠なり 不滅のいのちの主人公なり 無くなっておしまいというようないのちではありません さびしい・・・ かなしい・・・ つらい・・・ 不安なものは ないよ みんな 心配いらないよ みんな 心配いらないよ
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12月 23日 人形供養会 法話

少しばかりお時間をいただきお話をさせていただきます。 申し遅れましたが、私は曹洞宗の僧侶で法慧と申します。 お寺は福島県の郡山市にございまして、現在は川崎の溝の口で別院という形で坐禅や法話などの布教活動をしておりますが、昨今、ITというのでしょうか、あらたな世界がさらに広がりまし…

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12月 15日 人形供養会

12月23日に人形供養会が行われます。 このブログが機縁となり、私が導師を勤めさせていただきます。 ご供養のあと、「供養」とは何か、についてお話させていただきたいと考えております。 年の瀬を迎え、お忙しいことと思いますが、どうぞお越しください。 =================…

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12月 09日 言の葉  〔1〕

我に似たれば 非をも是と為し 我に異なれば 是をも非と為し 是非は始めより己にあり 道は其れ是くの如くにならず 良寛 ・・・他人のせいにしていないか。 ・・・己を高しとしていないだろうか。     MEMO 夫れ人の世に在るは、 草木の参差たるが如し、 共に一…

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12月 07日 愛語

由乃さんからコメントを頂きました。 教えてください 言葉を選ばないがゆえに人を傷つけて(あるいは、あえて傷つける言葉を選び)、その傷つけられた人が「あなたの言葉で傷ついた」と伝えてきたら、それに対して「受け取る側の問題、あなたの意識の“低さ”が問題なのだ」と言い放つことは、はたして仏様のおっしゃるところの「自由」なのでしょうか。 >受け取る側の問題、あなたの意識の“低さ”が問題なのだ この言葉そのものに、良し悪しはありません。あなたとAさんの関係がどのようなものであるか、それが、問題となるでしょう。 と、お答えしましたが補足いたします。 何かの指針となれば、と願っております。 以下は、『修証義』というお経にあります。 【原文】 愛語というは、衆生を見るに、先ず慈愛の心を発し、顧愛の言語<ごんご>を施すなり、 慈念衆生猶如赤子 <じねんしゅじょうゆうにょしゃくし>の懐<おも>いを貯えて言語するは愛語なり、 徳あるは讃<ほ>むべし、徳なきは憐れむべし、 怨敵を降伏し、君子を和睦ならしむること愛語を根本とするなり、 面 <むか>いて愛語を聞くは面 <おもて>を喜ばしめ、心を楽しくす、面わずして愛語を聞くは肝に銘じ魂に銘ず、 愛語能く廻天の力あることを学すべきなり。 【意訳】 愛語というのは、どんな人に対してもまず慈しみのこころを起こし、思いやりの言葉をかけてあげることです。 生きとし生ける者を慈しむという事は、例えば、赤ちゃんを思う母親のように、いっときも念頭から離さずに言葉をかけるのが愛語なのです。 善き行いの人を見ればほめたたえ、さらに精進できるようにしてあげなさい。悪しき行いの人には、非難したり咎めたりせずに憐れみの心で言葉をかけなさい。 自分を恨み憎んでいるような相手であっても、その憎しみを消し去り、あるいは権力者同士を仲直りさせるにも慈愛の言葉を根本とするのです。 面と向かって愛語を聞けば思わず顔がほころび、心を楽しくしてくれるものです。また、人づてに愛語を伝え聞くときには、その言葉は心に響き、感動して忘れられないものです。 愛語には天子の御心をも動かす力があることをよくよく肝に銘じ学ばなくてはなりません。 言の葉が言葉になり、相手に届く世界がある。 その言葉が愛語となり、相手に響く世界がある。 そして、愛語が廻天の力を持ち、自他のない不二の世界が現れる。 この不二の世界こそ、仏様の言うところの「自由」の世界です。 相手の事を我が事とし、本当に親身になり、ひとつとなって言う言葉のところに、真実があると思うのです。 馬鹿野郎という言葉そのものに、善悪や好し悪しはありません。 この言葉が、時として最高の褒め言葉にもなり、時として最大の侮辱の言葉にもなるという事。 その判断は、もう、お分かりですね。 仏様のいうところの「自由」の世界。 それは、そんなに遠くにはないはずだと思うのです。
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12月 06日 臘八接心・成道会

臘八接心<ろうはつせっしん、と読みます。> 成道会<じょうどうえ、と読みます。> 臘月とは、師走のこと。 臘八とは12月8日のこと。 禅の修行道場では、12月1日から8日朝までを一日とみなし、不眠不休の坐禅を行ないます。これを臘八接心といいます。 これは、お釈迦様が長い苦行の末、菩提樹下で数日間、昼夜を問わず坐禅され、12月8日朝の暁けの明星をご覧になって成道されたことにならって行なうものです。 12月8日には、「出山の釈迦」を本堂にお奉りし、お釈迦様の成道を記念した成道会という報恩の法要をお勤めします。 クリスマスもいいけれど、 お近くのお寺の成道会にお参りになってはいかがでしょうか。
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12月 03日 なぜ、殺す

栃木で行方不明になった女児が、茨城で死体で発見されたという。 広島では、ダンボールに入れられ、奈良では昨年、その顔をメールで親に送りつけた。 なぜ、殺すのだ。 何故、殺さなければならないのだ。 亡くなった子供たちは、深い絶望と恐怖を押し付けられた。 残された親や親族は、抱えきれな…

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12月 01日 みかえり阿弥陀如来

みかえり阿弥陀如来様をご存知ですか? 京都の東山、禅林寺様。通称、永観堂。浄土宗西山禅林寺派。 私も寡聞にして知りませんでした。 京都の夜を散策していたところ、もみじをライトアップしてたいへん綺麗だと聞き、先日、初めて立ち寄りました。 そのお寺のご本尊様が、みかえり阿弥陀如来様。…

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