大童法慧 | 禅語・仏教語・言の葉
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
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禅語・仏教語・言の葉




12月 05日 楽しく生きる

  12月8日、お釈迦さまは成道されました。   一口に仏教と言っても、さまざまな教えがあります。 そのものの見方は、難解なものもあれば、手厳しいものもあります。 親しもうとすれば大きな壁と出会ったり、いえむしろ、離れて行ったりするような気持に至ることさえもあ…

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11月 28日

昭和45年7月7日 産経新聞の特集です。 三島由紀夫の『果たし得ていない約束』 という寄稿文にある一説です。   私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、そ…

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11月 07日 独坐大雄峰

ある時、一人の僧が百丈懐海禅師に問います。「如何なるか是れ奇特の事」 つまり、この世で一番有り難いものは何ですか、一番貴いものは何ですか、と。   あなたならば、何と応えるだろうか。 お金や土地、恋人や家族、信仰や神仏。さぁ、何でしょうか。   百丈懐海禅師は…

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10月 31日 雲を離れた月

『恵眼院鉄門海上人伝 ~注連寺縁起~』を頂戴しました。 上人の御生涯を偲ぶ時、『法句経』にある言葉を想い起こしました。     以前には 放逸であった人でも、のちに 放逸でなくなるなれば、その人は、雲を離れた月のように、この世を 照らすであろう。  …

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10月 10日 starting over

  躓いても、自分を支えるのが困難でも、もう一度、歩き始めようと思えない時でも、それでも、生きざらめやも。     アルフレッド・D・スーザ Alfred D’ Souza 牧師 私はずっとながいこと、「本当の人生」はまだこれからだと思っ…

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2月 20日 神も仏もあるものか

どこに続いているかわからない 真っ暗の夜道 一人寂しく ただ歩む その前を楽しそうに歩くあなたを見つけた 「その人に解決できる問いしか立てられないものよ」とあなたは微笑んだ そう、「神も仏もあるものかと」思うのならば、そこにいるのは、私独りだけ だから、「それでも・・・・神も仏もいる」と思えるのならば、私は独りではない     いつもともに  広島市 植松伸子 元気になったら すぐに 忘れてしまうのです あなたのことを だから 時々あなたは 私の足元に 小さな石を置いて下さる そして つまづいた私は 思い出すのです いつもともにおられる あなたのことを     産経新聞 朝の詩    
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2月 02日 青空

心は青空のようにありたいけれど、いつもそうとは限らない。 けれども、それを理由に大切な人の空まで曇らせたり、雨を降らせたりしてはならない。 花園流無相教会御詠歌 白隠禅師坐禅和讃の一節。 つつしみを おのが心の 根とすれば ことばの花は  みごと咲くなり 花は飾り花ではなく、根を持つ花でありたい。
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1月 01日 平成27年 年頭

真言宗中興の祖、興教大師覚鑁が、腐敗した金剛峯寺の内紛に憂いを懐き、密嚴院において3年余り無言行を修行しました。そして、その直後、一筆のもとに書き上げたと言われるものが「密嚴院発露懺悔文」です。 内紛にあって、師はどちらかに与することなく、かといって、巻き込まれることを怖れ逃げ出すこともありませんでした。 自らに利がある方に肩入れをすることもなく、「阿保らしい」と高みの見物をするのでもなく、ただ無言の行をされました。 そして、その懺悔文に記されたのは他者の批判ではなく、自らの至らなさの叫びでした。 私たちは、自らのご縁で様々なサークルの中で生きています。 家庭、地域、会社、学校、友人、国、地域・・・ でも、そこはHappyなことばかりが起きるのではありません。。 離婚、騒動、派閥、いじめ、裏切り、戦争、紛争、たとえどんな事が起きたとしても・・・ その出来事を他人事としない姿勢を保ちたいものです。 この一年、共に逞しく歩みを進めましょう。 密嚴院発露懺悔文 我等懺悔す 無始よりこのかた 妄想に纏はれて衆罪を造る 身口意の業 常に顛倒して 誤って無量不善の業を犯す 珍財を慳悋して施を行ぜず 意に任せて放逸にして戒を持せず しばしば忿恚を起して忍辱ならず 多く懈怠を生じて精進ならず 心意散乱して坐禅せず 実相に違背して慧を修せず 恒に是の如くの六度の行を退して 還って流転三途の業を作る 名を比丘に假って伽藍を穢し 形を沙門に比して信施を受く 受くるところの戒品は忘れて持せず 学すべき律義は廃して好むことなし 諸佛の厭悪したもうところを慚じず 菩薩の苦悩するところを畏れず 遊戯笑語して徒らに年を送り 諂誑詐欺して空しく日を過ぐ 善友に随はずして癡人に親しみ 善根を勤めずして悪行を営む 利養を得んと欲して自徳を讃じ 勝徳の者を見ては嫉妬を懐く 無徳の人を見ては驕慢を生じ 富饒のところを聞いては希望を起す 貧乏の類を聞いては常に厭離す 故に殺し誤って殺す有情の命 顕はに取り密かに盗る他人の財 觸れても觸れずしても非梵行を犯す 口四意三互に相続し 佛を観念する時は攀縁を発し 経を読誦する時は文句を錯る もし善根を作せば有相に住し 還って輪廻生死の因と成る 行住坐臥知ると知らざると 犯すところの是の如くの無量の罪 今三宝に対して皆発露したてまつる 慈悲哀愍して消除せしめたまへ 皆悉く発露し尽く懺悔したてまつる ないし法界のもろもろの衆生 三業所作のかくの如くの罪 我皆相代って尽く懺悔したてまつる 更にまたその報ひを受けしめざれ
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10月 23日 行蔵

文字通り、穴があったら入りたいような失敗もする。 嵐のような叱責、言われたくなかった言葉、やり過ごす時間。 『法句経』 227 アトゥラよ。これは昔にも言うことであり、いまに始まることでもない。沈黙している者も非難され、多く語る者も非難され、すこしく語る者も非難される。世に非難されない者はいない。 228 ただ誹られるだけの人、またただ褒められるだけの人は、過去にもいなかったし、未来にもいないであろう、現在にもいない。 今日ほめて 明日悪く言う 人の口 なくも笑うも ウソの世の中         一休さん そう、雨が降らなければ、虹はでない。
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10月 10日 切<せつ>

「いつか・・・」「そのうち・・・」「きっと・・・」で、今年、45歳。 口にできなかった言葉、袖を通さなかった服、会えない人。 健康にに生きたいと願う自分自身の、その隣で、自分自身が病を作る。 死にたくないと生きている自分の、その隣で、自分自身が老いを作り、死を作る。 「いってらっしゃい」といつも通りに送り出したあの日。 まさか、それが最後の言葉になるとは、夢にも思わなかった。 こんなことになるのなら、、、こんなことになると知っていたのなら、、、 吾 常に ここに於いて 切なり
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