大童法慧 | 禅語・仏教語・言の葉
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
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禅語・仏教語・言の葉




3月 07日 組織

思い通りにいかないと、イラつく自分がいます。 評価が足りないと、愚痴を言う自分がいます。 上手く渡る人を見て、嫉妬する自分がいます。 上司が「アホだ」と罵り、部下が「動かない」と嘆いても・・・ 心は、決して晴れはしない。 男の修行  山本五十六 苦しいこともあるだろう 云い度いこともあるだろう 不満なこともあるだろう 腹の立つこともあるだろう 泣き度いこともあるだろう これらをじつとこらえてゆくのが 男の修行である 他の過ちを見るなかれ 他のなさざるを責むるなかれ おのが、何を、如何に作せしかを、みずからに問うべし 『法句経』
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2月 21日 看脚下

ああなりたい自分、こうなりたい自分を思い描いて、そこに歩みを進めている私たちです。 でも、ともすれば、そちらの方に重心がかかっていませんか。 もし、そうだとするのならば、ああなりたい自分が遠ざかってしまうと思うのです。 なぜか。 「いま・ここ」を蔑ろにしては、未来は、それに応じたものになってしまう。 だからこそ、看脚下<かんきゃっか>。 そう、重心を「いま・ここ」に置く。
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1月 02日 真実担道の人

路遠くして馬の力を知り、事久しくして人の心を見る。 佛道は順逆の中に長遠の志を堅持するを、真実担道の人というなり。 『大智禅師仮名法語』 年の初めに、幸せを祈り、手をあわす。 でも、祈りの前に、感謝の念がなければ、その祈りは届かない。 感謝の念、それは、すべてを肯定することからはじまる。 全てを肯定する。 共に、真実を担う人でありたいと願います。
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11月 28日 没可把

没可把<もっかは> 何かをつかまえようとすればするほど、逃げていく。 ああでないか、こうでないかと考えれば考えるほど、遠ざかっていく。 かといって、不貞寝していては、話にならない。 明治十一年、大本山永平寺二祖 孤雲懐弉禅師六百回大遠忌での逸話。 修行僧や随喜の御寺院が問答をかけてくるのに、受ける小参師は、45歳頃の森田悟由禅師。 はじめの僧の、「如何なるか、是れ仏」との問いに、悟由禅師は「没可把」と答えた。 次の僧の、「如何なるか、祖師西来意」の問いにも、悟由禅師は「没可把」と答えた。 次々の問答、全て、悟由禅師は「没可把」と答えた。 そして、最後の問答の時、ある僧が有無を言わず、禅師につかみかかった。 悟由禅師は静かに微笑んで、「没可把」と答えたのみ。 その僧は力にまかせて、悟由禅師を引きづり倒そうとしたけれども・・・ 泰然として動かぬ悟由禅師に、恐れをなして逃げたという。 没可把   つかむなよ 没可把   つかまないこともつかむなよ 没可把
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9月 15日 万福

今日、高校からの友人が結婚をする。 結婚式から出席してくれと、招待状が届いた。 品川の高輪教会。 「スーツ持ってないけど?」と聞けば、「知っとるわ。それで、ええよ」と笑った。 高校を卒業して、およそ20年。 変わったものと、変えられなかったものがある。 変えれなかったせいで、あがきもがいた。 変えれなかったおかげで、今朝を迎えることができた。 そう、いつまでも生きれるわけじゃない。 だからこそ、よろずのこと全て福なり、と心得たい。 img0024.jpg 「結婚、おめでとう」 「幸せに」
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8月 28日 常不軽菩薩

比丘はただ万事は要らず 常不軽菩薩の行ぞ殊勝なりける     良寛 法要が得意でなくてもいい。 法話が上手でなくてもいい。 衣やお袈裟の色を心配しなくてもいい。 でも、常不軽菩薩に憧れる心を忘れてはだめだよ、と良寛さんは示された。 常不軽菩薩は誰に対しても、手をあわせ礼拝した。 「我深く汝等を敬う、敢て軽慢せず。 所以は如何、汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし。 ・・・私は、あなたを敬います。 たとえ、周囲の人々が、あなたを非難し、あなたを蔑もうとも。 たとえ、苦しむ者をみて笑ったり、平気で物を盗んだり、自分のことしか好きになれないあなたであっても。 たとえ、信じたものに裏切られ、人生に失望し、自分自身を信じられなくなったとしても。 なぜならば、あなたは今、成仏道の過程を歩まれているのですから・・・」 そう、拝むとは、ふたつのものが一つになる事。 常不軽菩薩は、会う人に手をあわせ、礼拝をした。 でも、時節至らぬ者は・・・礼拝する彼に、罵詈雑言をあびせ、石を投げつけ、杖で打ったという。 指さして笑われる彼は、それでも、礼拝を繰り返した。 比丘はただ万事は要らず 常不軽菩薩の行ぞ殊勝なりける     良寛
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7月 04日 満目青山

拙著『運を活きる』にサインをと、声をかけてくれる方に、「満目青山」と書かせていただいております。 私の網代笠の裏側には、「満目青山」と記してあります。 湛玄老師に書いていただいたものです。 目に青山が満つとは、どういうことなのでしょうか。 ・・・そう、私たちは、瞳ひとつに、全世界を納めることができるのです。 全世界と全く離れていない私たちなのです。 私たちの耳や鼻は、全世界を聴くことができる。 私たちの口は、全世界を飲み込み、吐き出すこともできる。 そして、私たちの心は、全世界を巡ることもできるのです。 つまり、ひとつながりの世界。 衆生縁を結ぶ願いのもと、応量器を掲げ歩いた日々 照りつける太陽 乾いた道 滴る汗 空いたマーガリンの箱に玄米ごはんと沢庵をつめたお弁当 網代笠を置き、草鞋を脱ぎ・・・海に飛び込んだあの日。 ・・・そんな日々のことを懐かしく思いながら、焦がれながら、「満目青山」と書いております。
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12月 12日 鉄舟修身二十則

「修身二十則」 山岡鉄舟居士は、十五歳の時にこれを己に課した。 一. 嘘を言うべからず 一. 君の御恩忘れるべからず 一. 父母の御恩忘れるべからず 一. 師の御恩忘れるべからず 一. 人の御恩忘れるべからず 一. 神仏ならびに長者を粗末にすべからず 一. 幼者を侮るべからず 一. 己に心よからず事 他人に求めるべからず 一. 腹をたつるは道にあらず 一. 何事も不幸を喜ぶべからず 一. 力の及ぶ限りは善き方に尽くすべし 一. 他を顧して自分の善ばかりするべからず 一. 食する度に農業の艱難をおもうべし 草木土石にても粗末にすべからず 一. 殊更に着物を飾りあるいはうわべをつくろうものは心濁りあるものと心得べし 一. 礼儀をみだるべからず 一. 何時何人に接するも客人に接するよう心得べし 一. 己の知らざることは何人にてもならうべし 一. 名利のため学問技芸すべからず 一. 人にはすべて能不能あり、いちがいに人を捨て、あるいは笑うべからず 一. 己の善行を誇り人に知らしむべからず すべて我心に努むるべし 不況による閉塞感 派遣  リストラ 内定取り消し 倒産 店じまい 権利と補償を叫ぶ声 利益と成果の希求ゆえのマイナス ゆえに須く言を尋ね語を逐うの解行を休すべし 須く回向返照の退歩を学すべし       『普勧坐禅儀』 偏差値、学歴社会、ひかれたレール。 金が全てのような世の中に息苦しさを覚えた。 でも、ガキじゃないからさ。「金が全てじゃない」なんて、もう言えないよ。 金は大切。学歴や資格だって、親の遺産や土地だって、そりゃあ、あれば素晴らしい。 そういえば、誰かが言ってた。「人間は心だ」 けど、心ってなんだよ。 男の純情を弄ぶ女もいたし、人の懐ばかりをあてにする野郎がいる事も知った。 新聞をひろげれば、盗む・騙す・殺すの繰り返し。 満員電車の中、ながめ見るのは座右の銘を書きつけた手帳。 職場への電話は、元妻からの養育費の督促。月5万円。娘はまだ3歳。 順番がきて歌い始めた十八番。涙を浮かべながらマイクを握り、声を絞り出す。 やっと、辿り着くアパート。 見ないテレビをつけて、独り酒をあおり・・・そして、また朝がくる。 退歩を学ぶ。 今この時こそ、まず、己の姿を知る。 嘘はないか? 後悔はないか? 精一杯生きているか? 大切なものは何か? それで、お前は・・・満足か?
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10月 03日

仁に過ぎれば弱くなる 義に過ぎれば固くなる 礼に過ぎれば諂いとなる 智に過ぎれば嘘をつく 信に過ぎれば損をする 気ながく心穏やかにしてよろず倹約を用い金を備うべし 倹約の仕方は不自由を忍ぶにあり この世に客に来たと思えば何の苦もなし 朝夕の食事はうまからずとも誉めて食うべし 元来、客の身なれば好き嫌いは申されまい 今日の行くを送り 子孫兄弟によく挨拶して 娑婆の御暇申したがよし             『伊達政宗五常訓』 私がこの世にきた客ならば、主人は誰だろう? 神さんか、仏さんか?それとも・・・ 「お客さまは神様です」 と客が威張る。 「我こそはお客さま」と権利をふりかざし、過剰なサービスを要求する。 けれど一旦責任がからめば、その他大勢に早変わり。 昨今、客よりも主人になりたがる人が多い。 お客である楽しさを忘れては、もったいないなぁ。 旅に出ても、写真を撮る事ばかりに気が向いてしまう。 コンサートやナイターに行けば、帰りの混雑が気にかかる。 飲みに行っても、財布の中身に気をもんでしまう。 生まれてきても、あれこれと気に病んで・・・ 三流の客では、主は務まりやしない。 客とは、独りを慎み、独りを楽しむ人。
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7月 21日 夏に

うだるような暑さが続くと、なぜだか、思い浮かんでくる詩があります。 昭和54年、青年医師井村和清さんが32歳で癌を患い亡くなりました。 彼には、1歳半の長女飛鳥ちゃんと、2人目の子供を身ごもった妻がいました。 亡くなる直前、最後の正月に残した詩です。 「あたりまえ」 井村和清 あたりまえ こんな素晴らしい事をみんなは何故、喜ばないのでしょう あたりまえである事を お父さんがいる お母さんがいる 手が2本あって、足が2本ある 行きたい所へ自分で歩いてゆける 手を伸ばせば何でもとれる 音が聞こえて声がでる こんな幸せはあるでしょうか しかし誰もそれを喜ばない あたりまえだと笑って済ます 食事が食べられる 夜になると、ちゃんと眠れ、そして又朝が来る 空気を胸いっぱいに吸える 笑える、泣ける、叫ぶ事ができる 走りまわれる みんな、あたりまえのこと こんな、素晴らしい事を、みんなは決して喜ばない そのありがたさを知っているのは それを無くした人達だけ 何故でしょう あたりまえ 和清 今夜も、また熱帯夜。 どうぞ、ご自愛を。
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