大童法慧 | 備忘
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
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1月 09日 挫けない

今年いただいた年賀状の傑作。 どんなに素晴らしい名画よりも、どんなに素敵な宝石よりも、もっともっと大切なものを持っている。 どんな時でも、どんな苦しい場合でも、愚痴を言わない。 参ったなどと泣き言はいわない。 そんな一年を過ごしていきたい。     サマンサ小野会長 正月二日18時頃、近所のスーパーでの出来事。 賑わう店内に、大きな声が響いた。「万引きだ、捕まえろ」 二人の男が凄まじい勢いで、出入り口へと走る。 一人は万引きをした男、もう一人は、それを見つけた客の男。 しばらくして、客の男が、70歳を超えたと思われる男性を引き連れて得意げに店内に戻り、言い放った。 「店員さん、こいつは万引きをしました。」 ・・・トマト、三個。 彼の事情は知らない。動機も聞きたくはない。 ・・・挫けない。 もう道がないと思っても、案外、ないところにも道がある。 そう、何もないところからでも、はじめられる。
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6月 20日 沈潜

『運を活きる ~一息の禅が心を調える~ 』を上梓して、ひと月あまり。 お世話になっているご老師から励ましのお言葉を頂戴したり、懐かしい友人から連絡があったり、新しくお会いするご縁に恵まれたり、本を手にして坐禅会に参加される方もいれば、手紙をくださる方もいます。 また、耳の痛いお言葉を投げかけられたり、思いもよらぬ捉え方をされたり・・・いずれにせよ、おかげさまで、多くのご縁をいただいております。 先日、恩師より、水葵の写真のついた葉書を頂戴いたしました。 謹啓 新緑の候 玉書を御恵贈下され、誠に有難うございます。 私は、人間的な思い、要求をすべて蹴飛ばしたところに真実の仏法があると思います。 俗僧にならぬように願います。 敬具 ・・・しばし言葉を失いました。 俗僧には違いないのだけれども、沈潜の時節だな、と。 そう、向かうべき相手は、他より自己。禅定力を養い、祖録に親しむこと。
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11月 07日 衣の色

笑い話ではないのですが・・・ 友人のお寺に呼ばれて、法話をした布教師さん。 お檀家さんが100人程度集まって、1時間半ほど彼のお話を聞いたそうです。 話し終えて、控室に戻った布教師さん。 そこに、お寺の総代さんが挨拶にきました。 「今日は、ありがとうございました。 いやぁ~今日の法話は素晴らしかった。わかりやすかったです。とてもいいお話でした」 誉められて、悪い気がしない布教師さん。 喜色満面で、思わず問うてしまいました。 「そうでしたか。どこが、よかったですか?」 しばしの沈黙の後、総代さんがポツリと一言。 「・・・お衣の色が・・・」 先月末、高円寺に行きました。 笑福亭鶴瓶さんの唄つるべ~トーク&ライブを観ました。 ゲストは、シンガーソングライターの石野田奈津代さん。 唄つるべとは、鶴瓶さんがトークして、ゲストはその頃合いをみて歌うというスタイルです。 トークに応じて歌があり、歌に応じてトークがあり、台本なしの一発勝負。 それぞれに思いをさらけだし、お客さんが笑いや涙で応える。 伝えたい想いと響く力が結集した場。 おそらく、あの場にいた方は、とても温かな素敵な時間を過ごしたでしょう。 恥ずかしながら、私も御縁をいただいてお話する機会があります。 不肖ながらも、お声をかけていただいた御縁を尊んで、どこにでも行ってます。 話している途中、急に、何も言葉が出てこなくなった事がありました。 また、お叱りの手紙をいただいた事もあります。 慙愧の涙を流した事もあります。 発声やスピード、間の取り方やアイコンタクト、話術と表現、そして、「上手に話したい」という気持ち。 それらは大切な事だけど、しかし、そこにはまず、「伝えたい想い」がなければ響かない。 その「伝えたい想い」を、もっと純化していかねばならないなと感じる11月です。 温かな時を作る事ができるだろうか? 何か一言でも、届く言葉を投げかけているだろうか? 「衣の色」になっていないだろうか?
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9月 21日 「無常のはたらき」

新大阪から東京に向かう、新幹線。 名古屋で、杖をつく老僧が、私の隣の席にお座りになられました。 齢80、臨済宗の御老僧でした。 友人の葬儀に行き、これから、自坊に帰られるとの事。 そのしわがれ声にぬくもりを感じ、東京までの2時間、ビールを飲みながらお話を頂きました。 1、吾我名利の念、自分の物差しを捨てる。 2、現実をなさしめるものは何かの視点。 現れたものだけを見て、現実という。しかし、「何故、現れたのか」の視点を。 3、生きている間に、人間の目覚めを訴えるのが仏教。 人間にならずして、多くの人が、死んで仏となる。 4、社会の価値に幻惑された人生。道徳や倫理に犯された人生。 世の中の価値だけを集める人生。表を飾る。 人間をほったらかしにして、世の中の価値だけで競争する。 教育や社会はできるか、否かだけを問う。 それは、能力の問題であって、人間性の問題ではない。 5、真理に適わなければ、どんなにそれを好んでいても、潔く捨てていく。 どんなに辛くとも、それを受け止めていく。 「人生を自分の計らいではなく、いのちそのものにまかせきる事を生活の上で持てば、そう心配することはない」とさらりと語った言葉に、有無を言わせない強靭な力を感じました。 長年、練られ練られて、坐ってこられた信心の結晶だ、と。 「こんな日本だからこそ、無常のはたらきを説かなければ・・・」と、肩をたたかれました。
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9月 09日 いただきます

幼い頃をふと思い出しました。 「いただきます」と手をあわせ、箸をとる僕。 「残しちゃあ、いけんよ」と、母の声。 いただきます、このいまを。 目に真っ直ぐ突き刺さる注射針を。 結膜を切り裂くハサミの鈍い音を。 レーザーメスの緑色に輝く発光を。 いただきます、このここを。 役僧を辞め、独りの道を歩む決意を。 組織に所属せず、独りの道を切り拓く決心を。 自由に生きる誇りと自恃を。 いただきます、この私を。 臆病で、見栄っ張りで、エエカッコしいのこの私を。 わがままで、甘えん坊で、スケベエなこの私を。 慳貪で、姑息で、人を騙して笑えるこの私を。 苦しみから救われる事が、全てではない。 苦しみが、私を救う事だってあるのだ。 見えるものだけに、絶望などするな。 人間は、絶望にでさえ支えられて生きる事ができるのだ。 全てをいただいて、深く生きる。 全てをいただいて、深く生きる。
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6月 30日 土を耕す

最近、目がかすんでくるようになりました。 かなりのメタボなので、もしや糖尿病かと思いながら とりあえず、目薬を求め薬局に行きました。 目薬のコーナーを見て、とても驚きました。 40歳以上の目薬のコーナーがあるんですね。 そういえば、昭和44年生まれ、今年39になります。 ああ・・・私も、もうじき40か。 先日、本山でお世話になった老師とともに、新橋と六本木。 老師曰く、 「世間は、地位や名声を求め、早く結果が出ることを望む。 だが、禅坊主は違うぞ。 土を耕す事を考えようじゃないか。 いい土を作る事だよ。種を植える前の話だ。 40なんて、まだまだだ。」 目薬をさすと、あら不思議、かすみがとれました。
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