大童法慧 | 法話
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
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4月 15日 不害の説法

「そのままのあなた」からはじめる『修証義』入門    ~ 生死の問いを31節に学ぶ ~  「同事」の節  あなたを主語にした意訳 抜粋   お釈迦さまの「不害の説法」を思い起こしましょう。   かつてコーサラ国のパセーナディ王とマッリカー妃は「自身が一番愛しい」という心に至った己に驚き畏れ、その正否をお釈迦さまに問いました。   すると、お釈迦さまは「人の思いは、いずこへもゆくことができる。されど、いずこへおもむこうとも、人は、おのれより愛しいものを見いだすことはできぬ。それとおなじく、他の人々にも、自己はこの上なく愛しい。されば、おのれの愛しいことを知るものは、他のものを害してはならぬ」とお応えになられたのです。   それは、自我愛を否定するのではなく、人間が持つ「内なる暴力性」を慈悲心と不害という智慧で離れていきなさいとのお示しでした。   ですから、同事は、「他者の傍らにいて何を為したのか」という結果のみを問うているのではないのです。そこに至るまでの、あなたの心に湧き上がってくる様々な感情、言葉の遣り取りや沈黙、空気感や時間の軽重など、そこに起こるダイナミズムなはたらきを味わいながら、「人間として生きる」ことを学ぶ過程をも含んでいるのです。   つまり、何よりもまず「己とは何か」について深い省察をしていくことであり、そのうえで手にした慈悲心を胸に、誰かを傷つけるのではなく容認し、何かを害するのではなく容受し、「共なる私たち」を痛めない行なのです。        ...

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3月 18日 眼にて云う

  2年前、ご主人の7回忌の折、「私も戒名をもらえないかな」と生前戒名を求めた人。 相談の結果、3ヶ月後に生前戒名の儀式を執り行う。   そして、久しぶりの電話。 呂律の回らない口調。   「実はね、二ヶ月ほど前にがんが見つかったのよ。大腸がん。お医者さんが言うにはさ、もう手術はできないんだって。だから、痛みをとってもらうだけなのよ。だから、今、葬式が気になって。娘には伝えたのだけれど、葬儀社と斎場は主人と同じところ、あとの気がかりは法慧さんにしてもらいたいのよ」、と。   「いいですよ」と応えたら、「これで安心。もう思い残すことはないわ。全部すっきりした」とのこと。   思い切って「今、どんなお気持ちですか」と尋ねたら、「うん、さっぱりしたの。全部、最後まで自分で決められたからね」と。   しかし、数秒後。 「けどね、、、」という言葉の後に仰ったことは、「やっぱり、怖いのよね。死んだあと、どうなるのかなって。こんなことを娘には言えないけれど、やっぱり、怖いと思ってしまう時がある。まぁ、仕方ないよね」と少しの笑い声。   その乾いた笑い声に、人間の哀しさを手に取って見せてもらった気がした。頭では解決していても、いざ死を前にした時の不安や緊張は決して無くなるものではない。けれども、それでいいのだ、と。   眼にて云ふ    宮沢賢治 だめでせう とまりませんな がぶがぶ湧いてゐるですからな ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから そこらは青くしんしんとして どうも間もなく死にさうです けれどもなんといゝ風でせう もう清明が近いので あんなに青ぞらからもりあがって湧くやうに きれいな風が来るですな もみぢの嫩芽と毛のやうな花に 秋草のやうな波をたて 焼痕のある藺草のむしろも青いです あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが 黒いフロックコートを召して こんなに本気にいろいろ手あてもしていたゞけば これで死んでもまづは文句もありません 血がでてゐるにかゝはらず こんなにのんきで苦しくないのは 魂魄なかばからだをはなれたのですかな たゞどうも血のために それを云へないがひどいです あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが わたくしから見えるのは やっぱりきれいな青ぞらと すきとほった風ばかりです。  ...

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12月 31日 真実担道の人  

生きて今あるは    路遥にして馬の力を知り、事久しうして人の心を知るなれば、仏道は順逆の中に長遠の志を堅く持つを、真実担道の人と云なり   『大智禅師仮名法語』   穴があったら入りたいような失態を犯せば、取り返しのつかない失敗もある。嵐のような叱責、言われたくなかった言葉、やり過ごす時間。 如何ともしがたい事実を突き付けられた時、あなたはどうするだろうか。妬み嫉みで貶めようという世界が現れたとしても、自分がどんなに嫌いになったとしても、「もうだめだ」と呟く事態に陥ったとしても、南無帰依佛と誓った私たちは、それらを菩提の行願として歩み続けるお互いでありたいのです。     冬の章  「親」   私はもう老い朽ち、齢をかさね老衰し、人生の旅路を通り過ぎ、老齢に達した。わが齢は八十となった。譬えば古ぼけた車が革紐の助けによってやっと動いて行くように、恐らくわたしの身体も革紐の助けによって持っているのだ 『ブッダ最後の旅』 四十歳も半ばを過ぎると、友人からの結婚式の招待状はほとんど届かなくなります。たまに二度目や三度目の案内を受け取ることもありますが、祝い事へのお呼ばれよりも、喪服を着る機会の方が増えてくるものです。そして現実に、親の介護や葬儀というものに直面する世代となります。 「親孝行、したい時には親はなし」この言葉を聞いて、御両親とお別れされた人ならば、「ああ、なるほどな」と感じることでしょう。また、その悲しみが最近のものであるならば、涙でもってこの言葉を噛みしめていることでしょう。 生意気盛りの頃、「自由に生きたい」と親に言ったことがあります。息の詰まるような閉塞感を感じ、「早く、この家を出ていきたい」と願ったこともあります。 いつもの朝、見慣れた食卓、自分の部屋、親の顔。でも、そこは、実はなにもかも満たされていた場所でした。  私の手元に、原田湛玄老師と高橋祖潤尼様と両親、そして、私の五人が並んでいる写真があります。得度式の後、撮影したものです。 平成九年二月八日、湛玄老師に私は頭を剃っていただきました。徳山から駆けつけた両親は、我が子が出家するという出来事をどのように受け止めたのでしょうか。 得度式が終わり、小浜駅で見送る私に母が言いました。 「あんたの択んだ道じゃけん、自分が本当に納得するまでやりんさい。家のことは、心配せんでええから」 数日後、赫照軒にお参りに行った際、高橋祖潤尼様が噛んで含めるように示されました。 「法慧さん、親ほどありがたいものはないよ。親ほどあなたのことを想ってくれる人はいない。あなたが迷っていた間、御両親はあなた以上に悩んでいたはずだ。けれども、じっと待っていてくれた。それを決して忘れてはいけない。 出家は家を出るといいますが、親との縁が切れたのではありません。毎朝、毎晩、親のために手を合わせる心を忘れてはなりません。そのことによって、また、親との新たなご縁が生まれるのです。 親孝行とは、親に心配をかけないことです。まっとうに生きてほしいと願うのが親だよ。人柄な人に育ててくれたご両親を拝みなさい。」 白い頭、遠くなった耳、老いていく身体。改めて思うのです。自らの命を削って、我が子を育てたのだ、と。 懐かしく暖かな日々、穏やかで緩やかな時間、宝物のような故郷。   春の章 「初詣」   親の死とは、あなたの過去を失うこと。 配偶者の死とは、 あなたの現在を失うこと。 子どもの死とは、あなたの未来を失うこと。 友人の死とは、あなたの人生の一部を失うこと。             『愛する人を亡くした時』 グロールマン お正月、やっとの思いで、主人と初詣にでかけました。この3年間、お正月が来ても、とてもそんな気持なれかった。主人も同じだったと思います。でも、思い切って誘いました。 娘が生きていた6年間、毎年、一緒にでかけた神社です。はっきりと思い出しました。娘の事を。ああ、ここでお御籤を買ったな、ここでお昼を食べたな、ここで写真を撮ったな、と。 毎年、家族で一枚の絵馬を求め、願い事を書いていました。元気で暮らせますようにとか、パパが煙草をやめられますようにとか、マンションを買う夢もありました。 「絵馬を書かない?」と、主人に言いました。彼は黙って頷いて、先に書きはじめました。渡された絵馬には「貴代美が幸せになりますように パパ」と、書いてありました。貴代美とは、娘の名前です。 それを見た時、涙があふれました。 でも、その時、強く思ったのです。「この人と一緒なら、きっとやり直せる」って。 亡き吾子の 幸せ願う 初詣 それでも、生きる。それでも、生きる。そうすれば、そこに、新たな風が吹く。きっと、穏やかな優しい風が吹いてくる。   夏の章  「我が身」   百計千方、只だ身の為にす 知らず、身は是れ塚中の塵なることを 言うこと莫れ、白髪に言語無しと 此れは是れ、黄泉伝語の人   香厳智閑禅師 日々の多くの考え事は、我が身可愛さのためじゃないだろうか。少し落ち着いて、自らの年老いた姿を想像してごらん。「本当に大切なものは何なのか」を、先に逝った方々が教えてくれるはずだよ。 手にした物の数を競う人生。人を二つの種類に分ける世の中。悲しい哉、私たちには、物事に善悪や優劣の評価を自分の感覚のみで行い、それを絶対の価値観として生きてしまっているのではないだろうか。そして、他者との比較の中で、自分を確認し、強く見せたり、賢く見せたり、威張ったり、怒鳴ったり、結果、消費による自己実現。 あいつは金持ちだけど、俺の方が頭はいい。あの人はもてるけれど、私の方が心はきれい。そんな言い訳を作り出し、自らを慰める。でも、比べる世界に満足や喜びはないのです。 もしも、あの時、あの言葉を言っていれば、もう少し、ましな男になれただろうか。もしも、あの時、深く考えていれば、もう少し、まともな人生を送れただろうか。 こんな調子で、この先、自分で自分のことがわからなくなったり、身の回りの世話をしていただくことになったりした時、私は優しく、楽しく、明るい自分でいられるだろうか。 修行道場では、夜の坐禅の終わりに、木版が鳴ります。古参の僧が木版を打ちながら、「生死は事大にして、無常は迅速なり。各々宜しく醒覚すべし。慎んで放逸すること莫れ」と、禅堂に坐る者たちに低い声で朗々と告げます。静寂の中、木版を叩く音が身体に染み込み、その声が身体に響き渡ります。 時間は、おのが耳で聞き取れぬほどの凄まじい轟音をたてながら、万人の中を等しく通過します。でも、時間が私たちの上を走り去っているのではないのです。そう、私たち自身が過ぎ去っているのです。私たち自身も移り変わっていきます。だからこそ、現実のこの暮らしは何よりも強くあり、何よりも逞しくありたい。 我が身可愛さから、少し離れる夏を過ごしたいものです。   秋の章  「君に」   衆生無辺誓願度。人生を長短ではなく、濃淡で汲み取る覚悟をいたします。 煩悩無尽誓願断。人生を私からではなく、公や義からはじめる視点を育てます 。 法門無量誓願学。人生を世間の知恵だけではなく、佛智慧を育てる視点を持ち続けます。 仏道無上誓願成。人生を今生だけのものではなく、「ひとつながりのいのち」として受け止めます。   君も知っているだろう。あの日から、「君が何故こんなことになったのだろう」とひたすら悩み続ける家族の姿を。 気丈に振舞っていたお父さん。目を真っ赤に泣きはらしたお姉さん。必死に歯を食いしばっていたお兄さん。そして、棺の蓋を閉めることを拒むお母さん。 火葬の炉の蓋がゆっくりと閉まった時。耐えていたお父さんは、君の名前を大きく叫び、その場に倒れこんだ。お姉さんは、絶叫と嗚咽を繰り返しながら、肩を落とした。お兄さんは、声を詰まらせ、落ちてくる涙を拭こうともしなかった。お母さんは、その閉まる蓋の中に、飛び込もうとした。 家族のそんな姿を、君は想像できていただろうか。深く深く家族から愛されていることに気付いていなかったのかい。 君には自死を選ばねばならなかった理由があったのだろう。いや、そうするより、他に、手立てがなかったのかもしれない。しかし、もしそうだとしても、君は、まだ二十歳だ。 「先立つ不幸をお許しください」という台詞は、愛する者のために、守る者のために、命を賭す者の言葉だ。決して、自分のために命を断つ者の言葉ではないはずだ。 咽びながら君のお骨を抱えるお父さん。泣きながら君の位牌を抱くお母さん。力を込めて君の写真を持つお兄さん。涙をとめることのできないお姉さん。しばらくの間、君の大切な家族から笑顔が消えることになるだろう。 でも、大丈夫。みんな、多かれ少なかれ、生きていく悲しみを抱えている。大丈夫、君の家族なら、大丈夫だよ。 君は、本当に、愛されていたんだ。そして、君は今でも愛されているよ。だから、今度は君が家族を愛する番だ。大きな荷物は、ここに置いて。さぁ、もう一度、父の子となり、母の子となり、姉の弟となり、兄の弟となり、そして、君が君になる。   新年の章 「感謝」 新年の佛法如何と問わば 口を開いて他に説似するを須いず 露れ出ず東君の真面目 春風吹いて綻ぶ臘梅花 『大智禅師偈頌』   年の初めに、手をあわせ、幸せを祈る。その手に、怨みつらみはないだろうか。その祈りに、「今・ここ」への感謝の念はあるだろうか。 感謝の念、それは、すべてを肯定することからはじまると思うのです。受け入れがたく、目を背けたくなるような「今・ここ」であったとしても、「今・ここ」からはじめていく。「今・ここ」から逃げない。南無帰依佛と誓ったからにはその勇気を忘れずに、共に真実を担う人でありたいと願います。   平成27年 『大法輪』巻頭言...

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12月 24日 ポリティカルコレクトネス ノイジー・マイノリティ

ポリティカルコレクトネス ノイジー・マイノリティ ・・・そこにあるものを見直すのではなく、自分側の視点だけで完全否定することのよう。       除夜の鐘は五月蠅いから、とクレームを頂く時代です。 盆踊りにはイヤホンをして踊る処もあるそうです。 そのうち、初詣も近所迷惑となるのでしょうかねぇ。     「初詣」  お正月、やっとの思いで、主人と初詣にでかけました。 この3年間、お正月が来ても、とてもそんな気持なれかった。主人も同じだったと思います。   でも、思い切って誘いました。 娘が生きていた6年間、毎年、一緒にでかけた神社です。   はっきりと思い出しました。娘の事を。ああ、ここでお御籤を買ったな、ここでお昼を食べたな、ここで写真を撮ったな、と。   毎年、家族で一枚の絵馬を求め、願い事を書いていました。元気で暮らせますようにとか、パパが煙草をやめられますようにとか、マンションを買う夢もありました。   「絵馬を書かない?」と、主人に言いました。彼は黙って頷いて、先に書きはじめました。 渡された絵馬には「貴代美が幸せになりますように パパ」と、書いてありました。 貴代美とは、娘の名前です。   それを見た時、涙があふれました。 でも、その時、強く思ったのです。「この人と一緒なら、きっとやり直せる」って。   亡き吾子の 幸せ願う 初詣 それでも、生きる。それでも、生きる。 そうすれば、そこに、新たな風が吹く。 きっと、穏やかな優しい風が吹いてくる。   平成27年 『大法輪』巻頭言より「春の章」抜粋...

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10月 29日 人はそれぞれ

「追って連絡しますから、企画はそのままでお願いいたします」と連絡を受けて2年。 「ご都合の良い日をお知らせください。お会いしましょう」と言われて数か月。 結果、どちらも、なしの礫。 これも自らの不徳の致すところ。   その一方で、とても有難いことに、定期的にメールをしてくださる方もいる。 「飲みに行かないか」と声をかけてくれる友もいる。     お釈迦さまには十大弟子という、特に優れたお弟子がいました。 智慧第一の舎利弗(しゃりほつ) 神通第一の目連(もくれん) 頭陀第一の摩訶迦葉(まかかしょう) 天眼第一の阿那律(あなりつ) 解空第一の須菩提(しゅぼだい) 説法第一の富楼那(ふるな) 論義第一の迦旃延(かせんねん) 持律第一の優波離(うばり) 密行第一の羅喉羅(らごら) 多聞第一の阿難(あなん)   また、お釈迦さまの弟子には、六群比丘といわれた者たちもいました。 チャンナ、ラールダーイ、ナンダ、ウパナンダ、アッサジ、プナヴァッサという6人の弟子です。   実は、彼らの悪事のおかげで戒律が増えたと伝えられています。 その六群比丘の一人のアッサジかどうかは定かではありませんが、、、 お釈迦さまのご入滅を知った摩訶迦葉尊者に随行した500人の比丘の一人、アッサジはお釈迦さまがご入滅したことを喜び、「これで面倒な戒律を守らなくて済むからよかった」と言ったそうです。     「人はそれぞれだから」と達観したわけでもないのですが、、、、 お釈迦さまのご生涯にあっても、十大弟子もいれば六群比丘もいたのだと少し励ましてくれるような心持になれるのです。    ...

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10月 08日 5年間

  痛みは心だけではなく、身体にも現れる。   「死ぬことは怖くありません。だって、向こうに行けば主人と会えるから」と仰る還暦を前にした女性と出逢いました。   彼女はおよそ30年前にご主人と死別しました。 以来、幼い二人の子どもを抱え、懸命に働きました。 今では、それぞれに家庭を持ち近くで暮らしているとのこと。お孫さんもいらっしゃるそうです。   「主人と死別してからの5年間、私は死んでました」と彼女は表現しました。 「それはどういうことですか」とお尋ねすると、「あまりにショックが大きくて、私という個人がなくなり、唯の物体のようでした。たとえば、食事の準備をし、子どもに食事を摂らせる。けれども、その片付けができなかったのです。僅かなことでも、それを休み休みしなければ、し遂げることができませんでした。そして、身体中が痛かった。でも、死別して5年が経った頃、片付けがさっとできた自分に気づいた時、ああ、なんとか私に戻ることができたんだ、と思えました。すると、不思議と身体の痛みも消たのです」   それを経験しなければ学べないことが人生にはあります。 叶うならば、痛いことはさけたいのも人情ですが、避けれないことも人生にはあるのです。  ...

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9月 03日 400字で、死について考えること 

死についての判定や定義は文化、時代、分野で異なります。また現今は、脳死という問題を避けて通れず、尊厳死、安楽死という選択枝も増えました。しかしどちらにせよ生の謳歌を最上とする社会では死と生は断絶され、死は嫌われたままです。   僧侶でもあった種田山頭火は、「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり(修証義)」と前書きして、「生死のなかの雪ふりしきる」と詠みました。彼は「雪ふりしきる」日々に、「生死とは何か」という問いを生き、そして、生と死は対立するものではなく、生も死も「他ならぬ私」の在り様のことなのだと気づきました。どこにいても止むことはない雪を嫌わないと覚悟した時、己のなかにどんな人生をも否定しない逞しい力が備わっていたことを知ったといえます。   生命倫理の分野上、SOLとQOLが統合された大きな概念は未だありません。だからこそ、宗教的見地からの智慧を学ぶことを放棄してはならないと考えます。    ...

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8月 13日 命を寿ぐ

  この国は「前例のない高齢社会」を迎えています。健康長寿の論理的帰結の一つに認知症の増加があります。認知症の中核症状やBPSDを学習しても、感情は最後まで残るのだと教えられても、家族介護者の疲弊は解消できません。厚生労働省は新オレンジプランを展開していますが、地域社会は理想を共有できず、介護で家庭が崩壊した話も珍しくありません。また、報酬の問題もあるのでしょうが、ユマニチュード、バリデーションの講習を受講しても介護士の離職率は高いままです。   今や「長生きは素晴らしい」という考え方だけでは、理解し得ない状況が生まれています。それは当事者や家族だけではなく、国においても医療業界の人材不足、社会保障費や介護負担の増大、また、生産年齢人口の減少を伴っての国力の低下や社会福祉制度崩壊が待っていると指摘されています。   生きるに値する生とそうでない生があるのか、そんな問いが立つこと自体、「私たちは何故生まれて、何故生きなければならないのか」という視座が欠けているからではないのでしょうか。そして、「私の命は私だけのもの」と思い込んでいるからではないのでしょうか。   九十歳を前にした認知症の老婆とご縁を頂戴しました。昨日お会いしたのに、「久しぶりだね、元気だった?」と挨拶をされます。「どちら様でしたか?」と訝しげに問われます。彼女の話はいつも「若い人はいいね。歳を取ったら何もなくなった」からはじまります。そして、帰り際には必ず握手を求めます。私の目をみつめ「また、来てね」と言い、その言葉が納得に変わるまで手を放しません。   面談の時間はおよそ一時間。人生の来し方を懐かしむように話される時もあれば、歩まれた隘路に落涙する時もあります。また、お茶飲み話で終わることもあれば、テレビを一緒に見て過ごすこともあります。   彼女は徘徊や弄弁もなく、泣き喚いたり害を及ぼしたりすることもありません。お迎えの時をじっと待っているかのように、見もしないテレビの前にいつも独り座っています。他の利用者に比べれば、手のかからない優秀な人でしょう。彼女の現在を「生産性と利益の追求」というカテゴリに見れば、彼女は何もしていません。だからといって、彼女は不要なのでしょうか。   彼女の口癖は「親孝行をしなければならない」です。彼女は親の顔を知りません。生後すぐに捨てられたそうです。しかし自身の出産を経験した時に憎んでいた両親を許せたのです。「何が為されて命が在るのか」を知ったといいます。それは「私の命は私だけのものではなかった」という大きな気づきによるものです。   今、私は「命は消費するものではなく寿ぐものである」と彼女から学んでおります。そして、命は比べるものではなく、それぞれの持ち場で命を寿いで生きていくこと自体に価値があるのだ、と教えられています。...

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6月 25日 問題

遅刻 失敗 思い違い 一つのミス そうすると、あなたそのものが悪いと追い詰められる 問題が問題でなく、人格や存在が問題となる 結果、「腹を切るまで許さない」 その事実が悪いのか、それとも、あなた自身が悪いのか   お釈迦さまと弟子の問答です。 弟子「知って犯した罪と知らずに犯したる罪と、どちらが重いのでしょうか?」 お釈迦さま「あなたは、どう考えますか」 弟子「知って犯した罪の方が重いはずです。悪いと知りながらも、それをしたのですから」 お釈迦さま「実は、そうではありません。知らずに犯した罪は知って犯した罪に比べ、何倍も重いのです」 弟子「どうしてでしょうか」 お釈迦さま「知って犯した罪には限度というものがあります。自制があります。 また、それを咎められれば反省ができます。反省ができれば、悔い改めることができるものです。けれども、知らずに犯す罪には際限がありません。行きつく所にまで行ってしまうかもしれない。また、悪という自覚がないから、反省することができません。だから、悔い改めることができないのです」     子曰、君子不重則不威。學則不固。主忠信、無友不如己者。過則勿憚改。 子曰く、君子重からざれば則ち威あらず。学べば則ち固ならず。忠信を主とし、己に如かざる者を友とすること無かれ。過まてば則ち改むるに憚かること勿れ。...

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5月 14日 行というものへの小さな考察と期待

二宮尊徳は『二宮翁夜話』に「神道は開国の道なり。儒教は治国の道なり。仏教は治心の道なり」と記した。このシンクレティズムの様相を彼は「神儒仏正味一粒丸」と表現した。それは、神道・儒教・仏教のいいところが対立することなく混ぜ合わせたものであり、日本人が育ててきた宗教性を象徴した言葉である。   そして、「一粒丸」の効き目が薄まった感の強い現代の日本人は、「無宗教である」ということに恥じらいを感じないようになった。年中行事や通過儀礼も商業イベントとして形こそ遺しているが、そこに宗教性を求める人は多くはない。宗教に近づかない代わりに、スピリチュアル的なものやインスタントな悟りを求める傾向が強い。   1980年頃から梅原猛は、日本固有の信仰は縄文人の信じたアニミズムにあると主張した。梅原猛『日本研究』(1989年 国際日本文化研究センター)「アニミズム再考」には、冒頭部に「私は結局、日本の神道や仏教はアニミズムの原理によっていると思う」と前置きし、「アニミズムを失った高等宗教は、アニミズムを失ったことによって重大な思想的危機に立つと私は思うのである」と論じている。   カール・ヤスパースの限界状況の例には死、苦、争、責、由来、偶然などがあるが、それらは人間として生きる以上、誰しもが抱えなければならない事柄である。縄文の安住しない厳しい環境に身を置いたからこそ見えた、誕生や死、自然との闘いや共存、そして、他者との関わりは文字通り切実なものであっただろうし、自分の力だけでは如何ともしがたい現実は、祈りという崇高な行為を生み出しただろう。その祈りを形に現した土偶に、梅原は「死の尊厳と再生への願望」を感じ取り、アイヌや沖縄の宗教や文化に懐かしさを覚えたのであろう。   故に梅原は、縄文人のアニミズムの特徴を二点指摘する。一点目は、人間だけではなく動植物や無機物、天然現象に至るまで霊を認めようとすることである。二点目は、その霊が身体からの離脱とその復活するという認識であり、つまりは、生というものは全て再生や蘇りであり、新生はありえないということである。この二点から、アニミズムは神道にも仏教にも通じ現代科学が明らかにした生命の真実とも相通じると主張する。そして、このアニミズムを非科学的として受け取らない現代の感性が、人類の危機を招いたとまで論じている。   梅原の説くアニミズムを感じ取る力は、重層的な「ものの見方」を修練することに役立つであろう。しかし、「「草木国土悉皆成仏」をまさにアミニズムの思想そのまま」とし、それを「自然崇拝・樹木崇拝」と同一視することに異を唱えたい。なぜならば、この釈迦の悟りの言葉は、個々に霊が宿った姿の発見の驚きを表したものではないからである。それは、「あらゆるものとの繋がり関わる縁起なる大きな命」を生きていることに気づいた叫びであり、アニミズムの趣とは全く別なるものである。   日本宗教史においての大きな転換点は、救済宗教の仏教やキリスト教の伝来、檀家制度の確立、廃仏毀釈、敗戦、新興の宗教などが挙げられる。宗教は為政者に利用されながら、また、利用しながら民衆と共にあろうとした。だからこそ、文化や思想、人間の生き方に深く結びついた。   島薗進は『現代救済宗教論』(1992年・青弓社)において、救済宗教が歴史宗教から新宗教を経て、新霊性運動へと変遷した姿を捉え、救済の質が個人主義化してきたと指摘する。それは、宗教が社会に独立してあるのではなく、社会が宗教を離れてあるのでもないことの証左といえよう。例えば、敗戦後の政教分離政策、都市の在り方や居住構造の変化などの出来事を経験し、義務を伴わない自由という価値観やこの世限りの人生観が蔓延した。そして、死への信頼を失った人が多くなった。それ故に、我々は「孤立した個の塊」となった。その流れに伴い、救済宗教の対象と目的は「個」に特化していったのであろう。   『比較文明学会会報』(52号2010年)において島薗は、「救済宗教とは、人間が悪や苦難を避けがたいものであることに思いを凝らしながら、それを克服する通常を越えた道があることを説く宗教だ」と示した。つまり、救済とは時代や国を問わず、救われなければならない人間と社会に対して宗教的安心を与えることである。それは、我々は「孤立した個の塊」を生きているのではなく「あらゆるものとの繋がり関わる縁起なる大きな命」を生きているのだと発信し、かつての宗教の姿を取り戻さなければならない。 と言うのも、科学が発達し情報が溢れた現代の日本人にも、限界状況に必ず直面するからである。その限界状況を解決していくには、やはり、救済宗教が必要である。なぜならば、救済宗教には伝統に学びながら対応できる力、文化資源、即ち行という手立てがあり、そして、行こそが根源的な日本人の宗教性を揺さぶるものであるからである。      ...

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