大童法慧 | 法話
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
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12月 06日 さようなら

「先生さようなら、みなさんさようなら」 病気と転校、そして、事故がないかぎり、また教室で会えた。 また明日  バイバイ  それじゃ、またね  さようなら 「さようなら」は、「左様ならば・・・」が語源らしい。 振り返れば、ずいぶんと、「さようなら」をしてきたものだ。 あんなに仲のよかった友とは、何年も会っていない。 お互いに、田舎を離れりゃ、仕方がない。 所帯を構えて、ガキが二人いりゃあ、東京にもこれんわな。 結婚しようと誓った女は、今では、消息すらわからない。 思い出そうにも、顔がぼやけてかすんでしまう。 切に願わくは、非道い男に会っていない事を。 自分が嫌で、厭でたまらなかった。 だから、頭を剃るのに、迷いはなかった。 しかし、本当は、さよならすべきは自分自身だった。 また明日  バイバイ  それじゃ、またね  さようなら コノサカヅキヲ受ケテクレ ドウゾナミナミツガシテオクレ ハナニアラシノタトヘモアルゾ 「サヨナラ」ダケガ人生ダ この井伏鱒二の名訳を知ったのは、川島雄三の墓碑銘のおかげだった。 また明日  バイバイ  それじゃ、またね  さようなら 学生の頃、遠州流を習っていた。 先日、先生の訃報を聞いた。 「一期一会は、なにも、お茶だけの事じゃないのよね。 綺麗にさようならをするのが、一期一会。ねぇ、あなたはどう思う?」 先生、あれから、およそ20年が経ちましたね。 禅の世界に生きて、私はこんな事を知りました。 別れても別れない、さようならがある事を。 離れても離れられない、温かな世界である事を。 謹んでご冥福をお祈りいたします  法慧合掌
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10月 25日 私たちの根っこ

禅とは、一体、どういうものでしょうか? 私は、禅とは、一言で申せば、根っこではないかと思います。 根っこが、自分にある事を信じ、根っこのありかに気づき、そして、その根っこと、しっかりつながった歩みをするのが禅だと思うのです。 あいだみつをさんの詩集『にんげんだもの』に、こんな言葉があります。 花を支える枝 枝を支える幹 幹を支える根 根は見えねんだな 私たちは、咲いた花の大きさや色や形のみを評価します。 しかし、目に見えないけれど、その花を根幹で支えている大切なもの、それが根っこです。 私が私である根拠。私を私としてなさしめているものは、何か? 根本の根本にあるもの。 そんな私たちの根っこ、それは、強く、大きく、そして、絶対のものでなければならないはずです。 なぜなら、せっかく、人として生まれてきて、人生を安っぽいものに騙されたり、侵されたりしてはもったいない。 何があっても動じないもの、そして、何物にも奪われないもの、決して、無くならないもの。 それこそが、私たちの根っこであるはずです。 では、その大切な根っこは、どこにあるのでしょうか? 曹洞宗の禅僧に、内山興正老師という方がおられます。 明治45年に生まれ、平成10年に遷化、つまり、亡くなられました。 坐禅一筋に生きられ、また、多くの御著書があります。 その内山老師が、こんな詩を遺されております。 貧しくても貧しからず 病んでも病まず 老いても老いず 死んでも死なず すべて二つに分かれる以前の実物 ここには 無限の奥がある いかがでしょう?二つに分かれる以前の実物。 この二つとは、生と死、良い悪い、勝った負けた、損した得した、好きだ嫌いだという相対の世界、つまり、比べる、比較する、対立の世界です。 普段、私たちは、自分の頭の中で作り出した、この対立の世界に悩み苦しんでいるのではないでしょうか? そして、私たちは、自分の頭で考えた対立の世界こそが全てであると、思っているのではないでしょうか? 二つに分かれる以前、つまり、一つ。 その一つの世界にこそ、私たちの根っこがある。 そして、その根っこには、無限の奥がある。 今日、これから坐禅をしていただきますが、まず、大切な事は、姿勢を正す事です。 後ろ頭で天を衝くような気持で、腰骨を立てる。 姿勢が整えば、呼吸が整い、おのずと、心も整ってくる。 坐禅をすると、煩悩や妄想が取り払われて、無になるとか、また、無にならなければと誤解している方がいるかもしれません。 しかし、実際に坐れば、かえって、いろいろな考えや思いが浮かんでくる事に驚くでしょう。 また、足腰のしびれや痛みになやまされるかもしれません。 私が坐禅を始めた頃、今と同じように太っていて、また、体がとてもかたかったものですから、片足のみを組む半跏趺坐さえも、ままになりませんでした。 一炷40分の間に、何度も足を組み換えて、その痛さに泣き出しそうになっておりました。 頭の中を駆け巡る様々な思いや、足腰の痛み。 時には、突然、畳の目ひとつひとつに、お観音様のお姿が浮かび上がるかもしれない。 時には、線香の焼け落ちる灰の音が、「ドスン」と、腹に響くような大きな音に聞こえるかもしれません。 しかし、ここで、最も大事な事は、その浮かんできた事を追いかけない。 何が起きても、相手にせず、邪魔にせず。 また、何も起きなくても、相手にせず、邪魔にせず。 そうすれば、坐禅をする中で、自分の頭で作り出した対立の世界が、決して、全てではないのだ、と必ず気づくはずです。 その気づきが、私たちの根っこへの扉となるでしょう。 坐禅をはじめるにあたって、道元禅師のご著書に、とても勇気づけられる言葉があります。 「佛祖の往昔は我等なり、我等が当来は佛祖ならん」 佛祖とは、お釈迦様、そして、その教えを命がけとなって信じ守り伝えてきた禅僧の事であります。 おうしゃくと読みましたが、おうせき、つまり、昔の事です。 当来は、来るべき未来のことです。 一本の道。 今、私は、お釈迦さまと同じ一本の道を歩んでいるのだ。 かつては、お釈迦さまもこの私と同じように、自分の根っこを見失った日送りをしていた。 それ故に、苦しみに引きずられたり、悲しみに迷わされたりもしていた。 ああもう駄目だと泣いた事も、どうすればよいかと悩んだこともあったでしょう。 しかし、お釈迦様は自分に根っこがある事を信じ、根っこに気づき、そして、根っことしっかりつながった歩みを進められた。 そう、私も、まず、根っこが自分にあると信じる事からはじめてみよう。 そこに自ずと、お釈迦様と同じものの見方ができてくる。 その歩みのなかで、安心、即ち、こころのやすらぎを得、そして、必ず、生きる勇気を持ち続ける事ができるのだ。 「佛祖の往昔は我等なり、我等が当来は佛祖ならん」 お釈迦様と同じ歩みをする、この根っこにしっかりつながった歩みをする。 道元禅師は、この道を信じて歩けと、私たちを励ましてくれております。 それでは、共に、悠々と堂々と坐りましょう。
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9月 26日

塊になると、己のみ高しとしてしまう。だから、受け入れてもらえない。 塊になると、人の言うことに耳を貸さなくなる。だから、成長できない。 そりゃさ、何年かは先輩だわさ。 そりゃさ、あんたも築いてきたわさ。 でもね、やっぱり、損をしとると思うんよ。 誰に対しても、頭を下げれる人が偉か…

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8月 21日 萬福

お通夜の後席についたとき、喪主さんが語りかけてきました。 「母が亡くなって以来、彼女の人生は幸せだったのだろうかと、そればかり考えてしまいました。 88歳、苦労しどおしの母の人生を思うと・・・」と、声を詰まらせました。 「人生の先輩に対して、申し上げるのも恐縮ですが・・・」と前置きして尋ねました。 「幸せって何でしょうね?」 「そりゃあ、お金に苦労しないで、健康で、家族や友達と仲良く暮らして、長生きして・・・」 喪主さんは思いつくまま答えたのでしょう。 しかし、その言葉を遮り、改めて尋ねました。 「それだけでしょうか?」 お金は、ないよりも、あった方がいい。 入退院を繰り返すよりも、もちろん健康である方がいい。 人生、馬鹿と蔑まれるよりも、先生と呼ばれたい。 せっかく生きるのなら、泣いて暮らすよりも、笑って過ごしたい。 けれど、幸せは比較の問題でしょうか? ・・・減っていくのが幸せ? ・・・奪われてしまうのが幸せ? ・・・無くなってしまうのも幸せ? いや、どんな状況にあっても幸せでありたい。 条件など、つけることなく、そう、どんな状況になっても幸せでありたい。 惚れた人と迎えた朝も、ケンカしてぶち込まれた留置所で起きた朝も、同じ朝。 托鉢をしながら野宿した夜も、銀座8丁目のお店で過ごす夜も、同じ夜。 風呂無便所共同の四畳半の部屋から見上げた空も、六本木ヒルズから眺めた空も、同じ空。 「萬福。萬の物、全て福なりって、本当に思える人が幸せなのでしょうね。 お母様は、人生って苦しい事も多いけれど、そんなに悪いものでもないよって、最後に、皆さんに伝えたいと思いますよ。」 あなたは、幸せって何だと思いますか?
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8月 11日 初盆

どんなに悲しくとも 体は勝手に呼吸を止めない。 どんなに空しくとも、朝になれば、また、日が昇る。 雲は流れ、季は巡る。 世界中の花や線香を買占め供えても、多くの僧侶を呼んで法要を営んでも・・・ 亡くなった人は、生き返ることはない。 「もう一年になるのね。やっと、初盆。 正直な話、あの人が亡くなったとは思えない、そんな気持ちがする時もあるの。 もしかしたら、朝、目が覚めたら、隣で寝てるのでは・・・ 振り返れば、テーブルに座って新聞をよんでいるのでは・・・ ひょっとしたら、携帯に電話すれば、出てくれるのでは・・・もしかしたらって、ね。」 ふたりは、二十歳を過ぎた頃に東京で出会い、惹かれ、結ばれ、共に暮らした。 ともに福井の出身だった。 お金も縁故もなかった。 でも、それ故に一生懸命、与えられた仕事をこなした。 彼は真面目で、お酒も煙草もしなかった。 趣味は、小説を書く事。明るく、いつも笑顔だった。だから、楽しかった。 子を授かった事を機に、籍をいれた。 そして、あっという間の37年。 還暦を迎えたら、新婚旅行をしようって、約束していた。 最後は、「ありがとう、ありがとう」って、手を握ってくれた。 ・・・ 「あのね、法慧さん。 主人は娘のところには、もう3度も、夢に現れたっていうのよ。 けど、私のところには、一度も来ないのよ。不実よねぇ。 でも、お盆だから・・・」 お盆。 キュウリの馬、ナスの牛。 馬に乗って一刻も早くこの世に帰り、牛に乗ってゆっくりあの世へ戻って行くように、と。 盆提灯を飾り、盆棚をしつらえて、亡き人を迎える。 あの世があるのか。死んだら霊となるのか。祖霊信仰。習俗。 ・・・とまれ、そんな野暮を言うのはよそうじゃないか。 そうせずにはいられなかった人間の悲しさに手を合わせよう。 そうせずにはいられなかった人間の祈りに、希望をもとう。 供養の養とは、記憶を養う。つまり、忘れない事。 悲しみを生きる力に転ずる事が、何よりの供養なのだから・・・
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7月 30日 風鈴

先日、井上ひさし作・蜷川幸雄演出の「道元の冒険」を渋谷シアターコクーンで観劇しました。 渾身似口掛虚空   渾身口に似て虚空に掛かる 不問東西南北風   問わず東西南北の風 一等為他談般若   一等誰が為に般若を談ず 滴丁東了滴丁東   チリン チリン チりりリン この天童如浄禅師の風鈴頌の歌が、心地よく響きました。 ♫ 私の体が口になる  とても大きな口になる 天地を跨ぐ口になる  宇宙の広さの口になる そうして、その口が透きとおった風鈴になる 東西南北 いたる所から 吹く風に揺れて 悟りを語りだす チチンツンテン チチンツン  チチンツンテン チチンツン♫ 風鈴は、どんな悟りを語りだしているのでしょう。 風鈴は、どのような風も嫌いません。 利の風、衰の風、毀の風、誉の風、称の風、譏の風、苦の風、楽の風、・・・ 順境の風も、そう、逆境の風にも、ただ、チリンチリン、チリリリン そう、生きていりゃ、いろんな事があるもんさ。 上手くいかない事だってあるさ。 裏切られる事だって、唇をかむ事だって、ああもう終わりだなんて思う事だって・・・ でも、大切な事を見失う事さえなければ、それでいい。 それは・・ 多くの関わりの中で、自分があるという事。 多くの関わりの中で、学び生きていかなければならない事。 辛い風が吹いた時は、特に、気をつけるのさ。 そして、注意深く、じっと息をこらし、深く学ぶのだ。 やがて、時が熟せば、君も気づく事になるだろう。 いま・ここに、君が生きている意味を。 そして、あの風は、決して、避けられなかった事を。 そう、あの風が吹かせたのは、君だという事を。 道元の生きた鎌倉時代中期は、飢饉、疫病、地震などに見舞われ、人口の3分の1を失った時代。 そこに、新興の宗教が芽生え、根づいた。 そこにあったものは、体制や組織ではなく、檀家の軒数や葬式の件数ではなく、寺構えの有無や重要文化財ではない。 そう、そこにあったものは・・・ 如浄禅師示して曰く 国に帰り、化を布き、広く人天を利せよ。 城邑聚楽に住する勿れ。 国王大臣に近づく勿れ。 深山幽谷に居して、一箇半箇を接得し わが宗を断絶にいたらしむること勿れ。          『建撕記』
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7月 05日 自分という塊

「自分という塊なんぞ、ない」 この言葉は、私が坐禅を始めた頃、お師匠からいただいたものです。 もう20年も前になります。 その頃も、今のように太っておりまして、また、体が固かったものですから、半跏趺坐さえもままになりませんでした。 一炷40分の間に、何度も足を組み換えておりました。 足が痛い、腰が痛い、と嘆きながら、それでも、後ろ頭で天をつくような気持ちで腰骨を立て、呼吸を整えて、必死に坐っておりました。 半跏趺坐ができるようになったのは、坐禅をはじめて2年後。そして、その1年後に、ようやく、結跏趺坐で坐れるようになりました。 茶話会で、足や腰が痛くて坐禅に集中できないと、訴えられる方もいらっしゃいます。 私も全くそうでしたから、よくわかります。 特に、摂心は辛かったですね、ホント、痛くて涙がでてきました。 しかし、あえて厳しい言い方をさせていただくのなら、足が痛かろうが、腰が痛かろうが、それでも、坐り続けていくところに味わいが現れてくるのではないでしょうか。 泣きながらも、それでも坐禅を続けてこられたのは、私なりの悩みや願いがあったからです。 二十歳の頃、私は、大切な人を亡くしました。 その時、強く思いました。 「ああ、人って、本当に死んでしまうものなんだ。 だったら、なんで、人は生きなければならないのだろうか?」 若かったですね、そんな事を真剣に悩みました。 本を読みあさり、人を訪ねました。けれども、納得できなかった。 そんなときに、「こんな人のようになりたい・この人のように生きたいな」と思える曹洞宗のお坊さんに出会いました。 そして、そのお寺で坐禅をするようになりました。 幸いな事に、後々、頭を剃っていただくご縁までいただきました。 大学在学中4年間、何度も、そのお寺に参禅しておりました。 なんとかして、自分の悩みを解決したいと願い、そして、不動の自己の確立とでも言うのでしょうか、弱い自分に打ち克ちたいと考えておりました。 そんな思いで、いっぱいであった、ある日、 私は、お師匠様から「自分という塊なんぞ、ない」と言われたのです。 いや、ホント、びっくりいたしました。 なんとかして、この自分をどうにかしたいと思っていたところに、その自分がないって、言われたのですから。 きっと、まだ、機が熟していなかったんですね。 お師匠様の言葉を受け入れる事ができなかった。 「自分という固まりなんぞ、ない」と、言われた時、私はたまらず、お師匠さまの腕をつかんでしまいました。 そして、「じゃあ、これは誰の手ですか?」って、言ってしまいました。 その瞬間、私は、お師匠様に警策で打たれていました。 いかがでしょうか? 「自分という塊なんぞ、ない」という言葉、皆さんは素直に頷けますか? 最近、ご縁をいただいて3カ所で、お話をする機会がありました。 ひとつは、友人の経営する進学塾で、中学3年生の生徒さんに。 それから、年に2度お彼岸の法要で伺う、老人ホームで。 そして、弟の子供が通う保育園の4歳児クラスで。 どれも一大事をテーマにしてお話をさせていただいたのですが、話の中で、「あなたにとって、一番大事なものはなにですか」という問いかけをしました。 どうでしょう、皆さんにとって、一番大事なものは何ですか? 中学生は、自分、夢、家族、という答えが多かったです。 なかには、ませた子もいて、彼女とか、お金という答えもありました。 老人ホームでは、自分、家族、思い出の品々、お金、心という答えでした。 保育園での答えは、パパやママでした。 面白い事に、自分という答はありませんでした。 一人一人に聞いても、自分という答えは出てきませんでした。 かといって、4歳の子供に自分という意識がないわけではありません。 自分のものは主張しますし、「自分でする」と言ってきかない時もある。 察するに、この子たちにとって、自分とは、パパでありママなのではないか。 それはつまり、自分を塊として持たないからこそ、パパやママを一番大事だと言うことができるのではないか。 私たちの出発点は、ここであったはずです。 私たちは、本当は、パパやママだけでなく、この世界そのものを自分としていたはずであります。 しかし、気づかぬうちに、自分という塊にがんじがらめとなり、自分に苦しんでいる。 坐禅をしていた自分、悩みの解決を願っていた自分、自己の確立を求める自分。 正座の痛さに脂汗を流す自分。お腹が減って眠れない自分。もうだめだと泣いた自分。 あの時の私は、自分を作る事に一生懸命でした。 なんと多くの自分という塊を作り出し、執着し、隔たりを生み、比較し、結果、もだえ苦しんでいたことか。 私が禅の世界に飛び込んで、僧侶として、今あるのは、あの時、お師匠様に警策で打たれたおかげでもあります。 真剣に坐る道があることを、そして、自分という塊に執着しない心を実践し、体現していく道もある事をわからせていただきました。 坐蒲にどっかりと坐り、身を整えて、法界定印を組む。 「自分という塊」に執着することなく、頭であれこれと考えることなく、丹田で呼吸を整える。 堂々と、悠々と坐り抜く。 そこに、この世界をわがいのちとするはたらきが現れてくるでしょう。 さあ、もう一炷、坐りましょう。
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6月 09日 生きて今あるは

たった一人しかいない自分を たった一度しかない人生を ほんとうに生かさなかったら 人間 生まれてきたかいがないじゃないか この言葉は、山本有三の小説『路傍の石』にあります。 主人公の愛川吾一少年の過ちを、担任の先生が諭した言葉です。 たった一人しかいない自分を たった一度しかない人生を ほんとうに生かさなかったら 人間 生まれてきたかいがないじゃないか いかがでしょうか? 人間 生まれてきたかいがないじゃないか、これを、丁寧に言い換えれば、この時代に、この国に、この父母のもとで、そして、この私として命を授かったこの人生。 何のために生まれてきたのか、何故に生きなければならないのか、また、何故に死ななければならないのか、つまり、生まれてきて本当に良かったと言う事ができるのか、・・・そんな真剣な問いかけであります。 生まれてきて本当に良かったと思えるものに気づく、出会う事を仏教では、一大事と申します。 『修証義』の総序の第1節を読みます。 生を明らめ死を明らむるは、仏家一大事の因縁なり、 生死の中に仏あれば生死なし、但、生死即ち涅槃と心得て、 生死として厭ふべきもなく、涅槃として欣ふべきもなし、 是時初めて生死を離るる分あり、唯一大事因縁と究尽すべし お気づきでしょう、そう、このはじまりの数行のなかに、一大事という言葉が2度も使われております。 一大事と聞くと、なんだか緊急事態・重大問題が発生したかのように思われるかもしれません。 生死や涅槃という言葉が何度も登場して、なんだか大変な事をいっているように聞こえるでしょう。 しかし、いま・ここに私が生きているという事そのものこそが、一大事ではないでしょうか。この時代に、この国に、この父母のもとで、そして、この私として命を授かった。 私たちが生きているのはいまであり、私たちが生きているのはここであります。 つまり、一大事とは、「いま・ここ」の心の在り様だと言えるでしょう。 今、あなたは、どんな心持ちで生きていますか? 私事を申し上げて恐縮ですが・・・最近、身震いをした出来事がありました。 この春のお彼岸の頃、舌に違和感がありまして、耳鼻咽喉科に行きました。 舌の横あたりに、白い小さな口内炎みたいなものができました。 診察後、先生は写真を指差しながら、「この腫瘍、できた場所と色が悪いんだよね」と言いました。そして、しばしの沈黙の後、「舌癌の可能性が高いと思います」と。 私自身僧侶として悲しみの場に何度も立ち会ってきましたし、会えば別れる・生まれたら死ぬという道理は十分に知っておりました。 しかし、いざ、わが身に病や死を突きつけられて思った事は、「ああそうだったんだ、私は生老病死の真っ只中を生きていたんだ。私は、今、生老病死のど真ん中にいるのだ」という深い感動でした。 毎朝4時半に起きて洗顔して、ヤクルト飲んで坐禅と朝課、コーヒーをすすりながら新聞読んで掃除して・・・日々の営み、毎日の生活を、ともすれば、ありふれた日常、あたりまえの事と思い、それはずっと続くものだと思ってました。 しかし、そうじゃない。 この朝は二度とない朝であり、最期の朝であり、生まれてきて本当に良かったと思えるものに気づく、出会うための朝であった。 おかげさまで、今日も、ご覧の通りお話をさせていただいておりますが、今回の事で何よりも学んだ事は、癌になる事が一大事なのではなく、いま・ここの心の在り様こそが一大事だという事。 先日の読売新聞に、こんな記事がありました。 宗教観をテーマに面接方式で世論調査をしたところ、日本人で何かの宗教を信じている人は26パーセントであり、信じていない人が72パーセントであった。 しかし、先祖を敬う気持ちを持っている人が94パーセントに達し、自然の中に人間の力を超えた何かを感じる事があると言う人も56パーセントいた、と。 世の中の様々の価値観の中で、私たちにとって、今・ここである事の支え、核となるもの、中心は仏の教えであり、禅であります。 仏教とは、仏陀の教えと書きます。仏陀、お釈迦さまと同じ、正しいものの見方をする。 正しいものの見方をすれば、そこに正しき真理のはたらきが現れてきます。 世の中の仕組みや常識、からくりや嘘に騙されない真の自由な人となる歩み。 つまり、お釈迦さまの生涯とその教えから、生きる勇気と智慧を学び、それを、自らの一大事としていく。 そして、最も大切な事は、お釈迦さまが自分勝手に仏教を作ったものではなく、真実なるものの、その言葉に、お釈迦さまが響かれた点であり、道元禅師が、すき放題に禅を説かれたのではなく、真実なるものの、その在り様に、道元禅師が応えられ点であります。 だからこそ、私たちもまた、お釈迦さまや道元禅師が手を合わせたものを、拝む歩みをしなければいけないなと思うのです。 なぜなら、それが、私たちの「いま・ここ」の心の在り様を豊かにし、ひいては、生まれてきて本当に良かったと思えるものに気づく、出会う契機となるはずだからです。 私の参禅のお師匠様が、常に言っておりました、 「生きて今あるは、この事にあわんがためなり」 「生きて今あるは、この事にあわんがためなり」 一大事は、決して遠くにあるのではない。そう、「いま・ここ」にある。 生まれてきて本当に良かったと言える人生の歩みを、共にいたしましょう。
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5月 18日 余命

そのご婦人が、家族4人でお寺を訪ねてきたのは、数年前の5月の事でした。 境内の掃除をしていた私に語りかけてきた言葉は、「このお寺は、曹洞宗ですよね?」でした。 「ご住職さんですか?少し、お話しを聞いていただけませんか?」 住職ではない事を伝えながら、泣き腫らしたような眼にただならぬものを感じ、師匠に取次ぎました。 彼女は、40半ばの主婦。夫と中学生の姉妹との4人暮らしの事。 穏やかな語り口でありながら、意志の強さをうかがわせる面持ちの彼女。 与えられしものを静かに赦し、じっと見守ろうとするご主人。 子供たち二人は、母の傍らから離れようとしませんでした。 「実は私、昨年の8月に、癌だと診断されました・・・余命1年だ、と。 はじめて、死ぬという事を突き付けられて・・・。 なぜ、なんで私が、という思いばかりつのりました。 ネットや本を読み漁ったり、人を訪ねていったり、とにかく、焦りました。 私には1年という時間しかないなんて・・・。 病気の事、娘の事、主人の事、人生の事、そして、私自身の事。 私は、何もわかってませんでした。 昨晩の事なんです。 いろいろと集めたお経本を眺めている時、『修証義』が目に留まりまして・・・ ああ、これだったのかと。涙が止まらなくなったんです。 身震いしながら、朝まで何度も何度も読み返しました。 気がつけば、大きな声を出して読んでました。 このお経について、もっと知りたいと思ったんです。 それで今日、家族でお参りをかねて、曹洞宗のお寺さんに伺ってみようと。」 師匠は幾度も頷きながら、黙って聴いておりました。 彼女の問いかけに応じながら、修証義を説いておりました。 師匠の傍で聞いていた私は、愧じいっておりました。 「・・・私は涙を流しながら、修証義を読んだ事があるだろうか。 私は咽びながら、修証義を押し頂いた事があるだろか・・・」と。 別れ際、笑顔で手を合わす家族に、「いつでも、どうぞ」と。 以後、再び入院するまでの2ヶ月の間、彼女は何度もお寺に訪れました。 そして、夏。 余命の宣告どおり彼女は・・・亡くなりました。 医療の発達により、今では、余命○年、余命○ケ月という言葉が市民権を得ています。 しかし、余命という言葉を待つまでもなく、私たちの死亡率は、100%です。 老若男女、ひとしく100%。 今日の命さえも、絶対の保障はありません。 後先の順番はあるけれど・・・ 散る桜 残る桜も 散る桜 散る紅葉 残る紅葉も 散る紅葉 癌を宣告されなくとも、一面においては、余命であり与命であり、そして、預命であります。 余った命とするか、与えられた命と受け止めるか、預かった命と達観するか・・・ 今回、舌癌という病と対峙して、私は余命を宣告されるまでには至りませんでした。 腫瘍の除去という事で、ひとまず、治療を終える事になりました。 この身体にも癌は宿り、隙あらば巣食う事を学びました。 そして、余命とは、いま・ここにしかない事も。 いや、命は、いま・ここ。 末筆ながら、様々な励ましをいただきました事、感謝申し上げます。 ありがとうございました。
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2月 24日 自分を拝む

「自分で自分を拝めなかったら、本当に生きたとはいえないのよ」 これは、私が頭を剃るご縁を支えてくれた尼僧様の言葉です。 「自分で自分を拝めなかったら、本当に生きたとはいえないのよ」 では、自分で自分を拝むとは、どういうことでしょうか? おそらく、多くの方が、そんなに深く反省しなくとも、とても拝めるような自分でないなと気付くでしょう。 中には、俺は金持ちだから、私は大学院卒だから、または美人だから、という理由で自分で自分を拝めるという回答をする人もいるかもれしません。 しかしこれは、自分を拝める人というよりも、むしろ単に自分が好きな人でしょう。 なぜなら、お金の有る無しや学歴や美醜は、所詮、比較の問題にすぎないからです。 僭越ながら、少し私の話をさせていただきます。 私の実家は工務店です。実家の菩提寺は、浄土真宗西本願寺派です。 頭を剃ってなければ、今頃は工務店の社長をしていたかもしれません。 20歳の頃に大切な人との別れがありました。 それが機縁となり、禅の世界にひかれていきました。 大学は、駒澤大学の仏教学部にすすみました。 その頃、ありがたい事に、福井県にあるお寺の老師とご縁をいただきました。 在学中の4年間は時間とお金ができると、東京駅から夜行バスに乗ってそのお寺に参禅に通いました。 短いと1日、長いときで3ヶ月位。 何故に人は死ななければならないのか、何故に人は生きなければならないのか、ただ、真実をあきらかにしたい、そんな願いを持ちながら、老師様の教えを聞きに通っておりました。 大学を卒業してからも就職をしないで、そのままそのお寺に住み込んで坐禅をしておりました。 そのお寺での生活は、毎朝、朝2烓、2回という意味ですが、坐禅をします。 1烓とは、およそ45分です。 夜は3烓、3回坐禅をします。それ以外は、作務と托鉢。 小さなお寺ですから、畑を作り、3日に1度は托鉢に歩く。 接心という、1週間朝から夜までひたすら坐禅をする期間が年7回ありました。 夜は9時が就寝の時間でしたが、ゴザと坐蒲を持って、お墓で坐禅をしていました。 明け方まで坐っておりました。 その頃の写真を見ると、自分でもびっくりするほど細く、痩せています。 3歳になる姪に、これ法慧ちゃんだよ、と当時の写真を見せましたら、 首をふって、こんなの法慧ちゃんじゃない!って言われてしまいましたが・・・ 実は、修行を始めて間もなくの頃にイスラエルから来ていた参禅者の方と、大喧嘩をしてしまいました。 今思えば、本当に情けない事です。 老師からは、この事でこっぴどく叱られまして、「出て行け」とまで言われてしまいました。 若かったんですね。「出て行け」と言われれば、すぐ出て行こうとして。 そんな荷物をまとめている私のところに、兄弟子が来て静かにこう言ってくれました。 「全部が自分なんだ。お前は、誰と喧嘩しているんだ。 喧嘩をするという事は、結局、自分と喧嘩している事だぞ」 全部が自分・・・ その時です。ああ、これだったのか、と思いました。涙があふれてきました。 自分自身とは頭のてっぺんから足の爪先までの事だ、と思い込んでいたものが、急にほどけました。 ああ、自分という塊はないんだ、と。自分とは、この世界、全てが自分だったのだ、と。 この大きないのちにもっと深く気付きたいと願う一心で、老師に再び修行する事を請いました。 それから4年・・・老師にお坊さんになる事を許していただき、いまここに至っております。 仏教とは、仏の教えと書きます。 つまり、お釈迦さまのものの見方の事です。 お釈迦さまと同じようなものの見方をする事。 お釈迦さまと同じようなものの見方をする時、真理に照らして要らぬ心配をしなくなる、比べなくなる、そして、迷わなくなってきます。 南無帰依佛から始まり、不謗三宝戒で終わるこの16条の佛戒の根本は「衆生本来佛なり」であります。 私たちは、実は、佛様と同じいのちを生きている。 この戒は、破るとか守るが論点ではなく、持<たも>つという視点が大切になります。 持つとは、し続ける事。 わが身を懺悔しながら、繰り返し、繰り返し持ち続ける事によってのみ、このいのちが輝いてくる。 だからこそ、この身が尊い。 仏や仏の教え、そして、その教えを実践する者に響き、信じ、気付き、体現していくのも、この身があってこそ。つまり、この身こそが三宝であるからであります。 この身を謗らない事が、不謗三宝戒であります。 この尊いこの身を謗るような事はあってはならない。 この尊いこの身を傷つけるような事はあってはならない。 この身の尊さが分かれば、徒に命を奪い、与えられざる物を盗み、性を貪り、酔い、惜しみ、口に任し、己のみを高しとし、怒りに任すような真似は、できない。 南無帰依佛と手を合わす事とは、佛を拝み、佛の教えを拝み、それを実践する人々を拝み、 そして、自分を拝む事。 自分を拝むとは、この自分という塊を拝むのではなく、一切を拝む事であります。 一切を拝む事、それが、不謗三宝戒であります。 一切が自分であると気付き、信じ、拝む。 まず、自分を拝む事から、はじめてみましょう。
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