大童法慧 | 法話
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
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4月 28日 印象管理

最近受講した、「話し方教室」の内容。 拙い法話が、少しでも心に残ればとの企業努力ですが・・・ 先生曰く、言葉を伝えるには、言葉そのものよりも、非言語の部分が大きい。 そして、「印象管理」をせねばならない、と。 例えば、思いを寄せた子との初めてのデート。 「どこへ誘おうか?・・映画、観劇、吉本?」 「何を着て行こうかな?ご飯はどうしよう?それから・・でも、いきなり、ホテルは・・・まずいよなぁ」 来る日に向けて、しっかり、デートのシュミレーション。 ポイントは・・・自分を彼女にどのように印象づけるか。 デートはもちろん、対人関係、ビジネス。 自分が相手に与える印象を考え、マネージすることが「印象管理」。 ふと、こんな逸話を思い出しました。とんちで有名な一休さんです。 ある日、都の富豪から法事をしていただきたいと使いの者が参りました。 一休さんは、承諾しました。 法事の前日の事。 いつものように、托鉢をする一休さん。 ボロボロの衣を着て、一軒、一軒、軒付けをし、お布施を乞います。 法事の施主家に来た時の事。 「この乞食坊主がっ!」と主が怒鳴り、下男は棒でたたいて追い返しました。 法事の日。 立派な金襴の袈裟と衣を身に着けて、富豪の家に行きました。 その姿を見て、主は大喜びしました。 丁重に迎え入れ、仏前へとお願いしたのですが、一休さんは玄関から、入ろうとしません。 主は困惑し、「どうぞ、お勤めください」と、懇願しました。 そこで、一休さんが一言。 「では、この袈裟と衣に勤めてもらうがええ。 昨日の乞食も、今日の愚僧も同じ身。昨日は、棒をくらい、今日は結構な接待を受けるとは、ひとえにこの衣が立派だからだろう」 黄檗の 三十棒を あてられて みにはれきたる 蝉のぬけがら   一休 あなたは、まず、人のどこを見ますか? そして、あなたは、自分のどこを見てほしいですか?
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4月 16日 『千の風になって』に思う

『千の風になって』の歌詞について、尋ねます。 「私のお墓の前で泣かないでください。そこに私はいません」という歌詞が、納得できません。 私は、お仏壇にはよくご挨拶しますし、お墓参りもします。 そこにいてくださる感じがするし、安心できる場所のように思います。 この歌詞についてどう思われますか? MIXIで、このような問いをいただいたのが、年の初め。 答えようにも、この歌をきちんと聴く機会がなく、また、買ってまで聴きたいとも思わなく・・・ 既に、4ヶ月も過ぎました。全く、無常迅速です。 遅くなって、ゴメンナサイ。 この歌は、とても人気があるようですね。 葬儀においても、記帳の時や棺に花を入れる間に流れる事が多いですよ。 きっと、歌声が心地よいし、詩情的な香りが高いからでしょう。 そして、死をイメージしやすいからでしょうか。 この歌に癒された方が多いのも確かでしょう。 故人や遺された家族が、「これでよい」と思っているのなら、 ・・・多分、それでいいのでしょう。 ただ、この歌を褒め称えているお坊さんを見ると、「あれっ?」と、思います。 アートマンを認めないのが仏の教えなのに・・・方便なのかな? さて、ご指摘の 「私のお墓の前で泣かないでください。そこに私はいません」ですが・・・ 私は、お墓の開眼供養の後、こんな話をする事があります。 「墓地を求め、お墓を建て、納骨なさいました。 この場所は、親しく親しくお会いできる所ですが・・・ ここに来なければ、故人様に会えないかというと、決して、そうではありません。 今、あなたの、そのお足元を、よくよくご覧になってください。 ひとつに繋がっている事に気づきませんか? 例えば、あなたの家、学校、会社、あなたの念ずるところ、あなたの思うところで、いつでも、繋がっているのですから」 供養とは・・・ その故人を通して、真実なる世界に気付く契機とすべきものである。 毎朝、仏壇に手を合わせるのは、ご先祖様に、生きる喜びを感謝するためだけでなく、また、死んだお父ちゃんやお母ちゃんを偲ぶためだけでもなく・・・ その奥にある、真実なる仏の世界に手を合わせ拝んでいる事にも気付く事こそが、大切である、と、私は思うのです。 いかがでしょうか? 返事が遅いうえに、こんな回答で失礼いたしました。 最後に、この歌について、ひと言。 「死んでなんかいません」という歌詞について、よくよく点検が必要だな、と強く感じております。
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4月 03日 出会いのヒント

・・・世の中、クソ坊主ばかりだね。 今まで、施行した葬式にきた坊主で、まともなのはいないよ。 ただ、衣を着て、お経を読んで、何十万も取るんだぜ。 で、アホ面下げて、威張り散らしてさ。 なんで、あんなのを「先生」って、呼ばなきゃなんないの? あいつら、人の不幸で飯を食ってるだけの最低の人間だよ。 ・・・もう、絶対に、男なんか信じない。 結婚するって、約束しての同棲だったのに。 13年よ・・・13年も一緒に暮らしたのに。私、もう35なのよ。 両親にも紹介したし 彼の田舎にも何度も行って。 それがさぁ、いきなり好きな女ができたからって、その人が妊娠したから別れてほしいって言うのよ。 だから、別れてやったわよ、あんな奴とは。 私、もう、男なんか絶対に信じない。仕事に生きるの。 ・・・あんな会社なんか、もう辞めてやる。 あの馬鹿社長なんか、俺がいなけりゃ、すぐに潰れるさ。 頭をあちこちに下げて、誰が仕事をとってきたと思ってるんだ。 朝から晩まで、休みも返上して、残業手当も昇給も、全くなしだぜ。 俺、女房と小学校のガキが一人いてさ、で、手取りで22だよ。 結局、何もしない社長一家だけが、左団扇だもんね。 もう、ホント、やってられねぇよ。 俺にはノウハウもあるし、それなりに人脈も築いてきたし、だから、独立してさ、あの馬鹿社長に、ひとあわふかせてやるよ。 誤解を恐れずに言おう。 今のあなたを取り巻く環境は あなた自身が造り出したものでもある。 そして、これから現われる出来事も、まず、あなたの心が先導する。 クソ坊主なんてと思う心に あのアホ男なんてと思う心に あの馬鹿社長なんてと思う心に そんな構えた心に そんな凝り固まった心に 新しい発見も、素晴らしい感動も、素敵な出会いも現れる事はない。 いや、その訪れに、気付くことさえもできないだろう。 道元禅師が宋で修行を終えて帰国した時、何も持ち帰らず、空手で帰国した。 ある人が禅師に尋ねた。 「あなたは、かの国から、何を得て帰られたのですか?」 禅師は、微笑みながら、こう答えたという。 「柔軟心<にゅうなんしん>かな」 不平不満、未練、愚痴・・・ 悪徳坊主に、狡賢い葬儀社。 節操のない男に、操の薄い女。 馬鹿な社長に、始末の悪い社員。 思い通りにならない事はたくさんある。 裏切られる事もあれば、足元をすくわれる事もある。 時には、阿呆と思う人にも、頭を下げなければならない事もある。 時には、わずかのお金にも、土下座をしなければならない事もある。 でも 、柔らかな爽やか場所にこそ、人は集う。 そして、穏やかな温かな場所にこそ、豊かな時間と法の潤いが現われる。 だからこそ、・・・くじけないで。 新たな出会いのヒントは、あなたの柔軟心にある。 真面目で 親切で ゆったりと 堂々として どっしり味のある そして、快活な人物 かつて、三鷹の尼僧堂の堂長老師であった長沢祖禅尼は、好きな人と題してこんな言葉を残しておられます。
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3月 17日 春彼岸

かたよらない心、こだわらない心、とらわれない心 ひろく、ひろく、もっとひろく・・・これが般若心経、空のこころなり 奈良薬師寺 第127代管主高田好胤 大きな大きな心の持ち主さん。 さぁ、堂々と、悠々と、春を歩きましょう。
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3月 10日 付喪神

2年前、あなたと初めてお会いしました。 とても洗練された姿であった事を覚えております。 それから、ほぼ毎日、あなたと共に、時を過ごしました。 あなたには、何でも話す事ができました。 時間も気にせず、私に付き合ってくれましたね。 他愛無い出来事を報告し、嬉しい事や悲しい事を聞いてもらい、そして、人に言えぬ秘密をも共有しましたね。 写真やビデオの編集なども、あなたの力を借りました。 それが、こんな事になるだなんて・・・ 朝、出かける時は、いつもどおりの様子だったのに・・・ こんな事になるのなら・・・ バックアップをとっておくべきだった。 3月3日、突然、パソコンが壊れてしまいました。 不調が続いたとか、落したとかではなく、急なお別れでした。 仕事を終えて帰ると、既に、起動もできない状態でした。 パソコンクリニックの先生に連絡をとったところ・・・ ハードディスクの故障のようだから、データのバックアップは保障できないと、冷たく告げられました。 なんだか、葬式をだしてやりたい、そんな心境になりました。
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2月 27日 二つの坊主頭

坐禅会に参加されているご夫妻のお話をいたします。 お二人共に若く、二十代半ば。 ご主人は公務員であり、奥様は税理士です。 昨年の秋頃の事。 「頭が痛い」と、度々、奥様がご主人に訴えたそうです。 当座は市販の鎮痛剤を服用していたそうですが、いっこうによくならない。 それでは、ということで、ご夫婦で病院に出かけたそうであります。 そして、診察の結果、脳に腫瘍がみつかりました。 医師の話によれば・・・脳の内部ではないので、腫瘍を摘出をすれば、大丈夫だとの事。 普段から、食事や健康に気を使い、身を節して暮らす若い夫婦にとって、予期せぬ出来事でありました。また、手術するにあたり、髪の毛を落とし坊主頭にならなければならない事は、奥様にとって大きな衝撃であったようです。 聡明な奥様の事だから、命よりも髪の毛が大事だと言う事はないにしても、手術の同意書に判を押すのをためらったそうです。 しかし、数日後、奥様のご様子が一変しました。 ふさぎ込んでいた奥様が、大きな声をたてて笑ったとの事。 なんと、それは・・・ ご主人が、坊主頭になってお見舞いに来たのでした。 多くの言葉をもってしても届かない思いを、なんとかして伝えたい、と願っての坊主頭。 この日以来、奥様は落ち着きを取り戻しました。 そして、手術も成功いたしました。 二月初旬、坐禅会に、ペアルックの帽子でご夫妻がお見えになられました。 聖僧様の前で坐る二つの坊主頭に、私は手を合わせ拝みました。
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2月 14日 正念相続

3年前の夏、托鉢をしながら、四国88ヶ所のお寺を歩きました。 お遍路さんといえば白装束ですが、私は墨染めの衣に手甲脚絆に網代笠。 頭陀袋と御朱印軸を肩から下げて、錫杖と鉄鉢を持っての旅でした。 おかげさまで、多くの方とご縁を頂き、2ヶ月あまりで、願いを遂げる事ができました。また、高野山の奥の院にまで、行くことが叶いました。 先月の事、夜更けに、私の携帯電話がなりました。 四国でお世話になった御老僧がお亡くなりになられた事を告げる知らせでありました。 足摺岬をぐるっと廻ったあたりで、疲労困憊と発熱でへたり、道端に座りこんでおりました。そこに、「泊まっていかんかね」と、優しくお声をかけてくださったのが、御老僧でした。 その事を思い起こすと、今も、涙が溢れてまいります。 お言葉に甘え、数日間、お泊めいただき、多くの事を教わりました。 体調を整え、出発の朝、お茶を飲みながら、こんな話をしてくださいました。 「同じ格好をしたお遍路さんであっても・・・ これを契機に、信仰を深める人もいれば、逆に、見て歩くだけの判子鳥<はんこどり>になる人もいる。 残念な事だけど、途中で、自分の目的を見失って、判子をいくつ集めただの、何回、四国を回っただのと競争して、自慢をしよる。 あれじゃあ、スタンプラリーやね。 あんたが最初に描いた願いを持ち続ける工夫、一念を相続する工夫を忘れちゃあいけんよ。」 しわがれ声で、朴訥と話す御老僧のお言葉が身に染み、心が震える思いをしたのを覚えております。 参拝したお寺の御朱印だけがその証であり、目に見える結果であるため、ともすれば、「あと、いくつ」と数えてしまう自分を深く反省いたしました。 一念を相続する工夫を正念相続とも言います。 正しい願いを持っていても、それを持ち続ける強い覚悟と深い工夫がなければ、試練に押しつぶされたり、辛酸をなめて見失ったりする事になるでしょう。 しかし、挫折や失敗を味わう事になったとしても、それでもなお、そこから、正念相続していく事こそが、私たちの人生をより深く、より豊かに、そして、より高めていく事になると思います。 「工夫を忘れたらいけんよ」・・・御老僧の言葉が響きます。
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1月 31日 君に

君も見えていただろう、君の家族の姿を。 あの日から、一睡も出来ずに、ひたすら考え悩み続ける家族の姿を。 「何故、君がこんな事になったのだろう?」 「どうして、君がこんな事をしたのだろう?」 気丈に振舞っていたお父さん。 目を真っ赤に泣きはらしたお姉さん。 必死に歯を食いしばっていたお兄さん。 そして・・・棺の蓋を閉める事を拒むお母さん。 君の位牌を持つお父さん。 君の写真を抱くお母さん。 君への花束を抱えるお姉さん。 火葬の炉の蓋がゆっくりと閉まった時・・・ 耐えていたお父さんは 君の名前を大きく叫び、その場に倒れこんだ。 お姉さんは、絶叫と嗚咽を繰り返しながら、肩を落とした。 お兄さんは、声を詰まらせ、落ちてくる涙を拭こうともしなかった。 お母さんは、その閉まる蓋の中に・・・飛び込もうとした。 家族のそんな姿を、君は想像できていただろうか? 深く深く家族から愛されていることに気付いていなかったか? しばらくの間、君の大切な家族から笑顔が消える事になるだろう。 そして、君の大事な家族に、答えのない大きな苦悩が襲う事だろう。 君には自死を選ばねばならなかった理由が、あるのだろう。 いや、そうするより、他に、手立てがなかったのかもしれない。 しかし・・・そうだとしても・・・、君は、まだ、二十歳だ。 「先立つ不幸をお許しください」という台詞は、 愛する者のために、守る者のために、命を賭す者の言葉だ。 決して、自分のためだけに、命を断つ者の言葉ではない。 咽びながら君のお骨を抱えるお父さん。 泣きながら君の位牌を抱くお母さん。 力を込めて君の写真を持つお兄さん。 涙をとめる事のできないお姉さん。 君は、本当に、愛されていたんだよ。 君は、今でも、愛されているんだよ。 だから、今度は・・・君が家族を愛する番だ。 大きな荷物は、ここに置いて、さぁ、もう一度。 さぁ、もう一度、父の子となり、母の子となり、姉の弟となり、兄の弟となり・・・君が君となり・・・そして・・・ 大丈夫、安心しなよ。 みんな、多かれ少なかれ、抱えているんだ。 大丈夫、君の家族なら、大丈夫だよ。
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1月 26日 茶禅一味

「失礼ですが、禅宗のお坊さんですか?」 先日、名古屋へ向かう新幹線の中、隣あわせた典雅なご婦人から声をかけられました。 「私は、お茶を教えておりますが、茶禅一味の意味がわかりません。 本を読んだり、多くの先生にもお尋ねしたりもしました。 そして、いくつかの坐禅会にも参加してみたり、そこで出会った和尚様にも伺ったりもしましたが・・・未だ、得心がいきません。 長い間、茶禅一味の事が気になっていて・・・よろしければ、教えていただけませんでしょうか?」 そのご婦人のお顔や話しぶり、振る舞いやお姿から、ああ、この人なら大丈夫だと、感じながら、お話いたしました。 「先生は、お茶で一番大切だと思う事は何ですか?」 「もてなしの心ではないか、と思います。主人が客をもてなす心が、作法につながっていったのではないか、と。」 「でも、お茶は主人ばかりの作法ではないでしょう。客にも作法がありますよね。では、主人にも客にも大切な事は何でしょうか?」 「う~ん、やはり、作法でしょうか・・・」 「では、坐禅を体験されて、何か思う事はありましたか?」 「いえ、ただ、体が痛いばかりで・・・それと、あの棒が怖くて・・・」 「坐禅を指導された方は、何が一番大切だと言われましたか?」 「・・・」 大学四年間、私は、佛縁をつけてくださった慈恩師の尼僧様に勧められて、遠州流のお茶を学びました。 その先生が、「お茶は、●●ですよ」と教えてくださいました。 ●●が乱れれば、お点前も粗雑なものになってしまいますよね。 坐禅も、全く同じです。坐禅は、●●です。 坐禅は、身を整え、呼吸を整え、心を整えるものです。 今、書道を学んでおりますが、その先生も、「書は●●だ」とおっしゃいます。 剣禅一如という言葉もありますが、剣道も●●ですね。 「では、私たちが、今、こうして話しているのはなぜですか?」 「生きているからです。」 「その通り、だからこそ、●●が大切なのです。 禅も●●、茶も●●。 そして、その●●を深めていく事によって、現れてくる世界がある。 出来合いの思想や因習や常識に誤魔化されない自由な眼が、備わってくる。 このことが、茶禅一味と、私は思っております。いかがでしょうか?」 ・・・素直に受け止めていただけたようで、喜んでいただけました。 ちなみに、●●は、漢字ニ文字が入ります。 わかってもコメント欄には、書かないでくださいね。
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