大童法慧 | お知らせ・告知
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
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7月 28日 調える

中田英寿さんと坐禅をしました。 彼は47都道府県をめぐり、自分の立脚点、つまり、日本人としての在り方、この国の成り立ちの根源を探る旅をしておられます。 nakata.netにあるReVALUE NIPPON 日本の文化をめぐる旅 神奈川県の寺社仏閣をご覧ください。 ・・・旅を終えた時、彼が何を発信するのか楽しみです。 <記事の補足> 心を調えると聞くと、頭でいろいろと考えてしまうけれども・・・ 坐禅は、身体でもって心を調えるのです。 頭の中で、あれこれ考えて心を調えるのではありません。 身体を真っ直ぐにすれば、自ずから深い呼吸ができてきます。それに応じて、心が調うのです。 心が調うというのは、整理整頓の整と書いて整うではありません。 調和の調、と書いて調うのです。 不安や恐怖、疑問や煩悶に対して、一つ一つ回答を与えていくのでははなく、問いをそのままを全部受け入れる。 そして、その問いを持ち続ける勇気を養う。 それが、調うであります。
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5月 08日 お知らせ

このたび、はじめての法話集を上梓するはこびとなりました。 大本山總持寺に報恩安居の尊い機会を与えられて三年が経ち、そのなかでいただいたご縁が形となりました。 「禅という手だて」があることを伝えたい思いから、不徳を顧みず刊行にいたりました。 『運を活きる』 一息の禅が心を調える  …

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12月 21日 ありがとう

都合により、しばらく更新を中止いたします。 ありがとうございました。 法慧拝 尚、現在メールアドレス等のデータ整理をしております。 お檀家の皆様、有縁の皆様、お手数をおかけいたし恐縮ですが、管理者のみのコメントか、下記のメールフォームでメアドを教えてください。 よろしくお願いいた…

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8月 24日 入院

左目の網膜剥離の手術のため、明日、入院いたします。 手術は、26日です。経過次第ですが、10日間ほど入院します。 決して、喧嘩で殴られて、網膜剥離になったのではありませんからね。 まして、糖尿病でもありません。 近視が強い人に現れる症状だそうです。 入院しても・・・萬福 萬福 手術しても・・・萬福 萬福 でも、ちょっと・・・痛いのは嫌。
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4月 28日 平気さ

春のお彼岸を迎える準備をしている頃の事でした。 舌に違和感があり、耳鼻咽喉科に行きました。 その先生は写真を指差しながら、「この腫瘍、できた場所と色がとても悪いですね」と言いました。 しばしの沈黙のあと、「舌癌の可能性が高いと思います」と。 そして、急に優しげな声色で「大きな病院で精密検査をしてくださいね。今、紹介状を書きますから」と、付け加えました。 舌癌か・・・あと、どのくらい生きられるのだろうか?・・・ そんな事を、癌がわが身にある可能性を告げられただけで思ってしまいました。 癌という言葉が死を意味するものでなくなりつつある現代にありながらも、やはり、癌という言葉を、死に置き換えて考えてしまう愚かな自分がいました。 じゃあ、癌にならなければ、死なないのか? そう、癌でなくとも、その時がくれば、この命はお返ししなければなりません。 拝借申す 四大五蘊 お返し申す 今月今日 一休 蓮如上人『白骨の御文章』に曰く 「されば、朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり」 学校に行きたくないと泣いた子を叩き出して、事故に遭うこともある。 浮気が原因の夫婦喧嘩の仲直りをする事もなく、夫が仕事先で倒れる事もある。 憎み、妬み、恨み、そねむ心が己が徳をすり減らして、穴ふたつとなる事もある。 禅は、生と死を分けて考えない、つまり生死<しょうじ>として受け止めます。 「生とは何か・死とは何か」ではなく、「いまとはいつか・こことはどこか」であります。 余ハ今迄禅宗ノ所謂悟リトイフ事ヲ誤解シテ居タ 悟リトイフ事ハ如何ナル場合ニモ平気デ死ヌル事カト思ッテイタノハ間違イデ 悟リトイフ事ハ如何ナル場合ニモ平気デ生キテ居ル事デアッタ 正岡子規『病牀六尺』 子規は、わずか35歳で亡くなりました。 不肖ながら、私は今年39歳になります。嗚呼、勉旃、勉旃。 今回の件で、随分と電話やメールをいただきました。ありがとうございます。 親切なお気持ちを頂きながら、いまだ、返信しておりません。どうぞ、お赦しください。 先日、検査を受けてまいりました。 ・・・まぁ、平気です。 そう、平気さ。
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6月 18日 多用

忙しいは、心を亡くすと書くから、粋でない。 それ故に、多忙と言うのは、野暮だそうでございます。 だから、多忙と言わずに、多用。 私事、多用につき、コメントやメールのお応えは、暫くの間、できません。 飲みに行けるのは・・・7月の盆あけぐらいかなぁ。
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11月 04日 御随喜の皆様へ

10月26日 枕経 10月29日 大夜 10月30日 葬儀・告別式 藤水院三心妙房禅尼覚位の大夜並びに葬儀告別式に御随喜頂き、誠にありがとうございました。 お蔭様で、92歳の長寿を保ち、晩年は、骨折のためベッドや車椅子の生活を余儀なくされましたが、大往生でありました。 大本山永平寺の仏殿には、たいへん美しい言葉の書かれた聯があります。 来雁遷鶯尽是祇園仏事<来雁還鶯、是、祇園の仏事> 開花紅葉莫非少林家風<開花紅葉、少林の家風にあらざるなし> 秋となれば雁が北からやってくる。春となれば、鶯が谷底から高い樹に還ってくる。この事こそが、お釈迦様の説かれた佛法であります。 春には花が咲き乱れ、秋には木々が色ずく。この事こそが、達磨様の説かれた禅である。 お釈迦様の佛法は、禅宗初祖の達磨様に、そのまま伝わりました。 そして、その佛法は、高祖様・道元禅師様へと受け継がれました。 この世の姿は、無常であります。 しかしながら、私たちは、自分の物に常住を望んでしまいがちです。 そこに、執着を生じ、苦となってしまします。 藤水院様は、そのことを全身全霊をもって、この身が移り変わっていくものであると、示しました。 遺された者として、その事を受け止めねばならないと、感じております。 この度は、大導師様をはじめ各仏事師様、誠にありがとうございました。 また、多くの御寺院様も御随喜ありがとうございました。 そして、檀信徒の皆様、特にお世話人、協力委員の皆様方、隣組の皆様、ありがとうございました。 今後とも、よろしくお願いいたします。 法慧 九拝
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