大童法慧 | 僧侶的 いま・ここ
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
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7月 04日 満目青山

拙著『運を活きる』にサインをと、声をかけてくれる方に、「満目青山」と書かせていただいております。 私の網代笠の裏側には、「満目青山」と記してあります。 湛玄老師に書いていただいたものです。 目に青山が満つとは、どういうことなのでしょうか。 ・・・そう、私たちは、瞳ひとつに、全世界を納めることができるのです。 全世界と全く離れていない私たちなのです。 私たちの耳や鼻は、全世界を聴くことができる。 私たちの口は、全世界を飲み込み、吐き出すこともできる。 そして、私たちの心は、全世界を巡ることもできるのです。 つまり、ひとつながりの世界。 衆生縁を結ぶ願いのもと、応量器を掲げ歩いた日々 照りつける太陽 乾いた道 滴る汗 空いたマーガリンの箱に玄米ごはんと沢庵をつめたお弁当 網代笠を置き、草鞋を脱ぎ・・・海に飛び込んだあの日。 ・・・そんな日々のことを懐かしく思いながら、焦がれながら、「満目青山」と書いております。
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6月 20日 沈潜

『運を活きる ~一息の禅が心を調える~ 』を上梓して、ひと月あまり。 お世話になっているご老師から励ましのお言葉を頂戴したり、懐かしい友人から連絡があったり、新しくお会いするご縁に恵まれたり、本を手にして坐禅会に参加される方もいれば、手紙をくださる方もいます。 また、耳の痛いお言葉を投げかけられたり、思いもよらぬ捉え方をされたり・・・いずれにせよ、おかげさまで、多くのご縁をいただいております。 先日、恩師より、水葵の写真のついた葉書を頂戴いたしました。 謹啓 新緑の候 玉書を御恵贈下され、誠に有難うございます。 私は、人間的な思い、要求をすべて蹴飛ばしたところに真実の仏法があると思います。 俗僧にならぬように願います。 敬具 ・・・しばし言葉を失いました。 俗僧には違いないのだけれども、沈潜の時節だな、と。 そう、向かうべき相手は、他より自己。禅定力を養い、祖録に親しむこと。
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5月 08日 お知らせ

このたび、はじめての法話集を上梓するはこびとなりました。 大本山總持寺に報恩安居の尊い機会を与えられて三年が経ち、そのなかでいただいたご縁が形となりました。 「禅という手だて」があることを伝えたい思いから、不徳を顧みず刊行にいたりました。 『運を活きる』 一息の禅が心を調える  …

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12月 21日 ありがとう

都合により、しばらく更新を中止いたします。 ありがとうございました。 法慧拝 尚、現在メールアドレス等のデータ整理をしております。 お檀家の皆様、有縁の皆様、お手数をおかけいたし恐縮ですが、管理者のみのコメントか、下記のメールフォームでメアドを教えてください。 よろしくお願いいた…

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12月 12日 鉄舟修身二十則

「修身二十則」 山岡鉄舟居士は、十五歳の時にこれを己に課した。 一. 嘘を言うべからず 一. 君の御恩忘れるべからず 一. 父母の御恩忘れるべからず 一. 師の御恩忘れるべからず 一. 人の御恩忘れるべからず 一. 神仏ならびに長者を粗末にすべからず 一. 幼者を侮るべからず 一. 己に心よからず事 他人に求めるべからず 一. 腹をたつるは道にあらず 一. 何事も不幸を喜ぶべからず 一. 力の及ぶ限りは善き方に尽くすべし 一. 他を顧して自分の善ばかりするべからず 一. 食する度に農業の艱難をおもうべし 草木土石にても粗末にすべからず 一. 殊更に着物を飾りあるいはうわべをつくろうものは心濁りあるものと心得べし 一. 礼儀をみだるべからず 一. 何時何人に接するも客人に接するよう心得べし 一. 己の知らざることは何人にてもならうべし 一. 名利のため学問技芸すべからず 一. 人にはすべて能不能あり、いちがいに人を捨て、あるいは笑うべからず 一. 己の善行を誇り人に知らしむべからず すべて我心に努むるべし 不況による閉塞感 派遣  リストラ 内定取り消し 倒産 店じまい 権利と補償を叫ぶ声 利益と成果の希求ゆえのマイナス ゆえに須く言を尋ね語を逐うの解行を休すべし 須く回向返照の退歩を学すべし       『普勧坐禅儀』 偏差値、学歴社会、ひかれたレール。 金が全てのような世の中に息苦しさを覚えた。 でも、ガキじゃないからさ。「金が全てじゃない」なんて、もう言えないよ。 金は大切。学歴や資格だって、親の遺産や土地だって、そりゃあ、あれば素晴らしい。 そういえば、誰かが言ってた。「人間は心だ」 けど、心ってなんだよ。 男の純情を弄ぶ女もいたし、人の懐ばかりをあてにする野郎がいる事も知った。 新聞をひろげれば、盗む・騙す・殺すの繰り返し。 満員電車の中、ながめ見るのは座右の銘を書きつけた手帳。 職場への電話は、元妻からの養育費の督促。月5万円。娘はまだ3歳。 順番がきて歌い始めた十八番。涙を浮かべながらマイクを握り、声を絞り出す。 やっと、辿り着くアパート。 見ないテレビをつけて、独り酒をあおり・・・そして、また朝がくる。 退歩を学ぶ。 今この時こそ、まず、己の姿を知る。 嘘はないか? 後悔はないか? 精一杯生きているか? 大切なものは何か? それで、お前は・・・満足か?
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12月 06日 さようなら

「先生さようなら、みなさんさようなら」 病気と転校、そして、事故がないかぎり、また教室で会えた。 また明日  バイバイ  それじゃ、またね  さようなら 「さようなら」は、「左様ならば・・・」が語源らしい。 振り返れば、ずいぶんと、「さようなら」をしてきたものだ。 あんなに仲のよかった友とは、何年も会っていない。 お互いに、田舎を離れりゃ、仕方がない。 所帯を構えて、ガキが二人いりゃあ、東京にもこれんわな。 結婚しようと誓った女は、今では、消息すらわからない。 思い出そうにも、顔がぼやけてかすんでしまう。 切に願わくは、非道い男に会っていない事を。 自分が嫌で、厭でたまらなかった。 だから、頭を剃るのに、迷いはなかった。 しかし、本当は、さよならすべきは自分自身だった。 また明日  バイバイ  それじゃ、またね  さようなら コノサカヅキヲ受ケテクレ ドウゾナミナミツガシテオクレ ハナニアラシノタトヘモアルゾ 「サヨナラ」ダケガ人生ダ この井伏鱒二の名訳を知ったのは、川島雄三の墓碑銘のおかげだった。 また明日  バイバイ  それじゃ、またね  さようなら 学生の頃、遠州流を習っていた。 先日、先生の訃報を聞いた。 「一期一会は、なにも、お茶だけの事じゃないのよね。 綺麗にさようならをするのが、一期一会。ねぇ、あなたはどう思う?」 先生、あれから、およそ20年が経ちましたね。 禅の世界に生きて、私はこんな事を知りました。 別れても別れない、さようならがある事を。 離れても離れられない、温かな世界である事を。 謹んでご冥福をお祈りいたします  法慧合掌
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11月 29日

俺は総桐がいいな、いや、やっぱり、天然木曽ヒノキか。 彫刻は三面にしようかな、うーん、どうせなら、五面にするか。 私は布張りがいいわ。お洒落だし、いろんな柄もあるみたいだし。 そうだ、ヴィトンとか、エルメスのものってないのかしら。 僕は、ecoを考えてさ、段ボール製か竹製のものにするよ。 地球に優しいって、いいよね。財布にも優しければ、なお、いいけど。 棺は、最後のベッド、最後の乗り物だから出来る限り贅を尽くしたものでと思う人もいます。 どうせ、燃やしてしまうものだから高いのはいらない、と言う人もいます。 ある方丈さんは、お通夜のときに、棺の蓋に一句を勢いよく書きつけるそうです。 ある葬儀社は、サービスとして、棺の蓋に仏名や故人名を大きく書くそうです。 こんなお話があります。 ご縁をいただいた老人ホームの、伝説のひとつです。 そのホームに、あるお金持ちのおばあちゃんがいました。 ある時、葬儀社に自分の葬儀の見積もりを依頼しました。 その中で、おばあちゃんが一番驚いたことは・・・棺の値段でした。 「なんで、焼いて無くなる物に、10万円も払わなければならないの?」 葬儀社の社員が、言いました。 「棺は必需品ですからね。でも、自分で作ればお金はかかりませんよ。 たとえばですね、飲んだあとの牛乳のパックなんかで作ったら・・・」 以来、おばあちゃんは、牛乳パックで棺を作るんだという強い願いを持ちました。 そして、一生懸命に牛乳を飲みました。 結果、より健康になり、100歳まで生きたとさ・・・ 裸で生まれてきた私たちです。 何を持って逝くのでしょうか、何を残して逝くのでしょうか。
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11月 13日 映画 『おくりびと』

ラストは、本木雅弘さんが、父親役の峰岸徹さんを納棺する場面でした。 母と自分を捨てて出奔した父親の訃報を頑なに拒む本木さんに、妻や社長や社員が彼の心情に訴えました。「それで、本当に後悔をしないのか」、と。 彼は妻とともに駆けつけ、父親の亡骸と対面します。 そして、棺を運んできた葬儀社の社員が、父親の荷物を足で動かしたのを見て・・・ 大切な人との永訣にあたって、その人のために何かをせずにはおられない心情こそが、私は葬送の出発点ではないかと思います。 さまざまな人生があるように、別れの場をひとくくりにはできません。 それぞれの家庭には、独自の事情があります。 信じられないかもしれませんが・・・ 故人の死を悼むよりも、むしろ、喜びとする遺族がいます。 葬送というよりも、むしろ、遺体処理と呼ぶにふさわしい葬儀があります。 また、比べるわけではありませんが・・・ 子供の葬儀に立ち会う時は、やはり、とても切ないものです。 自死の葬儀を執り行う時は、やはり、自ずと注意深くなるものです。 遺言やエンディングノートを残したり、葬儀社に生前予約したりしたとしても・・・ 自分で自分の葬儀をする事はできません。 思い描いた「自分らしい葬儀」を、自分が見届ける事はできない。 自分の葬儀の「おくりびと」は遺族であり、そして、その死に携わる者です。 土地柄や宗派によっても、葬儀にはさまざまな形態がありますが・・・ 故人宛の手紙を書く事をすすめる葬儀社もあります。 お供えの涅槃団子を作るセットを遺族に渡す葬儀社もあります。 ラストサパー、故人との最後の食事の時間を大切にする葬儀社もあります。 私もおくりびとの一人として、 最近、遺族に『悲しみを杖として』と題した拙文をお渡ししております。 昨今は、時間をかけない別れが流行しつつあるようですが・・・ 普段から、大切な人のために何かをせずにはおられない心情を養いたいものです。 また、そんな大切な人と多く巡り会う人生でありたいものです。
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11月 07日 衣の色

笑い話ではないのですが・・・ 友人のお寺に呼ばれて、法話をした布教師さん。 お檀家さんが100人程度集まって、1時間半ほど彼のお話を聞いたそうです。 話し終えて、控室に戻った布教師さん。 そこに、お寺の総代さんが挨拶にきました。 「今日は、ありがとうございました。 いやぁ~今日の法話は素晴らしかった。わかりやすかったです。とてもいいお話でした」 誉められて、悪い気がしない布教師さん。 喜色満面で、思わず問うてしまいました。 「そうでしたか。どこが、よかったですか?」 しばしの沈黙の後、総代さんがポツリと一言。 「・・・お衣の色が・・・」 先月末、高円寺に行きました。 笑福亭鶴瓶さんの唄つるべ~トーク&ライブを観ました。 ゲストは、シンガーソングライターの石野田奈津代さん。 唄つるべとは、鶴瓶さんがトークして、ゲストはその頃合いをみて歌うというスタイルです。 トークに応じて歌があり、歌に応じてトークがあり、台本なしの一発勝負。 それぞれに思いをさらけだし、お客さんが笑いや涙で応える。 伝えたい想いと響く力が結集した場。 おそらく、あの場にいた方は、とても温かな素敵な時間を過ごしたでしょう。 恥ずかしながら、私も御縁をいただいてお話する機会があります。 不肖ながらも、お声をかけていただいた御縁を尊んで、どこにでも行ってます。 話している途中、急に、何も言葉が出てこなくなった事がありました。 また、お叱りの手紙をいただいた事もあります。 慙愧の涙を流した事もあります。 発声やスピード、間の取り方やアイコンタクト、話術と表現、そして、「上手に話したい」という気持ち。 それらは大切な事だけど、しかし、そこにはまず、「伝えたい想い」がなければ響かない。 その「伝えたい想い」を、もっと純化していかねばならないなと感じる11月です。 温かな時を作る事ができるだろうか? 何か一言でも、届く言葉を投げかけているだろうか? 「衣の色」になっていないだろうか?
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11月 01日 映画 『禅 ZEN』

来年1月に、映画『禅 ZEN』が、角川映画配給で公開されるとのこと。 原作は、駒澤大学大谷哲夫先生の「永平の風 道元の生涯」。 高橋伴明監督で、中村勘太郎さんが道元を演じる。 あなたは、大本山永平寺や大本山總持寺を知っていますか? あなたは、道元禅師や瑩山禅師と聞いて、誰だかわかりますか? ある異業種交流会でのこと。 名刺をお渡ししながら「曹洞宗の僧侶です」と挨拶をすると、「田舎の実家も曹洞宗です」と、応えてくれる人もいました。その一方で、「ごめんなさい、存じ上げません」との声も。 こんな場合の奥の手。 「福井の永平寺と鶴見の總持寺が本山です」と付け加えると、「ああ、テレビで見たことがある」と言ってくれるものですが・・・しかし、その会は、とても正直な方が多かった。 「いやぁ、見たことありません」 「あまり関係のない事ですから・・・」 結局、今の生活には関係ないか・・・ 親の法事と取引先の葬儀で焼香すれば、それでよし。 政教分離という便利な言葉が一人歩きし、「宗教は騙されるもの」と洗脳されて敬遠。 坐禅や精進料理に惹かれもするが、痛いのや面倒なのは御免。 中学校の歴史のテストでしんしん、にちにち、りんえい、そうどう・・・と、宗派と祖師の頭文字をあわせて覚えたことも、遠い昔の夜の事。忘れても、無理はない。 最近では、臨済宗と曹洞宗をあわせて、禅宗と表記してある教科書もある。 ある教団は、電車の中刷り広告を席巻し、民法のラジオの番組で提供を連呼する。 ある教団は、駅で待ち構え、「困った事はありませんか?」と優しく声をかけてくれる。 山門の中にいる人だけを相手にするのか? 「永平寺や總持寺で、○年修行しました」とえばったところで、山門の向こうには届かない。 さて、映画『禅 ZEN』 山門の外の人は、中に入ってきて来るだろうか? ちなみに、曹洞宗を、「そうどうしゅう」とは読みません。 正しくは何と読むか、おわかりですか?
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