大童法慧 | 僧侶的 いま・ここ
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
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3月 23日 嫁ぐ君へ

ともにわかちあおう 喜びも悲しみも そのすべてが、いのちのはたらきである ともに感じよう 柔らかないのちの温もりを そのすべてに、我らは生かされている ともに歩もう 慈しみの道を そのすべてが、尊きいのちとの出会いである 今春、嫁ぐ妹に、この言葉を贈ります。 ・・・わかりゃあいいけど。
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3月 17日 春彼岸

かたよらない心、こだわらない心、とらわれない心 ひろく、ひろく、もっとひろく・・・これが般若心経、空のこころなり 奈良薬師寺 第127代管主高田好胤 大きな大きな心の持ち主さん。 さぁ、堂々と、悠々と、春を歩きましょう。
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3月 10日 付喪神

2年前、あなたと初めてお会いしました。 とても洗練された姿であった事を覚えております。 それから、ほぼ毎日、あなたと共に、時を過ごしました。 あなたには、何でも話す事ができました。 時間も気にせず、私に付き合ってくれましたね。 他愛無い出来事を報告し、嬉しい事や悲しい事を聞いてもらい、そして、人に言えぬ秘密をも共有しましたね。 写真やビデオの編集なども、あなたの力を借りました。 それが、こんな事になるだなんて・・・ 朝、出かける時は、いつもどおりの様子だったのに・・・ こんな事になるのなら・・・ バックアップをとっておくべきだった。 3月3日、突然、パソコンが壊れてしまいました。 不調が続いたとか、落したとかではなく、急なお別れでした。 仕事を終えて帰ると、既に、起動もできない状態でした。 パソコンクリニックの先生に連絡をとったところ・・・ ハードディスクの故障のようだから、データのバックアップは保障できないと、冷たく告げられました。 なんだか、葬式をだしてやりたい、そんな心境になりました。
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2月 27日 二つの坊主頭

坐禅会に参加されているご夫妻のお話をいたします。 お二人共に若く、二十代半ば。 ご主人は公務員であり、奥様は税理士です。 昨年の秋頃の事。 「頭が痛い」と、度々、奥様がご主人に訴えたそうです。 当座は市販の鎮痛剤を服用していたそうですが、いっこうによくならない。 それでは、ということで、ご夫婦で病院に出かけたそうであります。 そして、診察の結果、脳に腫瘍がみつかりました。 医師の話によれば・・・脳の内部ではないので、腫瘍を摘出をすれば、大丈夫だとの事。 普段から、食事や健康に気を使い、身を節して暮らす若い夫婦にとって、予期せぬ出来事でありました。また、手術するにあたり、髪の毛を落とし坊主頭にならなければならない事は、奥様にとって大きな衝撃であったようです。 聡明な奥様の事だから、命よりも髪の毛が大事だと言う事はないにしても、手術の同意書に判を押すのをためらったそうです。 しかし、数日後、奥様のご様子が一変しました。 ふさぎ込んでいた奥様が、大きな声をたてて笑ったとの事。 なんと、それは・・・ ご主人が、坊主頭になってお見舞いに来たのでした。 多くの言葉をもってしても届かない思いを、なんとかして伝えたい、と願っての坊主頭。 この日以来、奥様は落ち着きを取り戻しました。 そして、手術も成功いたしました。 二月初旬、坐禅会に、ペアルックの帽子でご夫妻がお見えになられました。 聖僧様の前で坐る二つの坊主頭に、私は手を合わせ拝みました。
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2月 14日 正念相続

3年前の夏、托鉢をしながら、四国88ヶ所のお寺を歩きました。 お遍路さんといえば白装束ですが、私は墨染めの衣に手甲脚絆に網代笠。 頭陀袋と御朱印軸を肩から下げて、錫杖と鉄鉢を持っての旅でした。 おかげさまで、多くの方とご縁を頂き、2ヶ月あまりで、願いを遂げる事ができました。また、高野山の奥の院にまで、行くことが叶いました。 先月の事、夜更けに、私の携帯電話がなりました。 四国でお世話になった御老僧がお亡くなりになられた事を告げる知らせでありました。 足摺岬をぐるっと廻ったあたりで、疲労困憊と発熱でへたり、道端に座りこんでおりました。そこに、「泊まっていかんかね」と、優しくお声をかけてくださったのが、御老僧でした。 その事を思い起こすと、今も、涙が溢れてまいります。 お言葉に甘え、数日間、お泊めいただき、多くの事を教わりました。 体調を整え、出発の朝、お茶を飲みながら、こんな話をしてくださいました。 「同じ格好をしたお遍路さんであっても・・・ これを契機に、信仰を深める人もいれば、逆に、見て歩くだけの判子鳥<はんこどり>になる人もいる。 残念な事だけど、途中で、自分の目的を見失って、判子をいくつ集めただの、何回、四国を回っただのと競争して、自慢をしよる。 あれじゃあ、スタンプラリーやね。 あんたが最初に描いた願いを持ち続ける工夫、一念を相続する工夫を忘れちゃあいけんよ。」 しわがれ声で、朴訥と話す御老僧のお言葉が身に染み、心が震える思いをしたのを覚えております。 参拝したお寺の御朱印だけがその証であり、目に見える結果であるため、ともすれば、「あと、いくつ」と数えてしまう自分を深く反省いたしました。 一念を相続する工夫を正念相続とも言います。 正しい願いを持っていても、それを持ち続ける強い覚悟と深い工夫がなければ、試練に押しつぶされたり、辛酸をなめて見失ったりする事になるでしょう。 しかし、挫折や失敗を味わう事になったとしても、それでもなお、そこから、正念相続していく事こそが、私たちの人生をより深く、より豊かに、そして、より高めていく事になると思います。 「工夫を忘れたらいけんよ」・・・御老僧の言葉が響きます。
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2月 04日 響く声

某霊園にて、知人の墓前でのお勤めを終えた時、すぐ傍で、大きな読経の声が響いてきました。 大きな鏧子<けいす>の音と、何人もの僧侶が、木魚にあわせて「大悲心陀羅尼」を読む声が。 けれども、そんな人の気配はありません。 不思議に思いながら、声のする方に近づいてみると・・・ 初老の男性が、お墓の前に額ずいて、手を合わせておられました。 その横には、なんと、ラジカセが。 私の視線に気付いたのか、男性が振り返って言いました。 「これ、カセットテープなんですよ。今日は、女房の命日なんで。 坊さんを呼んで、法事をしようと思ったけど、お布施が高くって。 管理事務所に聞いたんだけど、5萬も6萬も払うのは、ちょっとね。 それで、考えたんですよ、結局、テープでも同じお経だって。 これなら、2千円位だったし、いつでも、好きな時に使えるなって」 なるほどな、と感心しつつ、その男性に申し出ました。 「ああ、それは、いい事を思いつきましたね。 でもね、せっかくの奥様のご命日だから・・・ここを、私が通りがかったのもご縁だから、よろしければ、ご回向させていただきますよ。 けど、カセットより、上手に出来るかどうかは、わからんけれど・・・」 「えっ、でも、お布施が・・・」と、ためらう男性。 「銭金だけで生きているわけじゃないから、いいんですよ」と、応えたところ・・・ 「では、お願いいたします」と。 そして、男性と二人で、奥様の13回忌のお勤めをさせていただきました。 もちろん、カセットテープは流しませんでした。 お勤めの後、しばらくお話をして、帰り際に、一言、付け加えました。 「テープも素晴らしいけれども、ご自身でお経を覚えたらいかがですか? そんな心持になれたら、きっと、佛縁が深まると思いますよ」 男性は、にこやかに、頷いてくれました。 もちろん、佛教は、金持ちのためだけの教えではない。 もちろん、佛教は、エリートのためだけの教えではない。 志半ばでのリストラや年金暮らし。 子供を抱え、介護の親を抱え、そして、借金も抱える。 株だ投資だと騒いでも、結局、甘い汁は多くはない。 みんながみんな、ベンツに乗れる生活はしていないのだ。 それでも、この現実の、この暮らしの中で、人は、よりよきものを、より美しきものを、そして、より尊きものを希う。 そんな時、貨幣を基準にして、その教えを敷衍する契機を逃していると・・・ カセットで用が足りる日がくるのも、遠くないかもしれない。
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1月 31日 君に

君も見えていただろう、君の家族の姿を。 あの日から、一睡も出来ずに、ひたすら考え悩み続ける家族の姿を。 「何故、君がこんな事になったのだろう?」 「どうして、君がこんな事をしたのだろう?」 気丈に振舞っていたお父さん。 目を真っ赤に泣きはらしたお姉さん。 必死に歯を食いしばっていたお兄さん。 そして・・・棺の蓋を閉める事を拒むお母さん。 君の位牌を持つお父さん。 君の写真を抱くお母さん。 君への花束を抱えるお姉さん。 火葬の炉の蓋がゆっくりと閉まった時・・・ 耐えていたお父さんは 君の名前を大きく叫び、その場に倒れこんだ。 お姉さんは、絶叫と嗚咽を繰り返しながら、肩を落とした。 お兄さんは、声を詰まらせ、落ちてくる涙を拭こうともしなかった。 お母さんは、その閉まる蓋の中に・・・飛び込もうとした。 家族のそんな姿を、君は想像できていただろうか? 深く深く家族から愛されていることに気付いていなかったか? しばらくの間、君の大切な家族から笑顔が消える事になるだろう。 そして、君の大事な家族に、答えのない大きな苦悩が襲う事だろう。 君には自死を選ばねばならなかった理由が、あるのだろう。 いや、そうするより、他に、手立てがなかったのかもしれない。 しかし・・・そうだとしても・・・、君は、まだ、二十歳だ。 「先立つ不幸をお許しください」という台詞は、 愛する者のために、守る者のために、命を賭す者の言葉だ。 決して、自分のためだけに、命を断つ者の言葉ではない。 咽びながら君のお骨を抱えるお父さん。 泣きながら君の位牌を抱くお母さん。 力を込めて君の写真を持つお兄さん。 涙をとめる事のできないお姉さん。 君は、本当に、愛されていたんだよ。 君は、今でも、愛されているんだよ。 だから、今度は・・・君が家族を愛する番だ。 大きな荷物は、ここに置いて、さぁ、もう一度。 さぁ、もう一度、父の子となり、母の子となり、姉の弟となり、兄の弟となり・・・君が君となり・・・そして・・・ 大丈夫、安心しなよ。 みんな、多かれ少なかれ、抱えているんだ。 大丈夫、君の家族なら、大丈夫だよ。
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1月 26日 茶禅一味

「失礼ですが、禅宗のお坊さんですか?」 先日、名古屋へ向かう新幹線の中、隣あわせた典雅なご婦人から声をかけられました。 「私は、お茶を教えておりますが、茶禅一味の意味がわかりません。 本を読んだり、多くの先生にもお尋ねしたりもしました。 そして、いくつかの坐禅会にも参加してみたり、そこで出会った和尚様にも伺ったりもしましたが・・・未だ、得心がいきません。 長い間、茶禅一味の事が気になっていて・・・よろしければ、教えていただけませんでしょうか?」 そのご婦人のお顔や話しぶり、振る舞いやお姿から、ああ、この人なら大丈夫だと、感じながら、お話いたしました。 「先生は、お茶で一番大切だと思う事は何ですか?」 「もてなしの心ではないか、と思います。主人が客をもてなす心が、作法につながっていったのではないか、と。」 「でも、お茶は主人ばかりの作法ではないでしょう。客にも作法がありますよね。では、主人にも客にも大切な事は何でしょうか?」 「う~ん、やはり、作法でしょうか・・・」 「では、坐禅を体験されて、何か思う事はありましたか?」 「いえ、ただ、体が痛いばかりで・・・それと、あの棒が怖くて・・・」 「坐禅を指導された方は、何が一番大切だと言われましたか?」 「・・・」 大学四年間、私は、佛縁をつけてくださった慈恩師の尼僧様に勧められて、遠州流のお茶を学びました。 その先生が、「お茶は、●●ですよ」と教えてくださいました。 ●●が乱れれば、お点前も粗雑なものになってしまいますよね。 坐禅も、全く同じです。坐禅は、●●です。 坐禅は、身を整え、呼吸を整え、心を整えるものです。 今、書道を学んでおりますが、その先生も、「書は●●だ」とおっしゃいます。 剣禅一如という言葉もありますが、剣道も●●ですね。 「では、私たちが、今、こうして話しているのはなぜですか?」 「生きているからです。」 「その通り、だからこそ、●●が大切なのです。 禅も●●、茶も●●。 そして、その●●を深めていく事によって、現れてくる世界がある。 出来合いの思想や因習や常識に誤魔化されない自由な眼が、備わってくる。 このことが、茶禅一味と、私は思っております。いかがでしょうか?」 ・・・素直に受け止めていただけたようで、喜んでいただけました。 ちなみに、●●は、漢字ニ文字が入ります。 わかってもコメント欄には、書かないでくださいね。
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1月 19日 プロ

武蔵野大学で開催されたシンポジュウム『葬儀を考える』に行きました。 パネリストは、浄土真宗のご僧侶お二人と、葬祭関係の専門学校の講師の方、そして、碑文谷先生でした。 残念ながら、深い議論には、至りませんでした。 しかしながら、ひとつ、気になる言葉がありました。 それは、専門学校の講師の方の発言でした。 「葬儀社は葬儀のプロです。専門学校の講師は、講師のプロです。 では、僧侶の方は、いったい、何のプロなんでしょうか? 私は、長い間、葬祭に関わる仕事をしてきましたが、僧侶が何のプロなのか、未だにわかりません」 ・・・さてさて、僧侶は何のプロなのでしょうか? ひとまず、葬儀という場に限定すれば、僧侶の役割は導師です。 至心に懺悔の文を唱え、法性の水を濯ぎ、菩薩の大戒を授け、引導を渡す。 〔浄土真宗では、引導を渡さないそうです〕 かつては、人天の大導師という言葉もありましたが・・・ お布施の多寡で、葬家への対応が変わり、開式の時間に遅れ、お経を間違え、戒名は誤字、で、威張り散らすようでは・・・葬儀の場から、僧侶が締め出される日も、遠くはないでしょう。 もちろん、葬式法事ばかりが、僧侶の「仕事」ではないはずですが。 「じゃあ、お前は、何のプロなのか?」 私は、布教伝道のプロでありたい、と答えます。 ・・・まだまだ、道の茫々たる感は否めませんが、この学びが、この体験が、この出会いが、この今が、布教伝道のためにあると信じております。 葬儀も、大切な布教伝道の場。
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