大童法慧 | 禅語・仏教語・言の葉
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
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12月 10日 逃げたら・・・

  逃げたらあかん    石川洋 つらいことが多いのは 感謝を知らないからだ 苦しいことが多いのは 自分に甘えがあるからだ 悲しいことが多いのは 自分のことしかわからないからだ 心配することが多いのは 今をけんめいに生きていないからだ 行きづまりが多いのは 自分が裸になれないからだ クヨクヨは欲のまわり道 グズグズは自分の出し惜しみ いたらない人間なのだから あたためあっていこう 空いっぱいに空があるように 心いっぱい美しい心を育てよう おくれてもいい 寝ている兎さんを起こしてあげられる カメさんに 私はなりたいな      自戒  石川 洋 辛いことが多いのは 感謝を知らないから 苦しいことが多いのは 自分に甘えがあるから 悲しいことが多いのは 自分のことが分からないから 心配ごとが多いのは 今を懸命に生きてないから 行きづまりが多いのは 自分が裸になれないから  ...

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7月 30日 喫粥了

しなくてはならない事から目を逸らし、自分のやりたい事しかしようとしない怠け者。   禅の道場の朝ごはんは、お粥です。 お粥をいただくことを喫粥(きっしゅく)といいます。 そして、喫粥が了ならば、食べ終わったならば片づけなければなりません。   あなたは、朝ご飯、食べましたか? 食べた後、片づけましたか?   私たちの「したいこと」と「しなくてはならないこと」は異なります。 「したいこと」をするのは格好いいし気持ちいいし、それに勝るものはないでしょう。 けれども、「しなくてはならないこと」は「しなければならない」のです。 あなたの立場、あなたの責任において、それは果たさなければならない。   朝ご飯を食べる。食べたら片づける。 朝ご飯だけの話ではありません。 あなたの仕事、家庭、学校、暮らし、「今・ここ」。 喫粥了。   しなくてはならない事に目をつぶり、自分のやりたい事しかやろうとしない愚か者。            ...

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7月 09日 心が狭い

拙ブログの記事を、そのままコピペして自分の日記として公開されている人がいます。 タイトルまで同じにして、よほど気に入ったのでしょう。   なぜこんなことをするのでしょうか?とコメントを入れたら・・・「心の狭い人だ」とメッセージが送られてきました。   苦笑しながら、個人主義的価値相対主義という言葉を思い出しました。 即ち、「人間には自由に生きる権利があるけん、迷惑さえかけんかったら、何をしたっていいんじゃろ」と装う人。     お釈迦さまのお言葉ふたつ。 人間関係に少し疲れた時に味わいたいお示しです。   他人の過ちは見えやすく、自分の過ちは見えにくい。人は他人の過ちを籾殻(もみがら)のように吹き散らす。しかし自分の過ちは、狡賢(ずるがしこ)い賭博者が自分の不利なサイコロをごまかすように、覆い隠す。他人の過ちを見るべきではない。他人がやったこととやらなかったことを見るのではなく、自分がやったこととやらなかったことを常に見るべきである     黙している者も非難され、 多く語る者も非難され、 すこしく語る者も非難される。 世に非難されない者はいない。      ...

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6月 11日 いとやすき道

  佛となるに、いとやすきみちあり。もろもろの悪をつくらず、生死に著するこころなく、一切衆生のために、あはれみふかくして、上をうやまひ下をあはれみ、よろづをいとふこころなく、ねがふ心なくて、心におもふことなく、うれふることなき、これを佛となづく。又ほかにたづぬることなかれ。 『眼蔵』「生死」巻   いとやすき道と示されても、それができないお互いです。 けれども、少し視座を高めてこのお示しを頂戴するならば、これは方法論ではなく、「今・ここ・そのままの私」が常に問われ、常にはじまりであり、佛そのものと相違ないのだ、と。   お釈迦さまは、「正覚を得ずばこの坐を立たず」と足を組まれました。 私たちもまた、「今・ここ」から。  ...

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2月 13日 落ち穂

  こんな話がありました。   それは、ハンバーガーショップでの出来事でした。ある家族が食事を終えて、店を出ようとした時、母親がレジに行きこう言ったそうです。「このハンバーガーは子供が食べなかったから、お金を返してください」 また、食べ放題のお店に、タッパーを持っていく人もいるそうです。お店が注意すると、持ち帰り禁止って書いていないと文句を言ったそうです。 私たちは、自分のことだけ、目先の欲望の充足だけをもって人生を測ってしまう癖があります。そして、まだ足りないと騒いでしまう心もあります。     『旧約聖書』 レビ記19章9~10 あなたがたの地の実のりを刈り入れるときは、畑のすみずみまで刈りつくしてはならない。またあなたの刈入れの落ち穂を拾ってはならない。 あなたのぶどう畑の実を取りつくしてはならない。またあなたのぶどう畑に落ちた実を拾ってはならない。貧しい者と寄留者とのために、これを残しておかなければならない。     喰い尽くさないこと、落ち穂を遺すこと。 そんな視点を忘れないでいたいものです。   尚、道元禅師は「貪らざるなり」とお示しになられております。 自分の持っているものを与えるだけではなく、欲しがらぬという在り様もあるのだよ、と。      ...

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1月 16日 啐啄同時

  師から「カラスは白い」と言われれば、「はい」と応えるのが弟子だと教えられました。 なぜならば、何事も守破離があるからです。   お茶の道、書の道、剣の道、そして、仏の道。 道と名の付くものだけではなく、まずは、師や先人、上司や先輩の教えるところを護持すること。 そして、「なぜ、カラスが白いのか」を会得すること。 そのうえで、「カラスは黒かった」と申し上げるならば、師も応えるでしょう。「白いカラスは珍しい」、と。     啐啄同時という禅語があります。 雛が卵の外へ出ようと殻を内からつつくことを「啐」。 母鶏がそれに応じて殻を外からつつくことを「啄」。 「啐啄」が「同時」であってこそ、雛は誕生することができるのです。     大切なことは、「カラスは黒いです」と即答することではない、つまり、吾我を主張するものではないのです。そして、「弟子から全てを奪ってくれる師」のありがたさに気づきたいものです。        ...

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1月 09日 この世は

  お釈迦さまが終焉の地クシーナガラ向かって歩きながら、弟子のアーナンダに語りかけるようにつぶやかれた言葉です。   「アーナンダよ 樹々は美しい この世は美しい 人の命は甘美である」   こんなふうに、人生を眺めたいものです。     想うのです。 人間は、幸せになるために生まれてきた、と。 不幸せになりたい人などいないはず、です。 みんな幸せになりたいのだけれども、世界を見ると争ってばかりです。世界だけではありません、そう、家庭の中、会社の中、そして、自分自身が争っている。       あなたは、どうでしょうか。 「アーナンダよ 樹々は美しい この世は美しい 人の命は甘美である」 こんなふうに、言えますか?        ...

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1月 02日 徳を積む

  「人のお世話をすれば、徳が積める」とは、母の言葉   徳を積むとは、善いことを貯金通帳に入れていくことではない 徳とは、善いことをすれば良いことがあるという下心ではない 徳を積むとは、受けた恩をこぼさないようにすること   受けた恩、父母や家族、先生や先輩・・・さまざまな人、この空気、この星、この世界、それらの恩を感じること、そして、壊さないよう、こぼさないようにすること。   今、生きていることへの感謝を態度で現わすことが、徳を積むこと        ...

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12月 26日 ご用心

  頓智で有名な一休さん、一休禅師は、正月に杖の頭に髑髏をしつらえて、「ご用心、ご用心」と叫びながら練り歩いたという逸話があります。   そして、「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」とも示されました。お正月はめでたいものでもあるけれども、裏を返せば一歩死に近づく日でもあり、めでたくない日でもあるのだよ、と。 あなたの心持はいかがでしょうか。   WHOの健康定義について、1998年に次の提案がなされました。 Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity. 人間は固定した状態ではなく、より大きな関わりと繋がりを持つということを示すdynamicという言葉。 病理や肉体の状態だけに目を留めるのではなく、dynamicな視点から「健康に死ぬ」こともできることを、よくよく用心したいものです。 ちなみに、この提案はWHO執行理事会で総会提案の結果、賛成22反対0棄権8で採択されましたが、その後のWHO総会では、現行の健康定義は適切に機能しており審議の緊急性が他の案件に比べて低いなどの理由で審議入りしないまま採択は見送りとなりました。     門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし   一休    ...

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12月 19日 同時成道

釋迦牟尼佛、明星を見て悟道して曰く、「我と大地有情と同時に成道す」『伝光録 首章』   お釈迦様のお悟りの叫びは「私は悟ったぞ」ではなく、「皆が悟った」でした。     「私が」から「私たちが」という視点へと転じること。 グリーフケアやスピリチュアルケアを学ぶなかで、他者論というものと出会いましたが、やはり、根源の「私とは何か」ということをいよいよ明らかにしなければならないと思う年の瀬です。      ...

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