大童法慧 | 禅語・仏教語・言の葉
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
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5月 05日 境涯

老病覚来不能寝   老病覚め来たって寝る能わず 四壁沈々夜正深   四壁沈々として夜正に深し 燈無焔爐無炭他   燈に焔無く爐に炭無し 只有凄凉枕積衾   只凄凉枕衾に積る有り 不知何以慰我心   知らず何を以て我が心を慰めん 暗曳烏藤歩庭陰   暗に烏藤を曳いて庭陰を歩す 衆星羅列禿樹花   衆星羅列す禿樹の花 遠渓流落無弦琴   遠渓流れ落つ無弦の琴。 此夜此情聊自得   此の夜此の情 聊か自ら得たり 他時異日向誰吟   他時異日誰れに向かつて吟ぜん 老いさらばえて、なかなか眠りにつけない 闇が暗くのしかかり、夜のとばりが深い 燈の明かりはなく、爐に炭の火も残ってない 名状しがたい寂しさの塊が、私を捉えてはなさない どうしたら、この心を慰めることができるだろうか 暗闇の中、杖に身を任せ庭に出てみる 満点の星が光を放ち、木々に花を咲かせているようだ 谷川の柔らかな音は、まるで琴を奏でているようだ 「嗚呼、生きていてよかった」と、跪き手をあわせてた この事を共有してくれる友はいるだろうか 同じ言語を使用し、同じものを見、同じことを体験したとしても、 その境涯によって、その意味するところは異なる。 星のきらめきや谷川のせせらぎを、己の命とする人もいる。 楽しい時やハッピーな時は、悲しい時や辛い時よりは、居心地はいい。 そう、居心地はね。 朝、新聞をめくりながらインスタントのコーヒーをすするのが、いつもの朝食。 妻は起きてこず、やさぐれ娘は帰ってこない。 片道2時間かけて、職場へと向かう。 人の使い方をしらない上司、同じ人間とは思えない部下。 取引先からはクレームの電話。 頭を下げ、怒鳴り、媚びる。 陰で何と言われているくらい、俺だって知ってるさ。 雲行きは変わることなく、「定年まで、あと2年」と自分に言いきかせる。 そんな気だるい午後であっても、世界中が敵に思えても、死んでしまいたいと思う状況にあっても、 ・・・しかし、いのちの風光は輝いているのだ。 楽しい時やハッピーな時は、悲しい時や辛い時よりは、居心地はいい。 ・・・でも、それだけのこと。 幸せは居心地の良さではない。
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3月 04日 待合室

親の死・・・あなたの過去を失うこと 配偶者の死・・・ あなたの現在を失うこと 子どもの死・・・あなたの未来を失うこと 友人の死・・・ あなたの人生の一部を失うこと 『愛する人を亡くした時』 グロールマン 彼らは配偶者の死に接して見るまに気力を失い、自分の人生を身の毛もよだつような「死を待つ待合室」に変えてしまう 『慰めの手紙』  ヘンリ・ナウエン それでも、生きる事。それでも、生きる事。それでも、生きる事。 ・・・そこから、生きる事。 死の待合室にするか否かの分岐点は、自分が絶対でない存在だと気付く事。 ・・・そこに、風が吹く。
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2月 17日 地蔵真言

お地蔵様とのご縁のおかげで、私は出家する事ができました。 以来、『地蔵菩薩本願経』を毎月24日に読誦するようになり、 ご縁のある人には地蔵真言を勧めております。 地蔵真言 唵訶訶迦昆三摩曳娑婆訶 おんかーかーかび さんまーえいそわか ※【連絡】 18日から22日まで、所要のため電話に出られません。 お急ぎの方は、メールにてお知らせください。 すぐにお返事できない場合もありますので、ご了承ください。
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1月 31日 アンテナ

先日、川崎いのちの電話の特別公開講座で、脚本家の山田太一氏が講演がありました。 最後に、氏はこのように結びました。 「人間は、集団の中にいるだけで、たくさんのことを学んでいるんじゃないかな。 言葉なんて交わさなくても、他人と一緒いるだけで、何か栄養みたいなものを、人間はいろいろ吸収しているのではないか、と思うのです。 電車でヘッドホーンをしている人がいるでしょう。 あれはもしかしたら、ものすごくもったいない事なのかもしれません。 渋谷の有名な、あれはなんでしたっけ。スクランブル交差点? あの交差点を5回も歩いたら、あんがいそうとう学ぶ事があるのかもしれない。 もし人間というのが、ただ他人と空間をともにするだけで学ぶものがあるならば。 外に出て、人ごみの真っ只中を歩くのも面白いかもしれません」 聞いていて、ふと、この歌を思い出しました。 遍く照らす月の光は、心のアンテナを澄まさないと届かない。 月影の いたらぬ里は なけれども ながむる人の 心にぞすむ       法然上人
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1月 15日 日々是好日

ある時、雲門大師が、お弟子たちに向かって言いました。 「これまでのことは尋ねまい。 しかし、これからの生活の中で、何が一番大切な事なのか、一句をもって来い」 お弟子たちの顔を見渡しましたが、誰一人として、応える者はありませんでした。・・・そこで、雲門大師、たった一言、言い放ちました。 「日々是好日」 日々是好日という言葉は、聞きなれた禅語のひとつでしょう。 毎日毎日が好き日であるとか、人生は心がけひとつでなんとかなるとか、毎日を感謝して生きましょうとか、等に理解されているようです。 この好日の「好」とは、好きや嫌い、好いや悪いを超越した「好」だから・・・ 「ものの優劣に囚われたりしません」「是か非かを問いません」「損得勘定で動きません」「分別をしません」と、覚悟しなければならないと教える先生もいます。 また、好を「よし」と読ませて・・・ 「試験は落ちたけれど、よし、不合格なにするものぞ!」 「彼女と別れたけれど、よし、もっといい女と巡り合うぞ!」と、上手い事を言う人もおります。 では、あなたは・・・ 今日、検診で癌を告知されても、好き日であると、受け止められますか? 今日、金策尽きて、不渡りをだしても、人生は心がけひとつと、前を向けますか? 今日、最愛の我が子が、事故に巻き込まれたとしても、感謝していただけますか? ・・・それでも、日々是好日。 泣いても、嘆いても、呻いても、もがいても、苦しんでも、日々是好日。 この世は、無常であります。私たちの命も、また、無常であります。 私たちは、この遷り変る命を生きている。 だからこそ・・・日々是好日。突き詰めれば、好日とは、いま・ここの事。 毎日は新しい。 そう、毎日は新しいのだ。 いや、時々刻々と、私たちは新しいいのちを生きている。
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12月 11日 心の人

吉川英治を読んでいたら、こんな内容の話が書かれていた。 彼が受けた就職試験の面接の最後に、支配人みたいな人から聞かれたそうだ。 「あなたには宗教がありますか? わたしの店では、実は、宗教のないような人は入れないのです」 これで、面接もおしまいになりかけ、あわてて彼は言い添えた。 「宗教はありませんけれども、ぼくは母がいつでも自分の胸の中にあって、 ぼくはお母さんを思い出すときは、決して悪いことはいたしません。 ぼくはお母さんを思い出せば、勉強せずにはおられません。 それじゃいけないですか?」 後日、採用の通知がきて驚いた、と。 母を思えば、決して悪いことはできない。母を思えば、勉強せずにおられない。 あなたの心の人は誰ですか? 生きる力を与えてくれる人に、恥じない生き方を。 ・・・父母を思えば、人を欺く事はできない。 ・・・師を思えば、貧なる事にも耐えられる。
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10月 31日 静寂

生死        内山興正老師 手桶に水を汲むことによって 水が生じたのではない 天地一杯の水が 手桶に汲みとられたのだ 手桶の水を 大地に撒いてしまったからといって 水が無くなったのではない 天地一杯の水が 天地一杯のなかに ばら撒かれたのだ 人は生まれることによって 生命を生じたのではない 天地一杯の生命が 私という思い固めのなかに 汲みとられたのである 人は死ぬことによって 生命が無くなるのではない 天地一杯の生命が 私という思い固めから 天地一杯のなかに ばら撒かれるのだ 『生死を生きる−私の生死法句詩抄』 大切なあの人を偲ぶ静寂の時 思いを凝らして あの人との出会いを喜び 別れに学ぶ そして、あの人のたたえる寂けさによって 真実なるものに気付き、いのちのはたらきに目覚める事ができる
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10月 20日 悲しみ

彼は8歳の時、父を亡くした。 母は、そののどぼとけを小さなガラス箱に入れた。 そして、毎朝一番に水を汲み供えるように、彼に命じた。 彼は、共同の井戸から15分以上かけて、その水を運び続けた。 かなしみはいつも        坂村真民 かなしみは みんな書いてはならない かなしみは みんな話してはならない かなしみは 私たちを強くする根 かなしみは 私たちを支えている幹 かなしみは 私たちを美しくする花 かなしみは いつも枯らしてはならない かなしみは いつも堪えていなくてはならない かなしみは いつも噛み締めていなくてはならない 悲しみを受け止める事、そして、温める事。 悲しみから学ぶ視点こそが、大切ではないのだろうか・・・
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9月 24日 慈経

「政治とは生活」と宣言する政党もある。 「宗教とは生活」と宣揚する宗派もあってよさそうものだ。 よく教えの道理を会得したる者が 自由の境地を得てのちになすべきことはこれなり 有能、率直、そして端正なること よき言葉を語り、柔和にして、高慢ならざること 足ることをしりて、養いやすきこと 雑事にかかわらず、簡素に生きること 五根をきよらかにして、聡明、謙虚なること 檀越の家におもむいて貪りなきこと 汚れたる業をなして識者の非難をうくることなかれ ただ、かかる慈しみのみ修すべし 生きとし生けるものの上に 幸いあれ、平和あれ、恵みおおかれと たとい如何なる生を受けし者も 恐れにおののく凡夫も、悟りて恐れなき聖者も 丈たかき者も、その身大いなる者も 中ほどの者も、小さなる者も、いうに足らざる者も 目に見ゆるものも、見えざるものも 遠くにあるものも、近きにあるものも すでに生まれし者も、やがて生まれくる者も 生きとし生けるものの上に幸いあれ たがいに他者を欺くことをせざれ いずこ、なにものにも、軽賎の思いをいだくなかれ 憤りにかられ、あるいは、憎しみのゆえに 他者の苦しむをねがうべからず あたかも母たる者がその独りの子を おのが生命をかけて守るがごとく すべて生きとし生けるものの上に 限りなき慈しみの思いをそそげ まことに、一切の世間のうえに 限りなき存在のうえに、この思いをそそげ 高きところ、深きところ、また四方にわたり 怨みなき、敵意なき、限りなき思いをそそげ 立つにも、行くにも、坐すにも、臥するにも いやしくも眠りてあらざるかぎり 力をつくしてこの思いを抱くべし ここに聖なる境地というはこれなり 「慈経」『スッタ・ニパータ』 南方仏教において、この経典はいつでもどこでも唱えられてるそうです。
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