大童法慧 | いとやすき道
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
16330
single,single-post,postid-16330,single-format-standard,ajax_fade,page_not_loaded,,vertical_menu_enabled,side_area_uncovered_from_content,qode-child-theme-ver-1.0.0,qode-theme-ver-7.2,wpb-js-composer js-comp-ver-5.0.1,vc_responsive
 


6月 11日 いとやすき道

 

佛となるに、いとやすきみちあり。もろもろの悪をつくらず、生死に著するこころなく、一切衆生のために、あはれみふかくして、上をうやまひ下をあはれみ、よろづをいとふこころなく、ねがふ心なくて、心におもふことなく、うれふることなき、これを佛となづく。又ほかにたづぬることなかれ。 『眼蔵』「生死」巻

 

いとやすき道と示されても、それができないお互いです。
けれども、少し視座を高めてこのお示しを頂戴するならば、これは方法論ではなく、「今・ここ・そのままの私」が常に問われ、常にはじまりであり、佛そのものと相違ないのだ、と。

 

お釈迦さまは、「正覚を得ずばこの坐を立たず」と足を組まれました。
私たちもまた、「今・ここ」から。

 


コメントはありません

コメントを残す