大童法慧 | いのちを寿ぐ
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9月 02日 いのちを寿ぐ

 

では、「いのちを寿ぐ」とは、どういうことだろうか。

 

それは、もっとも単純な言葉で言い換えるならば、「生まれてきてよかった」「生きていてよかった」を実感することです。
いや、もう少し正確に伝えるのならば、その実感を忘れずに生きることです。

 

言の葉1をご覧ください。
「いのちを寿ぐ」とは、「生まれてきてよかった」「生きていてよかった」の実感であり、その実感を忘れずに生きること。

 

今、皆さんは、「生まれてきてよかった」「生きていてよかった」を心の底から実感できているだろうか。どうでしょう。

 

人生を振り返えってみれば、「生まれてきてよかった」「生きていてよかった」と思った瞬間は、程度の差こそあれお互いに経験してきたはずです。

 

少し思い起こしてみてください。
たとえば、恋人に告白して叶った時、志望する大学に合格した時、何かのコンテストで優勝した時、努力が認められた時、人の温かさ優しさに触れた時。
また、今の皆さんならば、研究の成果が形になった時でしょうか。

 

いずれにせよ、そんなふうに自分の欲しいものが手に入った時、思い通りに事が進んだ時、私たちは多かれ少なかれ「生まれてきてよかった」「生きていてよかった」と感じるものです。

 

けれども、「生まれてきてよかった」「生きていてよかった」という想いが、永遠に続くのかというと、、、そうではないですよね。
悲しいかな、続かないことが多い。

 

この人しかいないと心決めた人と結ばれても、数年経てば、喧嘩が絶えないということもあるし、浮気や不倫なんて話はどこにでも転がっています。
また、何かにつまづいて、「俺の人生はこんなはずじゃなかった」と頭を抱える夜もあれば、信じていた人に裏切られ、恨みかこつ日もあります。

 

ならば、「生まれてきてよかった」「生きていてよかった」というのは一時的な感情の話なのだろうか。

 

実は、違います。違うのです。

 

「いのちを寿ぐ」とは、そんな刹那的な出来事の話ではないのです。また、自分にとって都合のいいことだけ、自分にとって好ましい感情だけを多く集めましょうよ、という勧めでもありません。

 

「いのちを寿ぐ」というのは、つまり、いついかなる時も、どんなことがあったとしても、たとえば、今、あなたが不治の病を告げられたり、またあなたが命を落とすようなことに巻き込まれたとしても、それでも、「生まれてきてよかった」「生きていてよかった」という想いと共にあることなのです。

 

『いのちを寿ぐ視点 ~失う前に核となるものに気づく契機~ 』より抜粋


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