大童法慧 | 満月の夜の坐禅会5月29日講話 抄
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
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6月 02日 満月の夜の坐禅会5月29日講話 抄

 

言の葉3をご覧ください。声に出しましょう。
陰徳を積む

 

ありがとうございます。
陰徳を積むとは、人知れずに徳を積むことです。徳を積むというのは、わかり易くいえば、良いことをする。

 

たとえば、
物を大切に扱う
与えられた仕事や役割は精一杯行う
優しい言葉をかける
嫌な思いをしても、許す
正直であるように努める

 

まぁ、皆さんが良いと思うことを、誰かのために、そして、誉められなくても、認められなくても行う。これが、陰徳を積むことです。

 

かつての日本人には、天に貯金する、陰徳を積む、またお天道様は見ているという感覚がありました。それで、自らを培ってきた人がいました。

 

おそらく、皆さんのなかにも、天に貯金する、陰徳を積む、またお天道様は見ているという感覚を持っている方、また、村上博士と同じように、両親や祖父母から教えていただいた方もいらっしゃることでしょう。

 

しかし、天に貯金する、陰徳を積むは、今の時代、特に若い方にはなじめない言葉かもしれません。
天に貯金するよりも、今の現金。陰徳を積むよりも、誰かに高く評価して欲しい。
そんな感じのニュースに溢れています。
けれども、果たしてそれでいいのだろうか、と思うのです。そして、もし、今日の坐禅会で、天に貯金する、陰徳を積むというものの見方があるとはじめて知った方がいらっしゃるのならば、その感覚を少し育てて欲しいなと思うのです。

 

たしかに、さきほどの村上博士の文章では、天に貯金する、陰徳を積むのは、やがては自分にいいことがあるからという下心を感じるかもしれません。
実際、陰徳を積むことで、良いことがたくさん起こりますよという内容の著作やホームページが溢れています。

 

もし、あなたが、そんな下心に胡散臭さ感じるのならば、、、、、少し大きなものの見方を提示しますが、天を我が命として生きて欲しいと思うのです。

 

天というこの世界を覆うもの、いや、この世全てを我が命としたならば、己の身に起こる小さな損得勘定を抜きに、世の中のために、困っている人のために、誰かのために、という世界が広がっていく。

 

私たちは、「自分のために」という想いがこんがらがってしまって、その結果、「自分さえよければ」という想いに凝り固まり、道を誤るのです。
このことを、互いに理解しておきたいなと思うのです。

 

 


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