大童法慧 | 絵本に学ぶメメント・モリ ~禅のものの見方を交えながら~ 抄
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
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7月 28日 絵本に学ぶメメント・モリ ~禅のものの見方を交えながら~ 抄

 

ここなんです、問題は。
自分の都合のいいように物を考える癖があること。
そして、その自分の都合のいいように物を考える癖に頼ってしまう。

 

自分の都合のいいように考え、自分の都合のいいように解決を図る。
メメント・モリ、つまり、自分がいつか必ず死ぬことを忘れるなということですが、そのメメント・モリを、自分の都合のいいようにメメント・モリをしてしまっていないだろうか。

 

でも、自分の都合だけではもったいないなと思うのです。
なぜならば、自分の都合だけでは、偏狭なものの見方になって、行き詰まってしまうからです。

 

そこで、まずお尋ねしたいのですが、今日、お集りの皆さんのなかで、坐禅を体験された方、坐禅を続けておられる方はどのくらいいらっしゃいますか?挙手してください。

 

ありがとうございます。割と多いですね。
もっとも、今日は恵比寿の坐禅会で一緒に坐った仲間の方々もお越しです。

 

昨今は、スティーブジョブズさんの影響もあり、企業の経営者が、坐禅をしておられます。また、マインドフルネスが流行り、研修で取り入れる企業が多くあります。
先日たいへん驚いたのですが、保護司会の研修で、静岡にある少年院に行ったところ、数年前から全国の少年院において、毎朝、マインドフルネスをしているというのです。

 

じゃあ、なぜ、そのようなことをするのだろうか。
それは、自分の都合のいいように物を考える癖から離れて、凝り固まった自分から自由になるためだからです。

 

現代の日本人は、知識、知性が全てです。
知識を蓄え、知性を磨けば苦しみがなくなる、もしくは、問題が解決するというような風潮です。
たしかに、そんな一面もあるのでしょう。

 

でも、知識や知性だけでは届かない世界もある。
例えば、それは、メメント・モリを語るのであるのならば、自分の都合ではなく、命への信頼、大いなるものへの気づきがなければならないのではないだろうか。    (以下略)

 


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