大童法慧 | 落ち穂
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
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2月 13日 落ち穂

 

こんな話がありました。

 

それは、ハンバーガーショップでの出来事でした。ある家族が食事を終えて、店を出ようとした時、母親がレジに行きこう言ったそうです。「このハンバーガーは子供が食べなかったから、お金を返してください」
また、食べ放題のお店に、タッパーを持っていく人もいるそうです。お店が注意すると、持ち帰り禁止って書いていないと文句を言ったそうです。
私たちは、自分のことだけ、目先の欲望の充足だけをもって人生を測ってしまう癖があります。そして、まだ足りないと騒いでしまう心もあります。

 

 

『旧約聖書』 レビ記19章9~10

あなたがたの地の実のりを刈り入れるときは、畑のすみずみまで刈りつくしてはならない。またあなたの刈入れの落ち穂を拾ってはならない。
あなたのぶどう畑の実を取りつくしてはならない。またあなたのぶどう畑に落ちた実を拾ってはならない。貧しい者と寄留者とのために、これを残しておかなければならない。

 

 

喰い尽くさないこと、落ち穂を遺すこと。
そんな視点を忘れないでいたいものです。

 

尚、道元禅師は「貪らざるなり」とお示しになられております。
自分の持っているものを与えるだけではなく、欲しがらぬという在り様もあるのだよ、と。

 

 

 


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