大童法慧 | 生きて今あるは
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
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10月 06日 生きて今あるは

生きて 今あるは この事に あわんがためなり

これは、私のお師匠様の言葉の一つです。
この事とは、何でしょうか?
惚れに惚れて一緒になった人の事でしょうか?
大切な大切な血を分けたわが子の事でしょうか?
節約に辛抱を重ねてやっと建てた家の事でしょうか?
百年の恋も、一夜の浮気に破れ、誓い合った仲も罵り合う事に・・・
大きな期待をかけ、手塩にかけて育てた子も、今じゃ音沙汰なし・・・
30年のローンを組んで、片道2時間、夫婦も親子も会話なくなって・・・
では、この事とは何でしょう?
各人において、大切なもの、かけがえのないものがおありでしょうが・・・
やはり、折角、この世に生まれたならば、・・・
それが無くなるものではなく、失うものでもなく、真実なるものに、永遠なるものにお会いしてみたいな、と思うのです。
禅門では、「この事」を本来の面目と言います。
あるいは、本来の自己ともいい、あるいは、本来のいのちともいいます。
実は、本来の面目という言葉に出逢うにも、本当は、たいへんな事なんですけれども・・・やはり、佛縁が深くなくては、あえないものです。
しかし、その言葉ひとつで、安心<あんじん>できるかというと・・・
残念ながら、そうではありません。
言葉だけでは、所詮は、絵に描いた餅にすぎません。
この事は、言葉や文字で現し難く、やはり、刻苦精励して冷暖自知するより他がありせん。
この事を知らんがために、多くの修行者が命懸けで師を求めました。
ある老師は、その問いに、黙したまま、一本の指を立てました。
ある老師は、庭にある柏の樹とお答えになりました。
薄い粥をすすり、襤褸を着て、托鉢や作務で己を空しくしながら、与えられた公案をひたすらに参究する。
師に悪態をつかれ、どつきまわされても、三拝九拝しながら、その教えを乞うていく。
師が「カラスは白い」と言えば、弟子は、「はい」と応じる事。
頭の良い方は、黒いじゃないかって、反論したくなるでしょうけれど、
師が白いと言えば、白い世界なのであります。
じゃあ、人権はないのか?自分はないのか?って思うのは、やはり、頭の良い方ですね。そこに、私とか損得勘定はないんですね。
ただ、師を信じる。師を信じるとは自分を信じる事でもあります。
師とは、全てを奪ってくれる人の事だと思います。
だからこそ、「正師を得ざれば学ばざるにしかず 『学道用心集』」です。
すぐに、騙されたとか、裏切られたとか言うのは、真剣に求めていないからではないでしょうか?
もっとも、これをカルト宗教のような洗脳と紙一重と思う方もいらっしゃるかもしれませんが・・・
その当時の写真を見て、今、丸々と太った自分に反省しております。
酒がいかんかったかな。何でも残さずに食べるし。
今月から、私は、褚遂良の『雁塔聖教序』を臨書しております。
これが、実に難しい。
いわば、見て書くだけの事なんだけれども、それが、できない。
強い線を出す事だけを考えなさい、と教えられても、やはり、できない。
字など名前が読めりゃいいともいいますが、道を究めんとすれば、一の字さえも、なかなか書けないのです。
「とにかく、呼吸。それにはやはり、書いて身につけるしかない。たくさん書かなきゃ、だめだよ」と、毎回、叱られております。
趣味で筆を持つのなら、楽しめばいいんでしょうけれども・・・
人生の一大事を、楽して掴もうというのは虫のいい話だと思います。
先日、知人の頼みで、出家したいと言う方とお会いしました。
数年後に、定年を控えている方で、話を聞いて欲しいとの事。
お会いして、すぐに、まだその時節ではないな、と感じました。
基本的な問いにも答えられず、かといって、無常観や大きな疑念があるでなく・・・ただ、雰囲気に憧れていたんですね、禅の世界の。
定年後、小遣い稼ぎのために、葬式法事をするお坊さんになるのなら、話は別ですが・・・坐禅会や仏教の勉強会から始めては、とアドバイスしました。
帰り際、彼はこう言いました。
「人生や生き方について、考えた時間を持ったり、誰かと話をしたりしたのは初めての事でした」と。
彼は60歳近くになってはじめて、この事がある、と知ったはずです。
この事あり、と知る。
この事あり、を信じる。
この事あり、と単提する。
この事あり、を体現していく。
人それぞれに立場があり、勿論、皆が修行者ではありませんが・・・
それぞれの方の環境や境涯おいて、「この事」を互いに支えあいながら、深めていく僧伽<サンガ>を作りたい・・・大きなおなかを抱えながら、こんなことを切に願っております。
磨いたら 磨いただけは 光るなり
性根玉でも 何の玉でも

山本玄峰老師


雲晴れて 後の光と おもうなよ
もとより空に 有明の月

夢窓国師


5 個のコメントがあります
  • remains
    Posted at 13:28h, 06 10月 返信

    SECRET: 0
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     私も不摂生で血圧が…
     反省しております。
     ところで、60歳で気付いてくれるのなら
     良しですよね。
     死ぬまで気付かずにいる方たちも多いもの。
     ごゆるりと。

  • くま社長
    Posted at 18:08h, 06 10月 返信

    SECRET: 1
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    コメントありがとうございました。
    安積は私の生まれ育った埼玉県朝霞市と同じ読みで、小学校の頃林間学校で会津に来たこともあり福島県にはなにかと親しみがあります。
    最近は川崎にいらっしゃるとのこと。
    今回は残念ですが、機会がありましたらお伺いさせていただければと思います。

  • 豊嶋
    Posted at 19:02h, 06 10月 返信

    SECRET: 0
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    冷暖自知という言葉を、法慧さんは良く使いますが、どういう意味ですか、どう読むのですか。また誰が最初に使った言葉ですか。

  • 法慧
    Posted at 23:02h, 06 10月 返信

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    いつもコメントありがとうございます。
    私も太りすぎで・・・お恥ずかしい。
    年齢に関係なく、この世で気付く事ができたならば、大成功だと思いますよ。

  • 法慧
    Posted at 23:06h, 06 10月 返信

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    解らない事があれば、まず、自分でお調べになるのが冷暖自知だと思います。
    誰が最初に使ったのかは、大きな問題でないと、思いますが・・・

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