大童法慧 | 老い
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
15312
post-template-default,single,single-post,postid-15312,single-format-standard,ajax_fade,page_not_loaded,,vertical_menu_enabled,side_area_uncovered_from_content,qode-child-theme-ver-1.0.0,qode-theme-ver-7.2,wpb-js-composer js-comp-ver-5.0.1,vc_responsive
 


12月 31日 老い

「私はもう老い朽ち、齢をかさね老衰し、人生の旅路を通り過ぎ、老齢に達した。わが齢は八十となった。
譬えば古ぼけた車が革紐の助けによってやっと動いて行くように、恐らくわたしの身体も革紐の助けによってもっているのだ」   『ブッダ最後の旅』
白い頭 遠くなった耳 若くない身体
私を育ててくれた元気な頃の親の今の姿
改めて思う
自らの命を削って 我が子を育てたのだ、と
生意気な学生の頃
親を鬱陶しいと想った自分がいた
自らの人生の折り返し地点を過ぎた今
悔悟と時間の優しさを痛切に感じる
懐かしく暖かな日々
穏やかで緩やかな時
宝物のような故郷


MEMO
1、もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい


コメントはありません

コメントを残す