大童法慧 | 身
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
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6月 07日

百計千方、只だ身の為にす
知らず、身は是れ塚中の塵なることを
言うこと莫れ、白髪に言語無しと
此れは是れ、黄泉伝語の人   香厳智閑禅師

 
日々の多くのはかりごとは、ただ我が身のため
やがて必ず、この身は墓場の土となることに思い至らない
老いた姿の自分を想像してごらん
先に逝った人が教えてくれてるよ
もしも、あの時、あの言葉を言っていれば
もう少し、ましな男になれただろうか
もしも、あの時、深く考えていれば
もう少し、まともな人生を送れただろうか
自分で自分のことがわからなくなったり
身の回りの世話をしていただくことになったりした時
私は・・・優しく、楽しく、明るい自分でいられるだろうか
日々の多くのはかりごとを 少し 我が身のために使わないこと
そこに答えがある


MEMO
1、 理奥は思量を絶す 根尋は径路長し
ここに因って隔闊を知る
なんぞ封彊を被ることなき
人生はすべからく特達すべし
起坐して馨香を覚ゆ
清浄なり如来の子
安然として道場に坐す


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