大童法慧 | 転ばぬ先の杖
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
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10月 01日 転ばぬ先の杖

ふだん,杖をお使いの方はいらっしゃるでしょうか?
これから、私が話す杖は、お年寄りの方が道を歩く時に使用する杖のことではありません。世の中を歩く、人生を支える杖のことです。
若い方にも持てる、いや、若い方にこそ持っていただきたい杖の話です。
この杖の事をわかりやすく言えば、人生観、つまり、あなたにとって、一番大切なものは何なのか、ということです。
あなたにとって、一番大切なものは何ですか?
人は、その一番大切なものを得るため、つかむため、守るために生きている、と言ってもいいでしょう。
一番大切なもの、それが、あなたの人生の杖となる。
この杖のない人は、無目的な、無為な、生きる喜びを刹那的にしか持ち得ない人だともいえるでしょう。
現代の、この煩雑とした時代に押し流され、むなしさや不安、そして、いらだちや焦燥感を感じてしまう。
こんな時は、杖が折れかかっている時だと思うのです。
皆さんにとって、一番大切なものは何でしょうか?
お金や地位、学歴や名誉、家族や友人、恋人、健康・・・・・・。
先日、ある大学生と話す機会がありました。
彼に同じ質問をしたところ、彼の答えは、車でした。
来春、専門僧堂に修行に行くことに同意したお祝いに、パパが買ってくれた車だそうです。
きっと、物を大切にするお坊さんになることでしょう。
お金や地位、学歴や名誉、家族や友人、そして車。
それが、人生で一番大切なもの、人生の杖だというのは、あまりにも危険だと、私は思います。
なぜなら、それらは、失くしてしまうものであり、奪われてしまうものであるからです。つまり、杖が折れてしまう。
だからこそ、私たちは折れない杖を持たねばらない。
まず、折れない杖を手にした後に、それぞれの彩りを加えていく事が、正しい歩みだと思うのです。
では、折れない杖とは何か?
それは、自分自身です。
しかし、その自分自身とは、正しいものの見方ができる自分自身です。
物事や世相を正しく見る目を持つ事、それが、折れない杖。
何ものにも騙されない、縛られない、本当の自由。
お釈迦様は、人生は苦である、と説いております。
苦というのは、思い通りにならないことです。
例えば、どんなに体が丈夫であっても、必ず、死ぬを迎えます。
絶対に、今あるものと別れなければならない。
時には、誰かに騙される。裏切られる。
自分の思い違いもある。目論見が外れる。嘘もある。
苦しい事、辛いこと、悲しい事。逆境や思わぬ事態。
そんな時、本当に役に立つものは何か?
それは、正しいものの見方をした上での、思いや願いです。
気持ちを正しく持つ、邪な気持ちを持たないこと。
例えば、溺れる者はわらをもつかむ、といいます。
けれども、本当に、わらをつかむとどうなるでしょうか?
わらをつかんでしまっては、溺れてしまうのです。
溺れた時は、その流れに身を任せて沈んでいく事。
そして、沈みきった時、地中を蹴上げれば浮かぶのが道理。
しかし、わらを探し、わらをつかむ体力を消費してしまうと、沈んでいった時、浮かび上がれなくなってしまう。
世の中には、実にたくさんのわらが用意されてあります。
しかし、溺れた時にはわらをつかまないという見方がある事を忘れてはならないと思うのです。
正しいもの見方で思いや願い持ち続ける事。
これが確立された時、折れない杖を手にしたと、言えるでしょう。
最後に、思いや願いを正しく持ち続ける方法を、ふたつ、お教えします。
まずひとつは、鏡を見る事。
眉毛をそろえるだの、化粧のノリが悪いだの、そんなことではなく、自分自身の人相を見る。
顔つきや面構えには、その人の思いや願いが現れてしまうものです。
しかし、不思議なもので、鏡を見ることによって、その顔つきが自然と整ってきます。
ふたつめは、姿勢を正しくする事。
姿勢が正しければ、必ず、深い呼吸ができるようになってきます。
例えば、仕事や勉強の前、大切な話の前、姿勢を正しくし、呼吸を整える。一息でも深呼吸をする習慣をつけることによって、落ち着きや余裕が現れてきます。
このふたつのことを実行することで、思いや願いを正しくします。
そして、自分自身が転ばぬ先の杖となってくるでしょう。
一言、付け加えれば、真実の命の歩みに近づくことになるでしょう。
この話が、折れない杖を持つ機縁となりますように。


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