大童法慧 | 随処作主
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
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7月 15日 随処作主

多忙のため 全く 自分の時間がありません
多用のため 全く 自分の時間が持てません
でも イライラせず 投げ出さず
そんな昨今、ふと浮かんだ言葉
随処作主 立処皆真
<ずいしょにしゅとなれば りっしょみなしんなり>
随所に主となるとは、「俺が」「私が」と主役を張ることではないのです
お客様に主役を任せてもいい
連れ合いに主人公を委ねてもいい
随処作主 とは、「ひとつながりのいのち」あることを知って、全てを楽しむこと
そうすれば、おのずから、立処皆真
つまり、「いま・ここ」が宝の山


memo
1、古人云 向外作工夫 總是癡頑漢 爾且隨處作主 立處皆眞
2、瑞巖和尚  「主人公」
3、問 「十二時中如何用心」
師云、「汝被十二時使 老僧使得十二時 汝問那箇時」   趙州
4、誰が主語なのか?


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