大童法慧 | 満月の夜の坐禅会12月23日講話 抄
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
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12月 29日 満月の夜の坐禅会12月23日講話 抄

年の瀬となりました。明日は、クリスマスイブです。
それが終わると、お正月。
で、お正月が終わると、節分、恵方巻。そして、春のお彼岸、ゴールデンウィーク、お盆、秋のお彼岸、ぼやぼやしていると、すぐ来年になってしまいそうです。

 

言の葉2をご覧ください。声に出しましょう。
瑞巌和尚、毎日自ら主人公と喚び、復た自ら応諾す。及ち云く「惺惺着や、喏。他時異日、人の瞞を受くること莫れ、喏喏」

 

ありがとうございます。
この『無門関』というのは、禅の祖録の一つです。これには、悟りの風光や機縁が書いてあります。公案といいます。そのうちの一節です。
意訳いたしますと、
瑞巌和尚は、毎日自分自身に向かって「主人公」と呼びかけ、自分で「ハイ」と返事をしていました。
また、瑞巌和尚は自分自身に向かって、「はっきりと目を醒ましているか」「ハイ」「これから先も人に騙されてはいかんぞ」「ハイ、ハイ」といって、毎日ひとり言をいっておられました。

 

もし、あなたの身近にこんな和尚さんがいたら、どうでしょうか。
瑞巌和尚さんほどではないけれども、私たちにも「自分自身に言い聞かせる」ということは少なからずあります。
たとえば、何か困った時、辛い時に、「大丈夫、大丈夫」と自分に言い聞かせる。また、潜在意識に語りかける、アファメーションなんていうのもあります。

 

じゃあ、瑞巌和尚さんは、私たちと同じように、自分自身に言い聞かせていたのだろうか。
「お前は主人公か」「目を醒ましているか」「騙されてはいかんぞ」と、アファメーションをしていたのだろうか。

 

違うのです。
瑞巌和尚さんは、私たちと同じように自分自身に言い聞かせたのでも、潜在意識に語りかけたのでもありません。

 

じゃあ、どこに向かって、言っているのか。お前さん、しっかり坐禅をして、その答えを持ってこい、というのが、公案なのです。

 

皆さんは、お分かりになりますか?
瑞巌和尚さんが、どこに向かって語りかけたのでしょうか?

 

まったくわからない人は、この世は自分自身だけの人です。
なんとなくわかる人は、この世には、自分自身を護ってくれたり、支えてくれたりする、目には映らない、大いなるもの、somethingグレート、そんなものがあると知っている人です。私は、それを「ひとつながりのいのち」と表現しております。

 

講話のはじまりに用いた、言の葉1の坂村真民さんの詩です。
体の中に
光を持とう
どんなことが起こっても
どんな苦しみのなかにあっても
光を消さないでゆこう

 

坂村真民さんは、「体の中に光を持とう」と呼びかけているけれども、仏教では少し違うのです。

 

「あなたには、もうすでに光があるんだよ。その光は、どんなことが起こっても、どんな苦しみのなかにあっても、消えてしまうような、ちっぽけな光ではないよ。だから、生まれながらにして持っている、その光があることを知り、それをしっかりと持ち、そして、光があることを誰かに伝えましょう」というのが仏教なんです。

 

たとえて言うならば、瑞巌和尚さんは、その光に向かって語り掛けていたのです。
そして、その光と自分とは、まったくはなれていないからこそ、自分で返事をされたのです。
私たちも、瑞巌和尚さんに及ばずとも、光があることを知り置きたいと思います。

 

 


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