大童法慧 | 大童法慧
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
2
archive,paged,author,author-houe,author-2,paged-15,author-paged-15,ajax_fade,page_not_loaded,,vertical_menu_enabled,side_area_uncovered_from_content,qode-child-theme-ver-1.0.0,qode-theme-ver-7.2,wpb-js-composer js-comp-ver-5.0.1,vc_responsive

Author: 大童法慧




1月 20日 一念発起

また、ダイエットを敢行します。   少し痩せては、リバウンドの繰り返し。 最近はフードファイターを目指すような気持ちになっておりましたが、断念。なぜならば、体重増加のせいで体調不良このうえなし。   よって、パーソナルジムに、1月15日から58日間のコースで通…

続きを読む


1月 20日 18歳と81歳のちがい

  時折お邪魔をする新橋の居酒屋で、お医者さんから教えてもらったネタ。 それを、ある法話会でご紹介すると、、、「それは笑点の大喜利でやっていたものだよ」と教えられた。   迂闊にも、そのまま使ってしまったのが恥ずかしい。   18歳と81歳のちがい …

続きを読む


1月 13日 言葉に力を持つ僧侶

先日、ご縁を頂戴したお医者さんの言葉。 「僧侶は意外に言葉に力をもつ方が少ない。対話を対等な立場で構築するのが難しい印象のほうが多いというのが個人的な印象です。経典があるので、自分の言葉をもつ必要がないとも言えます・・・」   「意外に」というのは、そのお医者さんの優し…

続きを読む
 

1月 06日 片道3時間

  平成30年正月2日。 満月の夜の坐禅会に参加された女性。 「雪道で、高速も通っていないから、片道3時間少しかかりました」とのこと。 「なぜ?」というのは、野暮な質問。 けれども、「よく来られましたね」と言わないでいられなかった。   10分の体操、40分の…

続きを読む
 

12月 30日 終活

ウィキペディアでは、終活を次のように説明している。 終活とは「人生の終わりのための活動」の略で、人間が人生の最期を迎えるにあたって執る様々な準備やそこに向けた人生の総括を意味する言葉である。   終活という言葉に、思い出すことがある。 それは、私のことをとても可愛がって…

続きを読む


12月 30日 満月の夜の坐禅会12月講話 その2

  人間の難しさを生きるにあたって、今日、指針となる言葉を二つ皆さんに手渡しておきたいのです。   言の葉6と7をご覧ください。 言の葉6 行蔵は我に存す 毀誉は他人の主張  勝海舟 言の葉7 さるべき業縁の催せば如何なる振舞いもすべし 親鸞聖人『歎異抄』 &…

続きを読む


12月 09日 実は、、、の話

はじめてお会いするのに、「実は、、、」と切り出さなければならないお話を聞かせていただくことがあります。 そして、なぜか年の瀬は「実は、、、」の出逢いが多いようです。   家庭の不和、経済的な困窮、病、複雑な人間関係、抱えた傷。 その人の一番大切で深い所を「実は、、、」と…

続きを読む


12月 09日 満月の夜の坐禅会12月講話 その1

  この話を皆さんはどのように感じたでしょうか。   ガンになってしまったことはとても残念で、悲しくて、やりきれないことだ。だから彼女は可哀想だ、と思ったかもしれません。   けれども、どうなのでしょうか。彼女は、本当に可哀想な人なんだろうか。 ここ…

続きを読む