投稿日時 12:30
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僧侶的 いま・ここ
by houe_admin
今年いただいた年賀状の傑作。
どんなに素晴らしい名画よりも、どんなに素敵な宝石よりも、もっともっと大切なものを持っている。
どんな時でも、どんな苦しい場合でも、愚痴を言わない。
参ったなどと泣き言はいわない。
そんな一年を過ごしていきたい。 サマンサ小野会長
正月二日18時頃、近所のスーパーでの出来事。
賑わう店内に、大きな声が響いた。「万引きだ、捕まえろ」
二人の男が凄まじい勢いで、出入り口へと走る。
一人は万引きをした男、もう一人は、それを見つけた客の男。
しばらくして、客の男が、70歳を超えたと思われる男性を引き連れて得意げに店内に戻り、言い放った。
「店員さん、こいつは万引きをしました。」
・・・トマト、三個。
彼の事情は知らない。動機も聞きたくはない。
・・・挫けない。
もう道がないと思っても、案外、ないところにも道がある。
そう、何もないところからでも、はじめられる。
4月 29日 法語
投稿日時 22:03
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僧侶的 いま・ここ
by houe_admin
平成25年尸羅会 高祖大師献粥諷経 焼香師 渓聲鳥語説眞禪 献粥今朝意妙玄 高祖慈恩無感極 吉祥香気大虚圓 渓聲鳥語 眞禪を説く 献粥今朝 意 妙玄 高祖の慈恩 感 極まり無く 吉祥の香気 大虚に 圓なり
6月 20日 沈潜
投稿日時 18:07
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僧侶的 いま・ここ
by houe_admin
『運を活きる ~一息の禅が心を調える~ 』を上梓して、ひと月あまり。
お世話になっているご老師から励ましのお言葉を頂戴したり、懐かしい友人から連絡があったり、新しくお会いするご縁に恵まれたり、本を手にして坐禅会に参加される方もいれば、手紙をくださる方もいます。
また、耳の痛いお言葉を投げかけられたり、思いもよらぬ捉え方をされたり・・・いずれにせよ、おかげさまで、多くのご縁をいただいております。
先日、恩師より、水葵の写真のついた葉書を頂戴いたしました。
謹啓 新緑の候
玉書を御恵贈下され、誠に有難うございます。
私は、人間的な思い、要求をすべて蹴飛ばしたところに真実の仏法があると思います。
俗僧にならぬように願います。 敬具
・・・しばし言葉を失いました。
俗僧には違いないのだけれども、沈潜の時節だな、と。
そう、向かうべき相手は、他より自己。禅定力を養い、祖録に親しむこと。
11月 07日 衣の色
投稿日時 18:02
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僧侶的 いま・ここ
by houe_admin
笑い話ではないのですが・・・
友人のお寺に呼ばれて、法話をした布教師さん。
お檀家さんが100人程度集まって、1時間半ほど彼のお話を聞いたそうです。
話し終えて、控室に戻った布教師さん。
そこに、お寺の総代さんが挨拶にきました。
「今日は、ありがとうございました。
いやぁ~今日の法話は素晴らしかった。わかりやすかったです。とてもいいお話でした」
誉められて、悪い気がしない布教師さん。
喜色満面で、思わず問うてしまいました。
「そうでしたか。どこが、よかったですか?」
しばしの沈黙の後、総代さんがポツリと一言。
「・・・お衣の色が・・・」
先月末、高円寺に行きました。
笑福亭鶴瓶さんの唄つるべ~トーク&ライブを観ました。
ゲストは、シンガーソングライターの石野田奈津代さん。
唄つるべとは、鶴瓶さんがトークして、ゲストはその頃合いをみて歌うというスタイルです。
トークに応じて歌があり、歌に応じてトークがあり、台本なしの一発勝負。
それぞれに思いをさらけだし、お客さんが笑いや涙で応える。
伝えたい想いと響く力が結集した場。
おそらく、あの場にいた方は、とても温かな素敵な時間を過ごしたでしょう。
恥ずかしながら、私も御縁をいただいてお話する機会があります。
不肖ながらも、お声をかけていただいた御縁を尊んで、どこにでも行ってます。
話している途中、急に、何も言葉が出てこなくなった事がありました。
また、お叱りの手紙をいただいた事もあります。
慙愧の涙を流した事もあります。
発声やスピード、間の取り方やアイコンタクト、話術と表現、そして、「上手に話したい」という気持ち。
それらは大切な事だけど、しかし、そこにはまず、「伝えたい想い」がなければ響かない。
その「伝えたい想い」を、もっと純化していかねばならないなと感じる11月です。
温かな時を作る事ができるだろうか?
何か一言でも、届く言葉を投げかけているだろうか?
「衣の色」になっていないだろうか?
投稿日時 05:35
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僧侶的 いま・ここ
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新大阪から東京に向かう、新幹線。
名古屋で、杖をつく老僧が、私の隣の席にお座りになられました。
齢80、臨済宗の御老僧でした。
友人の葬儀に行き、これから、自坊に帰られるとの事。
そのしわがれ声にぬくもりを感じ、東京までの2時間、ビールを飲みながらお話を頂きました。
1、吾我名利の念、自分の物差しを捨てる。
2、現実をなさしめるものは何かの視点。
現れたものだけを見て、現実という。しかし、「何故、現れたのか」の視点を。
3、生きている間に、人間の目覚めを訴えるのが仏教。
人間にならずして、多くの人が、死んで仏となる。
4、社会の価値に幻惑された人生。道徳や倫理に犯された人生。
世の中の価値だけを集める人生。表を飾る。
人間をほったらかしにして、世の中の価値だけで競争する。
教育や社会はできるか、否かだけを問う。
それは、能力の問題であって、人間性の問題ではない。
5、真理に適わなければ、どんなにそれを好んでいても、潔く捨てていく。
どんなに辛くとも、それを受け止めていく。
「人生を自分の計らいではなく、いのちそのものにまかせきる事を生活の上で持てば、そう心配することはない」とさらりと語った言葉に、有無を言わせない強靭な力を感じました。
長年、練られ練られて、坐ってこられた信心の結晶だ、と。
「こんな日本だからこそ、無常のはたらきを説かなければ・・・」と、肩をたたかれました。
投稿日時 21:29
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僧侶的 いま・ここ
by houe_admin
幼い頃をふと思い出しました。
「いただきます」と手をあわせ、箸をとる僕。
「残しちゃあ、いけんよ」と、母の声。
いただきます、このいまを。
目に真っ直ぐ突き刺さる注射針を。
結膜を切り裂くハサミの鈍い音を。
レーザーメスの緑色に輝く発光を。
いただきます、このここを。
役僧を辞め、独りの道を歩む決意を。
組織に所属せず、独りの道を切り拓く決心を。
自由に生きる誇りと自恃を。
いただきます、この私を。
臆病で、見栄っ張りで、エエカッコしいのこの私を。
わがままで、甘えん坊で、スケベエなこの私を。
慳貪で、姑息で、人を騙して笑えるこの私を。
苦しみから救われる事が、全てではない。
苦しみが、私を救う事だってあるのだ。
見えるものだけに、絶望などするな。
人間は、絶望にでさえ支えられて生きる事ができるのだ。
全てをいただいて、深く生きる。
全てをいただいて、深く生きる。
投稿日時 23:15
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僧侶的 いま・ここ
by houe_admin
最近、目がかすんでくるようになりました。
かなりのメタボなので、もしや糖尿病かと思いながら
とりあえず、目薬を求め薬局に行きました。
目薬のコーナーを見て、とても驚きました。
40歳以上の目薬のコーナーがあるんですね。
そういえば、昭和44年生まれ、今年39になります。
ああ・・・私も、もうじき40か。
先日、本山でお世話になった老師とともに、新橋と六本木。
老師曰く、
「世間は、地位や名声を求め、早く結果が出ることを望む。
だが、禅坊主は違うぞ。
土を耕す事を考えようじゃないか。
いい土を作る事だよ。種を植える前の話だ。
40なんて、まだまだだ。」
目薬をさすと、あら不思議、かすみがとれました。