大童法慧 | 法話
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
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法話




4月 29日 その時

  曹洞宗で用いられるお経『修証義』の冒頭に、「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」という一節があります。これは、人生には「なぜ生きなければならいのか、なぜ死ななければならいのか」という問いがあり、その答えを性急に求めるのではなく、むしろ、その問いを持ち続けて…

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11月 14日 カレー南蛮

父親の13回忌のご法事。 当時大学生のお嬢さんも、この秋に嫁がれました。 そのお嬢さんが、実は、、、と教えてくれたお話です。     あの日のお昼。 病室ではなく共有スペースで、母と出前を取りました。 近くのお蕎麦屋さんのカレー南蛮。 食べ始めた頃。 看護師さ…

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10月 17日 徳をつらぬく

かくばかり みにくき国に なりたれば        ささげし人の ただに惜しまる   先の戦争の未亡人が詠まれた歌だそうです。     今年八月、ご縁あって知覧に行きました。長年、伺いたいと心に留めていた町です。というのも、私が生まれ育った町、山口県徳山市は回…

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3月 14日 ほどほどの饅頭

88歳のおばあちゃんが体調を崩し、入院した。 家族の祈りと治療の甲斐あって、無事に退院することができた。 おばあちゃんの好物は、甘いもの。 医師から、「これからは、できるだけ甘いものはひかえましょうね」と諭されて、「はいはい」と二つ返事。 帰りの車の中、お気に入りのお饅頭屋さんに寄ってくれ、と願うおばあちゃん。 「退院のお祝いだから、今日だけよ」と言って、立ち寄った。 久しぶりに微笑むおばあちゃんの顔を見た。 そして、、、「今日だけだから」「ひとつだけだから」と言いながら、甘いものを求める日々。 おばあちゃんの体調を気にする家族の切なる想いを、娘が伝えた。 「甘いものはひかえてとお医者さんに言われたでしょう。早く死にたいの? 今日から、家の中から甘いものを隠します」 驚いたおばあちゃんは、手を合わせながらつぶやいた。 「私は、ありがたいことに充分に生きたよ。 でも、最後は好きなものを隠されて、それを盗み食べるような人生にしたくはない。死んでから、饅頭をたくさん供えられても困ってしまう。できるだけ、みんなの手を煩わさないで逝きたいと願ってる。」 「ほどほどにしてね」と言った娘の返事に、「はいはい」と答えたおばあちゃん。 甘いもの、ほどほどに、ほどほどに。
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12月 04日

文字通りあっという間の、2年間でした。 なんで、主人だけが、あんな目にあわなくては、いけなかったのか? みんなに好かれ、優しく真面目な人だったのに、何故? 「まだ、あなたは若いし、幸いに子供もいないから・・・」 そんな理由で、やり直しが出来ると、口をそろえたようにみんなに言われてしまうのは、私に隙があるからでしょうか。 何をもってしても埋められない心の隙間 母から、「彼は旅に出たと思いなさい」と言われた時、少し心が晴れました。 旅に出たのなら、また、必ず会えるって。 ・・・私事ながら、11月24日、伯父が亡くなりました。母の兄になります。 高松市で通夜葬儀。 泊まったホテルで流しっぱなしにしたテレビ。 あるCMに、「だけれども、生きる」という一句がありました。 何のCMかは分からなかったけれども、、「だけれども、生きる」という一句に響きました。 私たちは、それぞれに多くのものを抱えながら、挫けないで、諦めないで・・・ 「だけれども、生きる」お互いでいたいものです。
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11月 25日 ありがとう

お釈迦さまがあるとき、弟子の阿難に尋ねました。 「あなたは、人間に生まれたことをどのように思っていますか?」 すかさず、阿難は応えました。「はい。とても喜んでおります」 あなたは、人間に生まれたことを喜んでいますか。 実は、ここが私たちの出発点なんです。人間に生まれたことを喜ぶ視点。 人間に生まれたことをいじけたり、恨んだりしていても、私たちの人生ははじまらない。 お釈迦さまが、また、重ねて尋ねます。「では、あなたは人間に生まれたことをどのくらい喜んでおりますか?」 すると、阿難は答えに窮してしまいます。 たしかに、人間に生まれたのは喜んではいるけれども、どのくらい喜んでいるのかと言われたら、、、考えてしまいます。 私たちの人生、一日を振り返れば、いいことばかりではない。 時には、「ああ、もう何もかも嫌になった」という日もあれば、お酒を浴びるように飲まなきゃおさまらない日もあります。 答えに窮した阿難をみて、お釈迦さまは、「盲亀浮木の譬」と伝えられている話をされました。 「果てしなく広がる海の底に、目の見えない亀がいた。 その亀は、100年に1度、海面に、ぽっと顔を出すという。 ある日、その広い海には1本の丸太棒が、波に揺られ浮いていた。 その丸太棒の真ん中には、小さな穴があいていた」 広い海、100年に一度浮かび上がる目の見えない亀、漂う小さな穴のあいた丸太棒。 ここで、お釈迦様は仰います。 「阿難よ。 100年に1度浮かびあがるその目の見えない亀が、 浮かび上がった拍子に、丸太棒の穴にひょいっと頭を入れることが有ると思うか?」 阿難は驚いて答えます。 「お釈迦さま、そんなことは、とてもありえません」 すると、お釈迦様は間髪いれずに仰った。 「お前さん、絶対にない、と本当に言い切れるか?」 迷いながら、阿難は答えました。 「いえ、もしかしたら、もしかしたら、万が一、ひょっと頭を入れることがあるかもしれませんが、でも、それは、やはり、絶対にない、と言ってもいいくらいありえないと思います」 すると、お釈迦さまはこうお示しになられたというのです。 「阿難さんよ、私たちが人間に生まれることは、実はその亀が、丸太棒の穴に首を入れることよりも難しいことなんだ。 そのくらい、私たちの命が、今・ここにあるのは、有難いことなんだよ」 命の有難さを体感し、実感した言葉が、「ありがとう」 「今生きていること」、それは、とて有り難いこと。 条件なしに、有り難いこと。 だからこそ、有り難いこの命を喜ぶ、楽しむ、使う。 「私たちの命は有難いものだ」と心底思うところから伝える言葉、それが、ありがとうなのです。
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9月 13日 特効薬

母の不治の病を知り、何とか治したいと一心に祈る青年 嫁いだ娘の不貞を聞き、孫のために何とか元の鞘に収めたいと願う父親 今日15時までに支払わなければならないお金 如何ともしがたい事実を突き付けられた時 何かにすがろうとする人もいる でも、世の中、お人よしは多くない むしろ、神や仏をちらつかさせて近寄る者もいる 前世 先祖 悪業 たたり 目に見えないものを突き付けられて、結局、お金に換算 でも、、、人生に特効薬などはない 答えを出せない問いもある 答えを出してはならない問いもある 特効薬などない。抱えながら生きていく。 、、、そう決めたとき、心の変化が現実を変えてしまうこともあるのです。
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3月 31日

40歳も半ばを過ぎると、友人からの結婚式の招待状はほとんど届かなくなります。 たまに二度目や三度目の案内を受け取ることもありますが、祝い事へのお呼ばれよりも、喪服を着る機会の方が増えてくるものです。 そして現実に、親の介護や親の葬儀というものに直面する世代となります。 「親孝行、…

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3月 22日 比べる心

手にした物の数を競う人生。 人を二つの種類に分ける世の中。 悲しい哉、私たちには、物事に善悪や優劣の評価を自分の感覚のみで行い、それを絶対の価値観として生きている面があります。 そして、他者との比較の中で、自分を確認し、強く見せたり、賢く見せたり、威張ったり、怒鳴ったり・・・ あいつは金持ちだけど、俺の方が頭はいい。 あの人はもてるけれど、私の方が心はきれい。 そんな言い訳を作り出し、自らを慰める。 でも、比べる事により満足や喜びを得ようというのだけれども、満ち足りる事は、おそらく、ないでしょう。 自慢されると、鼻につく。 高慢な態度には、反発する。 わかっちゃいるけど、やめられない。 比べる心は、煩悩のひとつ。 1.高慢     自分の方が上だ 2.過慢     同上とほぼ同義 3.慢過慢    相手が上であっても同等だと思う 4.我慢     自分の考えは変わらないという思いあがり 5.増上慢   悟った、極意を得たという思い上がり 6.卑下慢   劣等感に落ち込む 7.邪慢     自分には徳があると思いこむ 野放図な煩悩は、やがて、悲劇を産む。 責任の裏付けのない権利。 こらえ性のない、傍若無人の態度を、力だと信じる短絡的な輩。 法に触れなければ何をしても良いという考え。 いくら、口を尖らせ、眉を吊り上げ、恫喝したとしても・・・それは、戯言にすぎない。 比べる心を手放そう。
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2月 22日 確信

あなたと出会い30数年 同い年の58歳 2月 私の癌が見つかり あなたは仕事を辞めた 感謝の思いで一杯だけど 「迷惑をかけたな」という思いも拭われない 三度の抗癌剤の治療も甲斐なく これから免疫療法 はじめはそんなに仲のいい夫婦じゃなかったと思う 喧嘩もした 別居もした あなたには 私以外の女もいたはず 子ども3人はそれぞれ自立したから、、、、安心 可愛い可愛い孫も抱けた 今 あなたは献身的に私を支えてくれている 毎朝 仏壇の前でお経を1時間も唱え 私の回復を祈る 食事を作り 病院まで車を走らせ 私を待つ 時折 部屋に籠るのは あなたの癖 6月「坐禅をしてみないか」とあなたは私に問いかけた 「しんどいから、嫌よ」と私は笑いながら言った 数日後今度は 「坐禅をしてみようよ」と誘ってきた 「うーん、それも悪くはないわね」と答えてあげた ふと襲われる 死のささやき声に胸の奥が騒ぎ立つ 暴れたい気持ちを抑え 気づかれぬように独り止まらない涙をふく 突然の事故で亡くなった方の報道を見て思うことがある もしかしたら 家の洗濯物は干したまま? 保育園の迎えは誰が行くの? 晩御飯の準備はどうするの? いつもの暮らし 決まっていた行事 楽しみにしていた旅行 悲しみを比べてはいけないけれど・・・ この病のおかげで人生のまとめができると思った 几帳面な私には必要な時間  案外素敵なプレゼント 眼を閉じると 懐かしい顔 暖かな日々 緩やかな時間 友達 恋人 先生 お父さん お母さん 7月 あなたの選んだお寺で坐禅をした 「無理に足は組まなくてもいいですよ」と小太りの老師は教えてくれた 身体を真っ直ぐにして、ひと息ひと息を丁寧にと およそ40分 病気のこと 子どもたちの顔 孫のしぐさ そんなことが心の中を駆け巡った でもふと「あなたがいない!」と思った 慌てた私は 隣に坐るあなたの顔を見た あなたがいた 私の隣で 穏やかに凛として とても綺麗なあなたの顔 この禅堂のなかで あなたと私が坐っている この世界のなかで あなたと私がひとつになってここにいる 照りつける夏の太陽 秋の心地よい涼しい風 雪の季節は穏やかに過ごしたい そして いつもの見慣れた台所 あなたと子どもたち3人とそのお嫁さんと大切な孫のあいるちゃん 留めておきたい  このままいたい 目に映るものが優しい もったいないこの時間 何もかもが愛おしい 今 素直に思えるの 生れてよかった 生きてきてよかった 本当に生れてよかった 本当に生きてきよてかった
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