大童法慧 | 終活
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
16882
post-template-default,single,single-post,postid-16882,single-format-standard,ajax_fade,page_not_loaded,,vertical_menu_enabled,side_area_uncovered_from_content,qode-child-theme-ver-1.0.0,qode-theme-ver-7.2,wpb-js-composer js-comp-ver-5.0.1,vc_responsive
 


12月 30日 終活

ウィキペディアでは、終活を次のように説明している。
終活とは「人生の終わりのための活動」の略で、人間が人生の最期を迎えるにあたって執る様々な準備やそこに向けた人生の総括を意味する言葉である。

 

終活という言葉に、思い出すことがある。
それは、私のことをとても可愛がってくださった方のことである。
3年前、入院した彼は、多くの患者さんに「エンディングノート」を書くように勧めて歩いた。「いざという時に必要だからだ」、と。
彼の熱意によって、その病棟のほとんどの人がエンディングノートを手にする機会を得たという。
そして、数ヶ月後、彼はその病院で息を静かに引き取った。

 

枕経で、彼の長男が彼の「エンディングノート」を見せてくれた。
そこには、、、何も書かれていなかった。全くの白紙だった。
長男は、「親父らしいです」と少し笑った。

 

私も、人生の折り返し地点はとうに過ぎた。
独り暮し、偏った食生活、酒による緩慢なる自殺、メタボ、、、残念ながら、長生きできる要素は一つもない。

 

友人の死を契機に、ここ数ヶ月、終活という言葉が頭から離れない。
荷物と人間関係の整理、そして、自分自身の整理整頓。
しなければならないことがたくさんある。
本当に急がなければならない。
でも、死んでしまえば、そのほとんどはしなくてもいいことだとも知っている。

 

けれども、終活のてはじめに「年賀状を送るのをやめよう」と決意した。
書くことをやめたからには、見ることもやめる。

 

年の瀬になって申し訳ございませんが、こんな想いに至りましたので、年賀状は手にいたしません。
「あの馬鹿野郎、いよいよ終活をはじめたんだな」と思ってください。
ご了解ください。

 

今年一年、本当にお世話になりました。
どうぞ良いお年をお迎えください。

 

今日もいいことがありました!

 

color_img_01

 

 


コメントはありません

コメントを残す