大童法慧 | ポリティカルコレクトネス ノイジー・マイノリティ
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
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12月 24日 ポリティカルコレクトネス ノイジー・マイノリティ

ポリティカルコレクトネス ノイジー・マイノリティ
・・・そこにあるものを見直すのではなく、自分側の視点だけで完全否定することのよう。

 

 

 

除夜の鐘は五月蠅いから、とクレームを頂く時代です。
盆踊りにはイヤホンをして踊る処もあるそうです。
そのうち、初詣も近所迷惑となるのでしょうかねぇ。

 

 

「初詣」 
お正月、やっとの思いで、主人と初詣にでかけました。
この3年間、お正月が来ても、とてもそんな気持なれかった。主人も同じだったと思います。

 

でも、思い切って誘いました。
娘が生きていた6年間、毎年、一緒にでかけた神社です。

 

はっきりと思い出しました。娘の事を。ああ、ここでお御籤を買ったな、ここでお昼を食べたな、ここで写真を撮ったな、と。

 

毎年、家族で一枚の絵馬を求め、願い事を書いていました。元気で暮らせますようにとか、パパが煙草をやめられますようにとか、マンションを買う夢もありました。

 

「絵馬を書かない?」と、主人に言いました。彼は黙って頷いて、先に書きはじめました。
渡された絵馬には「貴代美が幸せになりますように パパ」と、書いてありました。
貴代美とは、娘の名前です。

 

それを見た時、涙があふれました。
でも、その時、強く思ったのです。「この人と一緒なら、きっとやり直せる」って。

 

亡き吾子の 幸せ願う 初詣
それでも、生きる。それでも、生きる。
そうすれば、そこに、新たな風が吹く。
きっと、穏やかな優しい風が吹いてくる。

 

平成27年 『大法輪』巻頭言より「春の章」抜粋


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