大童法慧 | 問題
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
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6月 25日 問題

遅刻 失敗 思い違い 一つのミス
そうすると、あなたそのものが悪いと追い詰められる
問題が問題でなく、人格や存在が問題となる
結果、「腹を切るまで許さない」
その事実が悪いのか、それとも、あなた自身が悪いのか

 

お釈迦さまと弟子の問答です。

弟子「知って犯した罪と知らずに犯したる罪と、どちらが重いのでしょうか?」

お釈迦さま「あなたは、どう考えますか」

弟子「知って犯した罪の方が重いはずです。悪いと知りながらも、それをしたのですから」

お釈迦さま「実は、そうではありません。知らずに犯した罪は知って犯した罪に比べ、何倍も重いのです」

弟子「どうしてでしょうか」

お釈迦さま「知って犯した罪には限度というものがあります。自制があります。 また、それを咎められれば反省ができます。反省ができれば、悔い改めることができるものです。けれども、知らずに犯す罪には際限がありません。行きつく所にまで行ってしまうかもしれない。また、悪という自覚がないから、反省することができません。だから、悔い改めることができないのです」

 

 

子曰、君子不重則不威。學則不固。主忠信、無友不如己者。過則勿憚改。

子曰く、君子重からざれば則ち威あらず。学べば則ち固ならず。忠信を主とし、己に如かざる者を友とすること無かれ。過まてば則ち改むるに憚かること勿れ。


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