大童法慧 | 啐啄同時
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
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1月 16日 啐啄同時

 

師から「カラスは白い」と言われれば、「はい」と応えるのが弟子だと教えられました。
なぜならば、何事も守破離があるからです。

 

お茶の道、書の道、剣の道、そして、仏の道。
道と名の付くものだけではなく、まずは、師や先人、上司や先輩の教えるところを護持すること。
そして、「なぜ、カラスが白いのか」を会得すること。
そのうえで、「カラスは黒かった」と申し上げるならば、師も応えるでしょう。「白いカラスは珍しい」、と。

 

 

啐啄同時という禅語があります。
雛が卵の外へ出ようと殻を内からつつくことを「啐」。
母鶏がそれに応じて殻を外からつつくことを「啄」。
「啐啄」が「同時」であってこそ、雛は誕生することができるのです。

 

 

大切なことは、「カラスは黒いです」と即答することではない、つまり、吾我を主張するものではないのです。そして、「弟子から全てを奪ってくれる師」のありがたさに気づきたいものです。

 

 

 

 


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