大童法慧 | 喪失感
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
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10月 11日 喪失感

別れの喪失感、特に、死ぬ事での別れは、何をもってしても、それを埋め合わす事は困難なことだ、と思うのです。
たとえ、世界中のお花を買い占めて、祭壇を飾ったとしても。
たとえ、世界中の線香を買い占めて、故人に手向けたとしても。
たとえ、何百人の僧侶を呼んで、葬儀を執り行ったとしても。
何をもってしても、その喪失感を埋め合わせることはできないでしょう。
なぜなら、死者は生き還りはしないから。
なぜなら、その人の存在があまりにも大きかったから。
一家の大黒柱を失った夫人と子供たち、生まれて間もなく力尽きた子を持つ夫婦、事故や事件に巻き込まれた家族。
死は人を選びません。
会えば別れる、生まれれば死ぬ。
この真実を頭ではわかっていても、やはり、大切な人との別れは不条理で、切なく、寂しく、やるせないものです。
葬儀という命の最も厳粛な瞬間と向かい合う時。
ただ静かに、その過ぎ行く時間を愛惜すること以外に、その死を悼み、その故人を偲び、別れを受け入れる最良の方法はないでしょう。
その大切な時間を、悪徳葬儀社や心無い宗教家に汚されるのは論外ですが、あえて、【感動の葬儀】を作り出す必要はないと思うのです。
それとも、今の時代、人の死すら、演出を借りなくては、心に響かなくなったのでしょうか?


1個のコメントがあります
  • ふぐみ
    Posted at 00:13h, 12 10月 返信

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    はじめまして。
    フグミといいます。桃麗さんのブログから来ました。
    わたし・・・お葬式で、感動させる必要は無いと思います。
    故人を偲び、別れを惜しむために足を運ぶものが『葬儀』だと思うんです。
    ただでさえ悲しいのに、わざわざその悲しみを〝演出〟する必要がどこにあるんでしょう。。。イベントじゃないのに(._.)
    私は、父を2年前に亡くしました。
    家族は泣き疲れ、葬儀の後、母は寝込んでしまいました。とても辛かったです。
    悲しみでいっぱいの家族を、一体何で感動させてくれると言うんでしょう。。

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