大童法慧 | 棺
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
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11月 29日

俺は総桐がいいな、いや、やっぱり、天然木曽ヒノキか。
彫刻は三面にしようかな、うーん、どうせなら、五面にするか。
私は布張りがいいわ。お洒落だし、いろんな柄もあるみたいだし。
そうだ、ヴィトンとか、エルメスのものってないのかしら。
僕は、ecoを考えてさ、段ボール製か竹製のものにするよ。
地球に優しいって、いいよね。財布にも優しければ、なお、いいけど。
棺は、最後のベッド、最後の乗り物だから出来る限り贅を尽くしたものでと思う人もいます。
どうせ、燃やしてしまうものだから高いのはいらない、と言う人もいます。
ある方丈さんは、お通夜のときに、棺の蓋に一句を勢いよく書きつけるそうです。
ある葬儀社は、サービスとして、棺の蓋に仏名や故人名を大きく書くそうです。
こんなお話があります。
ご縁をいただいた老人ホームの、伝説のひとつです。
そのホームに、あるお金持ちのおばあちゃんがいました。
ある時、葬儀社に自分の葬儀の見積もりを依頼しました。
その中で、おばあちゃんが一番驚いたことは・・・棺の値段でした。
「なんで、焼いて無くなる物に、10万円も払わなければならないの?」
葬儀社の社員が、言いました。
「棺は必需品ですからね。でも、自分で作ればお金はかかりませんよ。
たとえばですね、飲んだあとの牛乳のパックなんかで作ったら・・・」
以来、おばあちゃんは、牛乳パックで棺を作るんだという強い願いを持ちました。
そして、一生懸命に牛乳を飲みました。
結果、より健康になり、100歳まで生きたとさ・・・
裸で生まれてきた私たちです。
何を持って逝くのでしょうか、何を残して逝くのでしょうか。


MEMO
1、グリーンアーク
2、寝棺 座棺
3、裸にて生まれてきて 何不足


8 個のコメントがあります
  • ぶぶ
    Posted at 12:35h, 29 11月 返信

    SECRET: 0
    PASS: ba2a80622656dd77e7d44593c0d9580d
    私も今から牛乳飲み始めましょうか。
    体巨大につき完成までに時間がかかりそうです。
    棺の話題で、なんだか
    ほんわか、うふふ、そして真のある何かが伝わって来ました。慧さん、ありがとうございます。
    裸で生まれ裸でいく、その間を誠実にいきたいと思っています。

  • Posted at 20:46h, 29 11月 返信

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    恥ずかしながら、私も、かなり時間がかかります。
    それに、牛乳じゃあ、酔えんから。
    昨今は特に、裸で生きていていると、ひどい風邪をひいてしまいます。
    薬は、酒と恋と歌かな。
    横浜か徳山で、一度、飲みたいですね。誘って下さい。

  • レミ
    Posted at 15:56h, 01 12月 返信

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    笑っちゃいました(^○^)
    でも、健康で百まで生きたらスゴイです。
    どんだけ牛乳を飲んだのかな?

  • Posted at 21:43h, 01 12月 返信

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    一日一本、三日で三本。三歩、歩いて二歩さがる。
    人生はラッキーパンチではありませんね。

  • shunken
    Posted at 02:47h, 03 12月 返信

    SECRET: 1
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    何を残して、いや、遺していけるんだろうなと考えております。「遺言川柳」という本をぱらぱらめくりながら、年に一度の遺ゲを考えたりしております。。。。
    先日は御断りしてしまって申し訳なかったです。ぜひまたの機会に、あつあつの釜めしでもご一緒しませんか?
    また連絡させて頂きます。

  • エイミ
    Posted at 07:16h, 03 12月 返信

    SECRET: 1
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    慧さん
    お久しぶりです。こうして忙しくなり、自分が見えなくなると、法話を読みに来て立ち止まります。私事になり申し訳ないのですが。以前もメールで話した友人のことです。2-3日電話がないため心配し、今朝、アパートに行きました。大家さんに事情を説明し、ドアを開けてもらいました。友人は床に倒れていました。部屋はアルコールくさく、倒れた時に顔を打ったのか、血だらけです。救急車を呼び病院に運ばれていきました。このように書いていると、とてもドライなかんじなのですが、私は自己嫌悪を思わずに居られません。もう少し早く見に行けば、友人が”来てよ”といったときに行っておくべきだった、など。現在、この気持ちと戦ってます。何か渇をいれてください。

  • 岳さん
    Posted at 11:25h, 03 12月 返信

    SECRET: 0
    PASS: efb417f3a6ce30cfd668415ba19056a4
    もっともっと私が若かったとき、河田町にいた松尾太年老師に、「何か書いてください」と、僧堂から暫暇してお願いしたことがありました。
    老師は、後日、「一日作さざれば一日食らわず。一日食らわざれば一日作さず。」と揮毫して下さいました。5枚頂きましたが、この一枚だけが残って私の手元にあります。
    今でも、「ふ~~ん」と、うなっています。
    白山の小池老師は、「こりゃいかん」と言い、建長寺の柏樹庵老師は、笑っていました。
    この老師方は、共に、建仁寺で20年前後に渡って修行した方々です。
    つくづく、人は意味を求めて、あれこれ考え遊ぶ動物だと思うのです。

  • Posted at 09:51h, 04 12月 返信

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    己事究明という言葉は、今では、自分探しという表現になりました。
    迷いや悩みのなかで、いや、たとえ遊びであっても、それが正師と呼べる人に出会う機縁になればよいのですが・・・

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