大童法慧 | 祖母の死
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
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9月 27日 祖母の死

福井県にある大本山永平寺で修行をしていた時、
法話の勉強として修行僧をまえにつぎのような話をさせていただきました。
法話の対象が修行僧であるため、分かりづらい所もあるかもしれませんが、その意とするところを汲み取っていただければ幸いです。
*  *  *  *  *
皆さんは、道如上座という方をご存知でしょうか。
この方は、道元禅師が天童山で修行をされていたころ、書記をされていた方です。
道如上座は、父親が大臣であるほどの名家の生まれですが、彼は全く親族と付き合うことはなく、そして、名利利養の念、つまりお金が欲しいという欲もなく、そのため着ているものはみすぼらしく目もあてられないほどでした。
ある時、道元禅師は
「なぜ、あなたは名家の出なのに、そのような格好をしておられるのですか?」
と、道如上座に尋ねられました。
すると道如上座はこう答えられました。
「僧となればなり」
「僧となればなり」つまり、自分は出家したからだ、ということです。
道元禅師は道如上座の覚悟にたいへん感激されました。
そして後に、このように仏道における徳の深さゆえに、天童山の書記を勤められたのであろう、とおっしゃられています。
今、永平寺安居の好時節にある私たちは、日々、道元禅師からこの「僧となればなり」の自覚を問われているのではないでしょうか。
先日、母より速達が届きました。
1月6日に祖母が亡くなったと書いてありました。
私は、いわゆる「おばあちゃん子」でしたから、
祖母の私に対する情愛は深く、祖母は最期まで私のことを心配してくれていたそうです。
しかし、
「もし自分に何かあったとしても、修行を終えて自分から戻ってくるまでは呼ばないでいてほしい、あの子は出家したのだから」
と、生前語っていたというのです。
ですから、私には祖母が倒れた事も知らせず、葬式が終わるまで連絡しなかったと手紙にありました。
読み終えて、申し訳なさで悔し涙が出ました。
祖母が私に会いたい気持ちを抑えて、私を呼ばないでくれと言われた心を思えば思うほど、「僧となればなり」の自覚、責任、覚悟を祖母から親切に教えられたように思いました。
本当の出家になりなさいと励まされているようでした。
私は在家出家です。
原田祖岳老師の著書とめぐりあい、出家を志しました。
途中、何度か挫けそうになることもありましたが、
幸いに祖岳老師の法嗣の湛玄老師とのご縁をいただき、頭を剃ってもらいました。
出家を志してから、すでに7年ほどになりますが、家には帰っておりません。
私たち曹洞宗僧侶は、得度をする時に
流転三界中 恩愛不能断
棄恩入無為 真実報恩者
とお唱えします。
この世の中、なかなか恩愛の情は断ち難いけれど、しかし、そこを潔く棄てて、本来の「いのち」のありように報いられる者となりますと誓って、師匠さまに髪を剃っていただきます。
いわばそこが、私たちの出発点です。
棄恩、恩を棄てるというのは、何も無茶苦茶に投げ棄てるということではなく、小さい自分だけの居場所にとどまらずに、より大きな「いのち」に気付き高めることです。
道元禅師は、出家の父母に対する報恩について
「恩を一人に限らず、一切衆生斉しく父母の恩の如く深しと思うて、なす所の善根を法界にめぐらす」
とお示しになられています。
つまり、出家は生きとし生けるもの全てを、わが父母と思える心を持ちなさい、その心を持てるようになることが、とりもなおさず、あなたの父母への何よりの報恩となる、とお教えになられています。
道元禅師の問いに、「僧となればなり」とお答えになられた道如上座の胸のうちは、実は、ここにあったのではないでしょうか。
祖母が亡くなった知らせを受けましたが、まだ私は家に帰ってはおりません。
祖母の私への本当の願いを思うと、せめて生きとし生けるもの全てを、わが父母と思える境涯になるまでは、もし帰っても喜んではくれないでしょう。
「僧となればなり」の自覚ある日にちが、私の祖母への報恩であり、孝順であり、誠であり、真の供養であると思うのです。
いかにしてまことの道にかなわんと
ひとへに思ふ ねてもさめても
良寛さんの歌を、送られてきた祖母の戒名の脇に書き込みました。
いかにしてまことの道にかなわんと
ひとへに思ふ ねてもさめても
(平成11年1月21日)


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