大童法慧 | 神も仏もあるものか
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
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2月 20日 神も仏もあるものか

どこに続いているかわからない 真っ暗の夜道
一人寂しく ただ歩む
その前を楽しそうに歩くあなたを見つけた
「その人に解決できる問いしか立てられないものよ」とあなたは微笑んだ
そう、「神も仏もあるものかと」思うのならば、そこにいるのは、私独りだけ
だから、「それでも・・・・神も仏もいる」と思えるのならば、私は独りではない

 

 

いつもともに  広島市 植松伸子

元気になったら
すぐに
忘れてしまうのです
あなたのことを
だから
時々あなたは
私の足元に
小さな石を置いて下さる
そして
つまづいた私は
思い出すのです
いつもともにおられる
あなたのことを     産経新聞 朝の詩

 

 


MEMO
1、信仰と信心
2、わたしはあなたのみ教えを喜んでいます
苦しみに会ったことは わたしにとって 幸せでした 詩編119
3、枯木逢春
4、人間は行きづまるということは絶対ない。行きづまるというのは、自分が「行きづまった」と思うだけのことである。
松下幸之助
5、法は無知を救わず
6、 おそろしいこと   森田佳代子
困難にぶつかることよりも
人にうらぎられることよりも
つらいことよりも
悲しいことよりも
苦しいことよりも
もっとおそろしいのは
あきらめてしまうこと―
そこですべてが終わってしまうから・・・・・・
7、憎しみにまさる 不運なく
安らぎにまさる 楽しみなし  釈尊


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