大童法慧 | 言の葉 〔9〕
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
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6月 05日 言の葉 〔9〕

熟した果実がいつも落ちるおそれがあるように
生まれた人はいつでも死ぬおそれがある。
感興のことば <ウダーナヴァルガ> 無常11
生まれたばかりの赤ちゃんであっても、熟した果実。
生意気盛りの横着なクソガキであっても、熟した果実。
要領よく人を信じない新社会人であっても、熟した果実。
リストラされ職が容易にみつからない年になっても、熟した果実。
自分で用意した天下り先に再就職する年になっても、熟した果実。
平均寿命を超えたとしても、熟した果実。
すべて、熟した果実。
生まれたときに、既に、熟した果実。
エリート官僚も ヤクザも 坊主も キャバ嬢も ニートも
健康自慢であっても 幸せのような気がしていても
すべて、熟した果実。
生まれたときに、既に、熟した果実。


大切な事は
生と死と、二つに分けて考えるのではなく
生死をひとつものとして、いのちのありかたを省察する事。
生があって、最後に死があるというのは、世法。
仏法は、常に、生死はひとつもの。


2 個のコメントがあります
  • remains
    Posted at 13:34h, 05 6月 返信

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
     生にこだわればに死が立ちふさがり
     死に向き合えば生を乞う
     人とは勝手な物ですね。
     
     さりとて、生きるも死ぬるもあるがまま
     死ぬ為に生まれ、生かすために死すも
     仏法か世法かは別として、命は連綿とつながって行くものと思います。
     
      

  • 法慧
    Posted at 18:01h, 06 6月 返信

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    説似一物即不中
    昔の人は、この一言を道得するまでに・・・
    ずいぶんと辛酸をなめられ、本当の骨折りをされました。

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