11月 23日 宗教以前か?
会津藩には幼年者教育のために、「什の掟」というものがありました。
一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ
二、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
三、虚言を言うことはなりませぬ
四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
五、弱いものをいじめてはなりませぬ
六、戸外で物を食べてはなりませぬ
七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです
藩校に上がる前の6歳から9歳位の子供らが集まり、毎日、この掟を確認し、自分の行為を点検していたそうです。
当時は封建社会であり、現代とはその思想に、隔世の感があります。
しかし、その精神のあり方は、現代こそ、見直す必要があると思うのです。その精神の在り方を・・・。
昨今の報道を見聞きするにつけ、私は、ある言葉が頭から離れません。
その言葉とは、私利私欲。
現れた形は異なるけれども、全部、私利私欲じゃないかって。
自由と権利ばかりを主張し、人生の勝ち負けをお金の多寡だけで決め、
恥を知る心も忘れ、ただ、私利私欲を満たす事のみ。
仏教は道徳ではありません
仏教は倫理ではありません。
仏教は生活哲学ではありません。
しかし、今日は敢えて、「什の掟」を取り上げました。
「什の掟」は儒教の教え、孔子先生の教えです。
幼い頃に片言の英語を学んで国際感覚を養うよりも、まず、人間としての身だしなみを教える事が大切なのではないでしょうか?
明日から、比叡山と京都に研修です。
その後、郡山のお寺にて新しい檀家さんの入檀式。
なすかぶ
Posted at 20:46h, 24 11月SECRET: 0
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先日、曹洞宗のお寺でのご法事に出席してまいりました。その折、ご住職さまと一緒に
「修証義」なるお経を唱えさせられました。
え~と、私の記憶ですと間違ってなければ 第四章「発願利生」とかだったと思います。
お経を唱えるにあたって、その内容を説明して頂きました。ちょっと忘れてしまいましたが、布施とか、利行とかだったですか?
「自分のことはさておき、まずは相手とか他人のために何かをしてあげましょう。そうすれば、いずれ自分も幸せになることができます。」とかだったと思います。
法慧さんの「私利私欲…」を読んでふと思いだしました。
葬儀屋レディ★ちゃむ
Posted at 00:39h, 25 11月SECRET: 0
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よくよく考えさせられました。
日々の暮らし振りのすべてが、
全てですよね。
私は葬儀社に勤めておりますが、
仏画師を目指しております。
仏様と向き合う時、
初めて、「無心になる」事が出来ました。
不思議な気持ちでした。
本当に、何も考えないで、
ただただ仏様のお姿を描く・・・
初めての尊像を描き終えたとき、
知らず知らずのうちに手を合わせていた私でした。
choro
Posted at 08:12h, 25 11月SECRET: 0
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法慧さん、おはようございます。
どうして会津藩なのかと思ったら、郡山の方だったのですね。
(自分にこそある)私利私欲を無くすことを子供に教えるのは難しいことかと思いますが、欲を無くすには欠乏感を生まなければ良いのかと思います。親としては愛情と物質の両方を与えて与えて与え尽くすことかなと思います。物質を与えるのは一見良くないことのように思われますが、小さい頃に得る満足は大人になってからでは、補いきれないものがあります。その補えないものを補おうとすることが、今の社会問題を生んでいるのかと、考えたりします。
小萩
Posted at 16:33h, 25 11月SECRET: 0
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先日は当ブログへのご訪問、ありがとうございました。こちらにお邪魔させていただき、内容の素晴らしさにリンクを貼らせていただきましたので、ご報告かた改めてご挨拶させていただきます。今後ともよろしくお願いします。
私利私欲・・・本当にそうですね。
私にも子供がいるので日ごろから考えさせられることですが、最近は学校でも家庭でも『勉強』以外のことを教えていないような気がします。私が小さなころは、お勤めにこられたお寺のお坊さんにお説法を聞く機会もありましたが、『核家族』ではそういうこともないですよね。うちの姑に聞いた話では、お年寄りのいるご家庭でも、そのお年よりに辛くあたる家庭が少なくないようで、背筋の寒い思いです。
高校になると『とにかく”いい大学”目指して頑張れ』と、他人を蹴落とすことばかり教えて『人としての思いやり』など人生にとってもっと大切なことをなおざりにしているように思えてなりません。最近の悲惨な事件も、結局は『他人様への思いやり』の心を忘れてしまっていることが原因の一つではないかと思います。うちでは、私たち夫婦がおばあちゃん(姑)を大切にすることで、子供たちに『思いやり』を教えることができれば・・・と思い、またなるべく会話を心がけています。
それでは、長くなりましたがこの辺で失礼します。
法慧
Posted at 16:44h, 29 11月SECRET: 0
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比叡山開宗1200年の参拝および京都への研修旅行を終え、郡山のお寺に戻り、今日、川崎に帰ってきました。
なすかぶさん
「発願利生」、その通りです。
布施、愛語、利行、同事。
『修証義』に関しても、近いうちに説きたいと考えおります。
ちゃむさん
仏画師ですか。素晴らしいですね。
「無心になる気持ち」と、表現されておられますが、そのお気持ちの体験を積み重ねていく事が大切だと思います。
choro さん
私の出身は長州です。山口県徳山市。
郡山のお寺にご縁いただいて、今、副住職。
コメントを読んで、はたして、欠乏感を感じさせないほどに与え尽くす事ができるのかな、と感じました。しかし、親としては、それほどまでに願ってあげる事も大切なのでしょう。
小萩さん
はじめまして。よろしくお願いします。
わずか6歳頃の子供たちが、卑怯な振舞いをしません、虚言を言いませんと、誓うその姿。とても、尊いと思うのです。
最近の耐震構造偽装の報道を見るにつけ、今の日本人は、大切な事から大きく外れている気がしてなりません。宗教以前に、まず、人としての生き方を学ぶ事から始めなければと、感じてしまいます。
鈴木晴之
Posted at 19:22h, 29 11月SECRET: 0
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「人間としての身だしなみ」とはいい言葉だと思いました
世間には色々な人がいます、価値観が多様化しているからでしょうか?でも価値観の多様化と人しての心の身だしなみは違うものだと思います、何が正しいかなぞ私が言える訳ではありませんが人としての心の身だしなみを整えた方が良いのかと思うこの頃です
法慧
Posted at 21:47h, 29 11月SECRET: 0
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価値観の多様化は素敵な事だと思います。
人それぞれに願いがありますから。
しかし、自由という言葉が自己主張に、権利という言葉が自己弁護に置き換えられた様な気がしてなりません。
恥、孝順、親、国、共生・・・。
こんな事を思う私も古い人なのかもしれません。