大童法慧 | 寺院の在り方
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
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2月 06日 米汁呑了信士

先日、妙齢の女性が「父親の戒名を見てほしい」と訪ねて来た。 お父様の俗名は、清さんとのこと。 職業は、配管工だったとのこと。 そして、ご戒名は、配管清道居士。   「これで40万円も請求された」と憤慨する彼女。 「父親の職業と名前に、道と居士をつけただけじゃないか」と言…

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10月 05日 真如苑 宗教間対話レポート

宗教間対話レポート   課題図書の『摂受心院-ほとけの心を生きる』『真乗―心に仏を刻む』を読み終えて、まず思ったことがある。それは、数百年の時を超えてまで真乗との出会いを待ったという平常眼の不動明王様のご尊顔を拝したいものだ、と。   「どうしても依頼の不動を…

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11月 21日 安心安全の僧侶

お得、格安、激安、という言葉に弱い私たち。 自分にとって損か得かの値踏みはお手の物。   僧侶派遣をググれば、お布施の一覧表がある。 俗名、戒名のランク、一日葬、炉前のみ、お好みのプランが選択ができる。 そして、明朗会計、追加料金なし、お膳料、お車代も含みますとまで、明…

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11月 01日 映画 『禅 ZEN』

来年1月に、映画『禅 ZEN』が、角川映画配給で公開されるとのこと。 原作は、駒澤大学大谷哲夫先生の「永平の風 道元の生涯」。 高橋伴明監督で、中村勘太郎さんが道元を演じる。 あなたは、大本山永平寺や大本山總持寺を知っていますか? あなたは、道元禅師や瑩山禅師と聞いて、誰だかわかりますか? ある異業種交流会でのこと。 名刺をお渡ししながら「曹洞宗の僧侶です」と挨拶をすると、「田舎の実家も曹洞宗です」と、応えてくれる人もいました。その一方で、「ごめんなさい、存じ上げません」との声も。 こんな場合の奥の手。 「福井の永平寺と鶴見の總持寺が本山です」と付け加えると、「ああ、テレビで見たことがある」と言ってくれるものですが・・・しかし、その会は、とても正直な方が多かった。 「いやぁ、見たことありません」 「あまり関係のない事ですから・・・」 結局、今の生活には関係ないか・・・ 親の法事と取引先の葬儀で焼香すれば、それでよし。 政教分離という便利な言葉が一人歩きし、「宗教は騙されるもの」と洗脳されて敬遠。 坐禅や精進料理に惹かれもするが、痛いのや面倒なのは御免。 中学校の歴史のテストでしんしん、にちにち、りんえい、そうどう・・・と、宗派と祖師の頭文字をあわせて覚えたことも、遠い昔の夜の事。忘れても、無理はない。 最近では、臨済宗と曹洞宗をあわせて、禅宗と表記してある教科書もある。 ある教団は、電車の中刷り広告を席巻し、民法のラジオの番組で提供を連呼する。 ある教団は、駅で待ち構え、「困った事はありませんか?」と優しく声をかけてくれる。 山門の中にいる人だけを相手にするのか? 「永平寺や總持寺で、○年修行しました」とえばったところで、山門の向こうには届かない。 さて、映画『禅 ZEN』 山門の外の人は、中に入ってきて来るだろうか? ちなみに、曹洞宗を、「そうどうしゅう」とは読みません。 正しくは何と読むか、おわかりですか?
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10月 13日 みかんの花

そのお寺は、瀬戸内海の小さな島にあるという。 「義父の17回忌を最後に、菩提寺から離れて、近くの霊園にお墓を移そうと考えていました。 そのお墓には、主人の父と母、祖父や祖母、代々のご先祖様が納めてあります。 でも、私も主人も東京で育ちましたし、その村には、もう父の親戚もいないんです。 息子ふたりも、東京と川崎で家庭をもっているし。 なにしろ、遠くて。 東京から広島まで新幹線、そこから尾道まで行って、船に乗って・・・ とても、日帰りは無理。 そのお寺の和尚さんは、とても気さくな優しいおじいちゃん。 「ここまでのお参りも大変ですね。お近くに移されてもいいですよ」って、言ってくれて。 正月に、主人や息子たちとも話し合ったんです。 そして、今回の法事を機にお墓を移す事をお願いするつもりでした。 でも・・・。 5月、お寺に向かう船で、初めて気づいたんです。 みかんの花の香りに。 その島に近付くにつれて、とてもいい香りがして、白い花が輝いて見えました。 そして、たくさんの蝶が舞っていて、とても奇麗だった。 ああ、こんなに素晴らしいところはないな、って。 同船していた主人や息子の家族に伝えました。 みんな、感動してしまったの。 お墓を移す話は、しませんでした。 私ね、今、あのお墓に入りたいなって、思っているの。 だから、離婚とかにならないようにしないと、ってね。 だって、離婚しちゃったらあのお墓に入れなくなるでしょう・・・ 私たちが、あのお寺のお墓に入る事になれば、子供たちも大変かもしれない。 なかなかお参りには来れないだろうし・・・経済的にも時間的にもね。 でも、法事じゃなくても、時間が空いた時とか、人生に躓いた時や疲れた時に、 私たちに会いに来てくれたら、あの島に来てくれたら・・・ きっと、また、力をもらえたり、もう一度、頑張れる勇気を得ると思うの。 そうね、5月がいいわね。 みかんの花が咲く頃が・・・」 門前に住んだからとて、信心深くなるものではない。 お寺に生まれついたからとて、仏縁が育つものでもない。 葬儀や供養の業界で働いても、目に見えるものしか信じない者もいる。 いつも、近くや便利な所ばかりに答えがあるのではない。
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11月 28日 菩提寺について [2]

作務衣に剃りあげた頭、頭陀袋を持つ私の姿を見て、「お坊さん?」と、乗り込んだタクシーの運転手が、勝手にしゃべり始めた。 昭和40年頃も、東京に出て働くのは当然の事だった、と。 その後は色んな職を転々として、今じゃあ、この年になってもタクシーに乗って稼いでるよ、と。 「曲がりなりにも家庭をもって、息子二人も独立して、今はかみさんと二人暮らし。 家を建てる甲斐性はなかったけど、それなりに楽しかったさ。 たまに見る孫の顔は、嬉しいね。なかなか、会いにこないけどさ。 競馬と酒ぐらいかな、あとは、何年かに一度、旅行する事かなぁ。 あのさ、お墓の事なんだけどさ・・・2年前、故郷のお寺に墓地を買ったんだ。 先祖代々は兄貴が守ってるから、自分たち夫婦のをね。 永代供養ってやつでさ。 息子たちに面倒をかけるのは嫌だし、自分たちの事は自分たちでしようと思ってさ。 かみさんも同郷で、やっぱり、故郷が恋しくてね。 そこのお寺ね、80歳を超えた優しい和尚さんでさ。 かくしゃくとしていて、村の人たちも尊敬してるんだよ。 ただ、跡取りの息子さんが事故で死んじゃって、その娘さんが大学を出たら跡を継ぐって話だったんだよなあ。 でもね・・その娘さんも事故でさ。 和尚さんは、ショックで入院したらしいんだよね。 もう年だしね、跡取りいなくなっちまって。 こんな場合、どうなるんだろう? どこかから、新しい和尚さんが来てくれるのかな? 本山から派遣してくれるのかな? 兄貴から聞いたけど、檀家みんなが気にしているって。 そりゃそうだよなあ。 でもさ、田舎の小さな村だからさ、誰も来てくれないんじゃないかって。 住職さんも息子さんも学校の先生をしながら、お寺をしていたからね。 だから、誰も来てくれないんじゃないかってね。 でもこのまま、お坊さんが来なかったら、お寺やお墓はどうなるんだろう? あのさ、どうなるの?」 心情的には何とか力になってあげたい。 けれどおそらく、現実的な処理が行われる。あるいは、政治的に解決される。 「どうなるのかな。でも、いい方向に転がっていくといいね」 牧師さんは、協会からの派遣で赴任するらしい。 だから、何年かに一度、布教の為に引越しをしなければならない。
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11月 20日 僧形

先日、日本クリスチャンアカデミー関東活動センターで、「対話プログラム」の催しがありました。 テーマは、『死と葬儀 ~宗教はどう係る~』 講師は、雑誌「SOGI」の編集長の碑文谷創先生でした。私も応答者として参加いたしました。 碑文谷先生の講演<レジュメ有> 1、脆い死の時代 医療化した死の時代 非神話化した死の時代 2、看取りと葬送の問題点 3、宗教者の係わりと必要とされるサポート 時代背景や文化の規制を受けながらではありますが、葬儀の本質とは、いかに、死を受け入れるかであり、その葬送の形も変化する事を教えられました。 応答者ということでしたので、講演に対して、2・3の質問をすればいいのだろうと思っていたのですが、20分程度で、普段の活動を通じての問題提起をしてくださいと、司会の方に求められました。 そこで、出家の経緯や参禅の事、役僧の体験や葬儀・法事の思う事、僧侶や寺院の在り方について考えるところを述べました。 その後、全体の質疑応答のなかで、こんな問いをいただきました。 「供養という形において、<なんとなく落ち着かない気持ち>を利用して、お金儲けをしている宗教者が多いと思うけれども、その点をどのよう考えているのか」 この問いに対して碑文谷先生は、「寄り添う者」をキーワードにして、こんな体験を語られました。 ある日、僧侶との話し合いの中で、「斎場に行っても、遺族が挨拶にこないで、葬儀社が代わりにくることがある」と発言した者がいた。そこで即座に、指摘した。 「それは違う。あなたがた僧侶がまず遺族のところに出向き、話を聴くのが本来だ」 宗教者は遺族の悲しみの同伴者になることを考えるべきだ、と。 次に、マイクを渡され、私はこんなふうに答えました。 「とてもありがたい、厳しいご指摘です。 私自身は、その<なんとなく落ち着かない気持ち>を利用して金儲けはしないぞ、と覚悟をしております。 役僧を辞め、さぁどうしようと困った時、自分の中で芽生えた答えのひとつが、僧形として生きるでした。 つまり、お坊さんとして生きる事です。 じゃあ、そのお坊さんと在俗の方々との違いは何か? それは、ものの見方だと思います。 参禅のお師匠様から叩き込まれたものの見方を、ご縁あるところで説き示す事だ、と。」 38歳、やっと、その歩みをはじめたばかり・・・
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7月 21日 15年後

15年後、檀家制度は崩壊するという指摘がある。 団塊の世代が死を迎えるにあたり、宗教や菩提寺、葬儀やお墓の在り方を自らの事として考え、自らの答えを出す時間が15年もあれば充分であろう、と。 「寺との付き合いは、親父の代まで」と、役員会で言い放った総代の息子さん。 「霊園にでも、新しくお墓を建てて、お墓の中身を移せばいいんだろ。更地にしろって、言われたってさ、しないよ。無視さ」と、語る猛者。 地域社会は後退し、それに伴い、地方の寺院も衰退しつつある。 寺院の格式が高くとも、檀家が少なければ、寺院も家族も維持し難い。 葬式や法事に頼る現状。 葬祭における伝道布教というけれども、では、布教のみではどうだろう? 東北地方の30歳の副住職さんは、今、東京で出稼ぎをしている。 仕事は、高層ビルの窓拭き。 中国地方の40代の住職さんは、地元で中学校の教師をしながら、年に数度の葬儀と檀務をこなす。 しかし、僧侶としての自分に自信が持てない。 僧形で生きたいと願っても・・・ 職を得るのなら、肉山の役僧か、専門僧堂の役寮しかないではないか。 他宗には、都市開教を支援するシステムがある。 また、葬儀法事に特化した僧侶派遣のシステムを構築しようとする動きもある。 都下のお寺の30年前。 当時の航空写真を見せてもらうと、周りは、田んぼだらけ。 お寺も田畑を持ちながら兼職し、境内には鶏をかっていたという。 檀家も百軒なかったそうだが・・・今では、千軒を越す。 北陸にある14軒の漁村。 故あって、それぞれの家が1億円のお金を手にした時、先祖供養のためだと、その集落にある無住のお寺を建て替えた。一軒均等に1千万円也。 菩提寺を紹介する会社もある。 いいお寺を紹介するらしいが、いいお寺って何? もしかして、会社に仲介料をふんだんにくれるお寺の事かな? 15年後、お寺はどうなっているのだろう? 15年後、私の川崎での活動は、ひとつの答えを得ているだろうか? 動けば、風が起きる・・・その風を信じよう。
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5月 08日 菩提寺について 〔1〕

菩提寺<ぼだいじ>という言葉をご存知でしょうか? 檀家<だんか>という言葉はどうでしょう。 檀家として属するお寺の事を、菩提寺といいます。 檀家制度の成立に関しては、歴史的な考証が欠かせませんが・・・ 先日、友人の母親から、サークル仲間の愚痴を聞いてあげてくれないかと、電話がありました。 これもご縁と、待ち合わせの品川の喫茶店へ行きました。 穏やかそうなご婦人でしたが、よぽど腹に据えかねていたのでしょう。 自己紹介の後、憤り冷めやらぬご様子で、話しがはじまりました。 「実は、この連休に、母の3回忌を行いました。 ご住職様は不在という事で、跡取りの長男がお経を読んでくれました。 その人は、私の子供よりも若く、まだ25歳前後でしょうか・・・ その姿は、肩まである金髪で、耳にピアスをして、衣を着てました。 驚くというか、あきれてしまって、言葉がでませんでした。 ●●宗って、あんな格好が許されているのですか?」 「まぁ、お観音様も長髪ですし、耳にピアスもしていますからね。 私は、その人にお会いした事がないので知りませんが・・・ 何か、素晴らしい信条があってのお姿ではないでしょうか」 と、お答えしたら、間髪入れずに「いいえ、そんな人ではありません」と、声を震わせてさえぎり、その日の出来事を一気に吐き出しました。 「父親と私たち家族、そして、妹の家族で、お寺に行きました。 お手伝いの女性の方が、控え室でお茶を出してくださいました。 約束の時間になった頃、その女性が本堂に案内してくださり、今日はご住職は不在だから、ご長男さんがお勤めしますと説明されました。 しばらく待っておりますと、あの姿で長男が現れました。 そして挨拶もなく、いきなりお経が始まったんです。 しかも始まったかと思うと、10分位でお経が終わりました。 そして、ただ一言。 お焼香をして、お墓におまいりください、ですって。 帰り際の玄関にお寺の奥様が現れ、お布施をお願いしますって。 母は院号でして・・・お布施として15万以上、お膳料で1万円。 塔婆代として、8本分4万円、計20万円以上を請求されました。 お包みしたものをお渡しすると、「確認いたします」と言って、なんとその場で、中のお札を数えはじめたんです。 そして、「領収書は必要ですか?」って、言われました。 今まで、お寺のご住職とお目にかかったのは、一度しかないんです。 お参りしても出てこられないんです、会議だとか打ち合わせだとかで。 葬儀社さんの紹介で、葬儀のお願いに伺った時に、一度だけ。 お檀家になるという約束で、墓地を分けてもらいました。 通夜や葬儀、そして初盆や1周忌の時にお勤めされたのは、ご住職ではありません。そのお寺で働いてた年配のお坊さんが、お経を読んでくれました。 いろいろとお話してくださる気さくな方でしたし、私たちもこの方ならって思ったのに。今春、辞められたそうです。 両親はともに信州の出身で、この町に居を構えて50年になります。 父は四男でして、信州のお寺は長男の伯父が継承してます。 もっと前もって、お寺やお墓について調べたり、探したりしてば良かったと、後悔してます。 今となれば、遅いですが・・・ お墓参りの後、父親が呟きました。 「母さん、喜んでいるのかな?これで、母さんの供養になるのかな?」 この言葉を聞いて、私と妹は、その場で泣き崩れてしまいました。 とっても、悔しくて・・・」 時折、ハンカチで目元を押さえながら、およそ2時間半。 その間、私は言葉を差し挟むことなく、コーヒーを3杯。 そして、別れ際に一言。 「あのお寺の檀家を辞めます」 あなたは、どこかのお寺の檀家さんですか? その菩提寺の名前や宗教が答えられますか? その菩提寺のご住職の顔と名前はわかりますか?
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1月 19日 プロ

武蔵野大学で開催されたシンポジュウム『葬儀を考える』に行きました。 パネリストは、浄土真宗のご僧侶お二人と、葬祭関係の専門学校の講師の方、そして、碑文谷先生でした。 残念ながら、深い議論には、至りませんでした。 しかしながら、ひとつ、気になる言葉がありました。 それは、専門学校の講師の方の発言でした。 「葬儀社は葬儀のプロです。専門学校の講師は、講師のプロです。 では、僧侶の方は、いったい、何のプロなんでしょうか? 私は、長い間、葬祭に関わる仕事をしてきましたが、僧侶が何のプロなのか、未だにわかりません」 ・・・さてさて、僧侶は何のプロなのでしょうか? ひとまず、葬儀という場に限定すれば、僧侶の役割は導師です。 至心に懺悔の文を唱え、法性の水を濯ぎ、菩薩の大戒を授け、引導を渡す。 〔浄土真宗では、引導を渡さないそうです〕 かつては、人天の大導師という言葉もありましたが・・・ お布施の多寡で、葬家への対応が変わり、開式の時間に遅れ、お経を間違え、戒名は誤字、で、威張り散らすようでは・・・葬儀の場から、僧侶が締め出される日も、遠くはないでしょう。 もちろん、葬式法事ばかりが、僧侶の「仕事」ではないはずですが。 「じゃあ、お前は、何のプロなのか?」 私は、布教伝道のプロでありたい、と答えます。 ・・・まだまだ、道の茫々たる感は否めませんが、この学びが、この体験が、この出会いが、この今が、布教伝道のためにあると信じております。 葬儀も、大切な布教伝道の場。
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