大童法慧 | 『千の風になって』に思う
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
15200
post-template-default,single,single-post,postid-15200,single-format-standard,ajax_fade,page_not_loaded,,vertical_menu_enabled,side_area_uncovered_from_content,qode-child-theme-ver-1.0.0,qode-theme-ver-7.2,wpb-js-composer js-comp-ver-5.0.1,vc_responsive
 


4月 16日 『千の風になって』に思う

『千の風になって』の歌詞について、尋ねます。
「私のお墓の前で泣かないでください。そこに私はいません」という歌詞が、納得できません。
私は、お仏壇にはよくご挨拶しますし、お墓参りもします。
そこにいてくださる感じがするし、安心できる場所のように思います。
この歌詞についてどう思われますか?
MIXIで、このような問いをいただいたのが、年の初め。
答えようにも、この歌をきちんと聴く機会がなく、また、買ってまで聴きたいとも思わなく・・・
既に、4ヶ月も過ぎました。全く、無常迅速です。
遅くなって、ゴメンナサイ。
この歌は、とても人気があるようですね。
葬儀においても、記帳の時や棺に花を入れる間に流れる事が多いですよ。
きっと、歌声が心地よいし、詩情的な香りが高いからでしょう。
そして、死をイメージしやすいからでしょうか。
この歌に癒された方が多いのも確かでしょう。
故人や遺された家族が、「これでよい」と思っているのなら、
・・・多分、それでいいのでしょう。
ただ、この歌を褒め称えているお坊さんを見ると、「あれっ?」と、思います。
アートマンを認めないのが仏の教えなのに・・・方便なのかな?
さて、ご指摘の
「私のお墓の前で泣かないでください。そこに私はいません」ですが・・・
私は、お墓の開眼供養の後、こんな話をする事があります。
「墓地を求め、お墓を建て、納骨なさいました。
この場所は、親しく親しくお会いできる所ですが・・・
ここに来なければ、故人様に会えないかというと、決して、そうではありません。
今、あなたの、そのお足元を、よくよくご覧になってください。
ひとつに繋がっている事に気づきませんか?
例えば、あなたの家、学校、会社、あなたの念ずるところ、あなたの思うところで、いつでも、繋がっているのですから」
供養とは・・・
その故人を通して、真実なる世界に気付く契機とすべきものである。
毎朝、仏壇に手を合わせるのは、ご先祖様に、生きる喜びを感謝するためだけでなく、また、死んだお父ちゃんやお母ちゃんを偲ぶためだけでもなく・・・
その奥にある、真実なる仏の世界に手を合わせ拝んでいる事にも気付く事こそが、大切である、と、私は思うのです。
いかがでしょうか?
返事が遅いうえに、こんな回答で失礼いたしました。
最後に、この歌について、ひと言。
「死んでなんかいません」という歌詞について、よくよく点検が必要だな、と強く感じております。


MEMO
1、骨を拾う思想
2、死んでも生き還る・・・復活
3、不生不滅・・・般若心経
4、不生禅
5、イメージ
6、いのちの連環
※ 墓参り 行かぬ理由に 千の風     川柳
※ 形見とて 何か残さん 春は花
夏ほとどぎす 秋はもみぢ葉    良寛


28 個のコメントがあります
  • 大閑道人
    Posted at 21:01h, 16 4月 返信

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    あの歌に違和感を感じるお檀家も、我が寺には多いです。
    私も、手放しで賞賛する和尚さんには、「?」と感じます。

  • けちぇ
    Posted at 22:01h, 16 4月 返信

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    >真実なる仏の世界に手を合わせ拝んでいる事にも気付く事こそが、大切である
    そうか!そうですね!そのとおり!
    あー、いつも「この家が代々続いて栄えていきますように・・・。」なんて俗なことをお願いしていた自分に反省・・・。
    皆つながっているんですね。そのお言葉にも心休まりました。
    ええと、あと、「アートマン」ってなんでしょうか?歴史で対の言葉で「ブラフマン」って聞いたことがあるんですが・・・。これはゾロアスター教でしたっけ?

  • ひろみつ
    Posted at 14:03h, 17 4月 返信

    SECRET: 0
    PASS: f3c483acb35df62be31a398cd96892f6
    僕も、あの歌自体は素晴らしいと思いますが、歌詞にはちょっとあれ?と思うことがあります。宗教否定の歌かなと一瞬思ったんですが・・・・そうじゃないですよね。いかん、いかん、僕がたぶんおかしいのだと思います。

  • Posted at 18:50h, 17 4月 返信

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    私は、あまり深く考えていません。
    只単に愛する人が亡くなって悲しい。
    しかし、自分の回りの至る所に形を変えて存在していると思えて、残された方が少しは癒されるなら、それはそれでいいのかなと思いますが.....あさはか過ぎますかね^^;

  • 豊嶋
    Posted at 00:53h, 18 4月 返信

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    この詩は大きな幻想でしょうか?
    初めて読んだときの説明には、イギリスの若者が、アイルランド共和国軍に殺されたあと、死後開いてくれと遺言していた封筒のなかにあったものとありました。なんと純粋で優しい青年だろうと感心しました。
    その後、イギリスで広まり、アメリカで受け入れられ、そして日本でも多くの人に迎えられている。勝手な想像だが、アラブ諸国でも受け入れられるのではないだろうか。宗教を超えて、全世界に広まればいいと思っている。
    この詩は、死んで行くものが、後に残された人々の悲嘆を慰めるために書かれたように感じます。そのような配慮が全編に漂っています。
    話は飛びますが、9・11の主犯の一人が、前の晩に仲間に、天国で会おう、と書いたメモが見つかっています。これを読んだとき、天国を信じるのはなんと恐ろしい結果を生むことか、と驚いた記憶があります。
    この詩は自然観としては、たとえば伝統的アメリカインデアン(他にもあるでしょうが)のものの見方に近いでしょう。天国を無視すれば、死んだらすべての終わりとなりますが、死んでも自分は、天国に行ってもいないし、墓の中で塵になってもいない、お父さんお母さんの近くにいつでもいるから、そんなに悲しまないでください、といっているようです。生き残ったものを慰めようとしているようです。ただそのために書かれたように思います。

  • 法慧
    Posted at 05:47h, 18 4月 返信

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    宗学ってものが、ありますものね。
    そこまで、昇華できれば・・・

  • 法慧
    Posted at 05:49h, 18 4月 返信

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    歌詞の受け止め方の話ではなく・・・
    ここで、私の一番言いたい事を、素直に受け止めてくれてありがとう。

  • 法慧
    Posted at 05:52h, 18 4月 返信

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    ちょっとあれ?を深めていけば、自分が見えてくるかも・・・

  • 法慧
    Posted at 06:00h, 18 4月 返信

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    最近、葬儀で、よく耳にします。
    これで、癒される方も多いのでしょうね。
    演出側も使いやすいのかもね。

  • 法慧
    Posted at 06:18h, 18 4月 返信

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    作者や背景には、諸説あるようで・・・
    純な願いの現れでもあるのでしょう。

  • レラ
    Posted at 21:24h, 18 4月 返信

    SECRET: 0
    PASS: 28c8edde3d61a0411511d3b1866f0636
    「千の風になって」がブームになってから、ちょっとした集まりでもよく歌われます。ほとんどの人が素晴らしい歌だと言いますが、私はどうもこの歌に違和感を感じてしまいます。
    仏教の会でこの歌について話し合う機会がありました。先生はこの歌が仏教の教えからかけ離れていて、これが多くの人に受け入れられているということに危機感を抱いているとおっしゃいました。
    風や光になる、また「葉っぱのフレディ」のように土に還るというのは物質的死生観だが、仏教では物質を超えた「識」があると考える。「供養」とは生者が功徳を積んで死者に振り向ける(回向)ことによって死者の識を浄化すること。お経を読んだり拝んだりするのは仏や死者のためで、自分のためではない。あちら側へ突き抜けた先にほんとの風や光があると先生はおっしゃっていました。
    私がまず思ったのは、葬儀などの儀式は死者との決別を促すもの、彼岸や浄土に送り込む儀式なのに、風や光になってその辺にいてもいいというのなら、儀式はいらないな、供養もいらないな、お墓も、お坊さんもいらないな。今まで仏教が一生懸命やっていたことは見当はずれで、ほんとは必要なかったんだ。たしかに仏教の危機だ…というようなことでした。
    この歌で癒されたとか救われたという人のメッセージで本ができたそうです。悲しんでいる人のグリーフワークに役立つのはいいと思うけど、これは癒されたい生者のエゴではないか、自分の気持ちが楽になることしか考えていないのでは、と思ってしまいます。

  • ひろみつ
    Posted at 21:49h, 18 4月 返信

    SECRET: 0
    PASS: f3c483acb35df62be31a398cd96892f6
    豊嶋さんのご意見、考えさせられますね。そういう視点で見てませんでした。

  • 白蓮華
    Posted at 01:44h, 19 4月 返信

    SECRET: 0
    PASS: 0aa037863c4c086d018919d17cefa018
    ご無沙汰しております。
    私も初めて聴いた時「???」でした。
    「真実なる仏の世界に手を合わせ拝んでいる事にも気付く事こそが、大切である、と、私は思うのです。」
    この言葉を知って 今夜も
    またお勉強になりました。
    ありがとうございます。

  • 法慧
    Posted at 13:59h, 19 4月 返信

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    不滅だけを捕らえては、野狐禅でしょう。
    不生不滅は不生不滅。
    各々、宗教も境涯も違いますから・・・

  • 法慧
    Posted at 14:00h, 19 4月 返信

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    よかったですねぇ。いろんな見方ができて。

  • 法慧
    Posted at 14:03h, 19 4月 返信

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    気付くのは、第一歩です。
    それを体現していく歩みこそが・・・
    新しいお店の開業、お祝い申し上げます。
    よき歩みを、祈念いたします。

  • 椿
    Posted at 14:32h, 19 4月 返信

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    はじめまして。
    包んでくださる言葉の優しさに、強さや、力をいただいています。
    手をあわして、なんて、言葉にしたらいいんだろうと、思っていたところです。
    お願いばかりして、虫がよすぎる。とか
    感謝するには、まだ心が捻じ曲がっている。とか
    真の仏の世界に手をあわす。とありますが、どういったものなのでしょうか?

  • 法慧
    Posted at 05:41h, 20 4月 返信

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    こちらこそ、はじめまして。
    ご利益や奇跡を願うのではなく・・・まず、実行、ただ、実行。変わってきますよ。

  • ぽあん
    Posted at 23:33h, 20 4月 返信

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    こんばんは。
    歌詞は「死んでなんかいません」ではなくて「眠ってなんかいません」となっています。
    原詩でも。
    仏教では、人は亡くなると仏様になると言いますよね。
    その人の個性を持った命は終わっても、存在し続ける永遠の命のことを指して、そういう表現もできるかなと、私は今のところそう考えています。
    無とは、何もないのか、そうでもないのか。
    なんて、いまだにわからないですから。
    この歌に関連する事で私が最も違和感を感じるのは、9.11が「特別なこと」として報じられることです。

  • miyu
    Posted at 15:47h, 21 4月 返信

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    好き嫌いが激しい私はまったく受け付けない曲でした。。。
    話は離れてしまいますが・・・
    私の死後、子供たちに頼んでいることがあるんです。
    ①お墓にいれないほしい。
    ②気持ち悪いかもしれないが骨を砕いて粉にして海にまいてほしい。
    これってどうですかね。
    本気で考えてます。

  • 法慧
    Posted at 20:11h, 21 4月 返信

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    仏教とはナニナニ、禅とはナニナニ、空とは、無とは・・・と、括ってしまいがちですが・・・機根というものがありますから、ね。

  • 法慧
    Posted at 20:16h, 21 4月 返信

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    葬儀の方法や埋葬の仕方の選択肢が、多い時代となりました。
    ただ、あなたの家が、どこかのお寺の檀家ならば・・・好き勝手にはできませんから、ご注意ください。

  • miyu
    Posted at 00:28h, 22 4月 返信

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    家が絡むと難しいですね。
    自分の望むようにはならないですね。。。

  • ぽあん
    Posted at 01:38h, 22 4月 返信

    SECRET: 1
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    こんばんは。
    ミクシィは、あちこちで話題になってるので気にはなってたんですよ。
    でも、招待してくれる人もなく・・・。
    なので、招待いただけると、とても嬉しいです。
    メールアドレスは
    wildcat36@mail.goo.ne.jp
    です。
    よろしくお願いします。
    「千の風に」の詩は、歌とは関係なしに、いわさきちひろの絵で見たからグッときました。
    昔から好きな画家でしたが、もうずっと前に亡くなっていない人ですから。
    でも、残した絵は語りかけてくる力を持ってる。
    だから「眠ってなんかいません」かな、って。
    9・11の時は、千と千尋の神隠しの歌の「いつも何度でも」がすごく重なりました。
    「繰り返すあやまちの そのたびひとは ただ青い空の 青さを知る」と
    「生きている不思議 死んでいく不思議 花も風も街も みんなおなじ」が心に沁みて。
    他にそんなふうに言う人を見ないですけど。
    感じ方は人それぞれですね。

  • きよみ
    Posted at 06:16h, 22 4月 返信

    SECRET: 1
    PASS: 65b03c4daa4ef2247ab7bd45aae9d27b
    こんにちは。
    「千の風になって」の歌の題名だけは聞いたことがあるのですが、歌自体は知らないので、今度日本に帰った時に機会があれば聴いてみたいです。 いろいろ賛否両論があるみたいなので、どんな歌なのか聴いてみたい気がします。
    ブログの方、ライ○ドアは重かったりいろいろ不便を感じてきたので変えました。 FC2にしたら使いやすくなりました♪ アクセス解析、取り付けてみました。 ミクシィでもよろしくお願いしますね。  

  • 法慧
    Posted at 07:30h, 22 4月 返信

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    これを機に、考え行動してみたらいかがですか?
    いろんな事が、はっきりしてきますよ。

  • いくこ
    Posted at 04:03h, 08 5月 返信

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    はじめまして、こんにちは。
    キリスト系と仏教系の死後の捉え方の違いではないかと思います。そして、土葬と火葬の違いではないかと…
    一般に西洋ではお墓とは亡骸が埋まっているところですので、物質的に「この人はここにいる」と残された人が思い、お墓の前で死んだ人を思って悲しみ続けてはいけないという詩ではないでしょうか。そして、わざわざお墓に行かなくても私を感じることは出来るはずという意味ではないでしょうか。
    また反対に、天国に行ったらもう輪廻はしないとも考えられていますので(仏教でも輪廻はせずに上の階級に行った方がいいんでしたよね)、「ねむってなんかいない/I am not there; I do not sleep」と。これは私達が亡骸を拝む時に「もうこの体の中に、この人はいない。」と感じるあの感覚ではないでしょうか。
    個人的には「私は新しく出発しました」という意味の詩ではないかと思います。
    ちなみに、私はあの歌は熱狂するほど好きではありません(笑)。

  • 法慧
    Posted at 18:56h, 08 5月 返信

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    宗教観、死生観、葬送の文化の違いがあるはずなのに・・・これだけ支持をされるのも、日本的な土壌の特徴の表れなんでしょうね。

コメントを残す