8月 29日 置き場所
以前、葬儀相談員の市川さんが発行する「相談員がつぶやく「お葬式」のハナシ NO.065 」のなかで、以下の回答をしたことがあります。
ここのところ、同様の質問をいただく事が多いので、その時のものを加筆訂正し、掲載します。
[問]
我が家では、仏壇の上に祖母の遺影を飾っていました。
ところが、「その飾り方はよくない」と知人に指摘されました。
そんな時、不幸が立て続きにおきたので、両親が遺影をしまいました。
遺影を飾ってはいけない場所などあるのでしょうか?
[答]
お仏壇の上に遺影を飾る事と、不幸が立て続けにおきた事との因果関係は、全くありません。
何々をしてはならない教えが、仏の教だと受け止めている人も多いですが、実は、そうではありません。
人間が、本当の、自由な、何ものにも騙されない人間になる教えこそが、仏の教です。
戒律もありますが、人間を縛ったり窮屈な思いをさせる為のものではないのです。
お祖母様を偲ぶお心で、その場所に遺影を飾ったのに、知り合いから指摘を受けたとの事。
この指摘した方も、おそらく、何故よくないのかは説明できないでしょう。
こんな、心無い一言に惑わされたり、引きずられたりしない事こそが、仏の教えです。
遺影の置く位置は、仏の教えにはありません。
しかしこう申しあげても、実際に、気になさる方は気にされます。
この相談者のご両親は、遺影を外し、どこかにしまったとの事。
これもまた、仕方のない事だと思います。
この状態で「因果関係は何もないよ」と申し上げたところで、おそらく、聞く耳をもたれないでしょう。
それにこだわって、喧嘩をするのもまた、よくない事ですね。
ひとまず、ご両親の意思を尊重しましょう。
そして、時期を見て住職さんに尋ねたり、これを機に仏教にふれる機会を持たれてはと思います。
大好きだったお祖母様の写真は、フォトスタンドなどに入れて、机に置くこともできますよね。
似たような話に、水子やご先祖様のたたりだとかありますね。
それで、高額の絵や数珠などを買わされる。
子がその母を恨んだり、先祖がその子孫を憎んだりすると思いますか?
むしろ、その逆でしょう。
人は弱い者でもあります。
思い叶わぬ事があると、何かのせいにしてしまいがちです。
そんな時こそ、真実を冷徹な目をもって、ものを見る事が大切じゃないでしょうか。
そして、その冷徹な目こそが仏教だと思うのです。
ひきずられない事、振り回されない事。
MEMO
1、葬儀相談リリーフ http://www.re-lief.com/
2、盆提灯の扱い
3、仏壇の意味
4、開眼と撥遣
白蓮華
Posted at 11:38h, 29 8月SECRET: 0
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何かのせいにする…
人とは 未熟ですよね。
自分の行いを振り返らず
何かにすがったり
何かに頼ったり 逃げたり。
想う「心」が大切。
冷静な「目」を養うことが大切。
素晴らしい言葉を有難うございます。
けちぇ
Posted at 11:53h, 29 8月SECRET: 0
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私が精神の病気になったことで、母はどっかの占いのおばさんの所に連れていかれ、数十万払って水晶玉を買ってきた時がありました・・・。
「けちぇちゃん、この水晶玉を塩でお清めして、水にひたして部屋の真ん中に置くといいのよ。」って勧められ・・・。
「お母さん、ありがたいけど、お金で幸せは買えないと思うから、水晶玉、返してきて。」って言いました。
母も必死だったんですよね・・・。
慧
Posted at 17:42h, 29 8月SECRET: 0
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未熟だからこそ、また、努力する事ができる。
未熟だからこそ、また、人に問う事もできる。
未熟だからこそ、また、成長できる。
・・・そんな思いを抱く未熟な坊主です。
慧
Posted at 17:51h, 29 8月SECRET: 0
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必死の思いで、かけずり回ったのでしょう。
少しでも良くなれと、願った事でしょう。
・・・ありがたいですね、お母様の思い。
ひろみつ
Posted at 20:26h, 29 8月SECRET: 0
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はぁ~~~・・・・そんなこと言う人がいるんですね。
世間は広いというか、本当にいろんな話があるんだなぁ・・・・・
それはそうと
>未熟だからこそ、また、努力する事ができる。
未熟だからこそ、また、人に問う事もできる。
未熟だからこそ、また、成長できる。
このお言葉は聞く度、見る度に励まされます。
ここんところ、仕事のことでいろいろあって自分にも責任の一端があるため、ちっとも成長しない我が身の情けなさに落ち込んでたところです。
仕事の苦しみは、仕事でもがきながら何とかするしかないなと思い直しました。
慧
Posted at 16:30h, 30 8月SECRET: 0
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知者不言 言者不知 老子
知る者は言わず 言う者は知らず
喬木は風雪に耐えて愈々高く、
樹根は大地に張って愈々深し。
天下に憂いをいたして思い返して考えるのである。
高く飛ばんと欲すれば、深く学ばざるべからず。 大隈重信
アラモ
Posted at 23:06h, 30 8月SECRET: 0
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詳しいことは何も知りませんが、飾り方や祀り方、仏壇の中での位牌などの配置の仕方は宗派によって微妙に異なる、、という点から、その知人の方の視点から見て“よくない”と指摘されたんでしょうが、仏事などに関して否定的に言われてしまうと困りますよね。
最近思うのですが、宗教を勉強している人たちは大変真面目で一生懸命な方が多く、それぞれの宗派の中で、彼らの信じている法からそれるのを嫌うと言うか、他の宗派の教えに対して排他的になる傾向かあるんじゃないかと考えます。
アメリカでも同じクリスチャン同士で、聖書の解釈が違うために口論になったり、彼らが信仰しているキリスト教こそが正しく仏教は間違っていると差別されたこともあります。
義母に、そういう時は“神様と私との間はプライベートな関係で、あなたの入り込む余地はありません”と言えば、それ以上何も反論できなくなるから言うように教えられました。
人それぞれ、信じているものが違うわけですが、根本的に幸せになりたいと願うことは一緒ですし、他人の信仰を否定するのではなく、受け入れて尊敬できるくらい余裕が持てれば良いなと思います。
慧
Posted at 11:27h, 31 8月SECRET: 0
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排他・・・この言葉は、昨今の世相を表すキーワードだと思います。
この世に生を享けたならば、自他不二の世界に気付かなければ、もったいないなと思います。