6月 09日 生きて今あるは
たった一人しかいない自分を
たった一度しかない人生を
ほんとうに生かさなかったら
人間 生まれてきたかいがないじゃないか
この言葉は、山本有三の小説『路傍の石』にあります。
主人公の愛川吾一少年の過ちを、担任の先生が諭した言葉です。
たった一人しかいない自分を
たった一度しかない人生を
ほんとうに生かさなかったら
人間 生まれてきたかいがないじゃないか
いかがでしょうか?
人間 生まれてきたかいがないじゃないか、これを、丁寧に言い換えれば、この時代に、この国に、この父母のもとで、そして、この私として命を授かったこの人生。
何のために生まれてきたのか、何故に生きなければならないのか、また、何故に死ななければならないのか、つまり、生まれてきて本当に良かったと言う事ができるのか、・・・そんな真剣な問いかけであります。
生まれてきて本当に良かったと思えるものに気づく、出会う事を仏教では、一大事と申します。
『修証義』の総序の第1節を読みます。
生を明らめ死を明らむるは、仏家一大事の因縁なり、
生死の中に仏あれば生死なし、但、生死即ち涅槃と心得て、
生死として厭ふべきもなく、涅槃として欣ふべきもなし、
是時初めて生死を離るる分あり、唯一大事因縁と究尽すべし
お気づきでしょう、そう、このはじまりの数行のなかに、一大事という言葉が2度も使われております。
一大事と聞くと、なんだか緊急事態・重大問題が発生したかのように思われるかもしれません。
生死や涅槃という言葉が何度も登場して、なんだか大変な事をいっているように聞こえるでしょう。
しかし、いま・ここに私が生きているという事そのものこそが、一大事ではないでしょうか。この時代に、この国に、この父母のもとで、そして、この私として命を授かった。
私たちが生きているのはいまであり、私たちが生きているのはここであります。
つまり、一大事とは、「いま・ここ」の心の在り様だと言えるでしょう。
今、あなたは、どんな心持ちで生きていますか?
私事を申し上げて恐縮ですが・・・最近、身震いをした出来事がありました。
この春のお彼岸の頃、舌に違和感がありまして、耳鼻咽喉科に行きました。
舌の横あたりに、白い小さな口内炎みたいなものができました。
診察後、先生は写真を指差しながら、「この腫瘍、できた場所と色が悪いんだよね」と言いました。そして、しばしの沈黙の後、「舌癌の可能性が高いと思います」と。
私自身僧侶として悲しみの場に何度も立ち会ってきましたし、会えば別れる・生まれたら死ぬという道理は十分に知っておりました。
しかし、いざ、わが身に病や死を突きつけられて思った事は、「ああそうだったんだ、私は生老病死の真っ只中を生きていたんだ。私は、今、生老病死のど真ん中にいるのだ」という深い感動でした。
毎朝4時半に起きて洗顔して、ヤクルト飲んで坐禅と朝課、コーヒーをすすりながら新聞読んで掃除して・・・日々の営み、毎日の生活を、ともすれば、ありふれた日常、あたりまえの事と思い、それはずっと続くものだと思ってました。
しかし、そうじゃない。
この朝は二度とない朝であり、最期の朝であり、生まれてきて本当に良かったと思えるものに気づく、出会うための朝であった。
おかげさまで、今日も、ご覧の通りお話をさせていただいておりますが、今回の事で何よりも学んだ事は、癌になる事が一大事なのではなく、いま・ここの心の在り様こそが一大事だという事。
先日の読売新聞に、こんな記事がありました。
宗教観をテーマに面接方式で世論調査をしたところ、日本人で何かの宗教を信じている人は26パーセントであり、信じていない人が72パーセントであった。
しかし、先祖を敬う気持ちを持っている人が94パーセントに達し、自然の中に人間の力を超えた何かを感じる事があると言う人も56パーセントいた、と。
世の中の様々の価値観の中で、私たちにとって、今・ここである事の支え、核となるもの、中心は仏の教えであり、禅であります。
仏教とは、仏陀の教えと書きます。仏陀、お釈迦さまと同じ、正しいものの見方をする。
正しいものの見方をすれば、そこに正しき真理のはたらきが現れてきます。
世の中の仕組みや常識、からくりや嘘に騙されない真の自由な人となる歩み。
つまり、お釈迦さまの生涯とその教えから、生きる勇気と智慧を学び、それを、自らの一大事としていく。
そして、最も大切な事は、お釈迦さまが自分勝手に仏教を作ったものではなく、真実なるものの、その言葉に、お釈迦さまが響かれた点であり、道元禅師が、すき放題に禅を説かれたのではなく、真実なるものの、その在り様に、道元禅師が応えられ点であります。
だからこそ、私たちもまた、お釈迦さまや道元禅師が手を合わせたものを、拝む歩みをしなければいけないなと思うのです。
なぜなら、それが、私たちの「いま・ここ」の心の在り様を豊かにし、ひいては、生まれてきて本当に良かったと思えるものに気づく、出会う契機となるはずだからです。
私の参禅のお師匠様が、常に言っておりました、
「生きて今あるは、この事にあわんがためなり」
「生きて今あるは、この事にあわんがためなり」
一大事は、決して遠くにあるのではない。そう、「いま・ここ」にある。
生まれてきて本当に良かったと言える人生の歩みを、共にいたしましょう。
MEMO
1、後生の一大事 蓮如 『御文』
2、吾れ世の人と云ふに、一日暮らしといふを工夫せしより、
精神すこやかにして、又養生の要を得たり。
如何ほどの苦しみにても、一日と思へば堪へ易し。
楽しみも亦、一日と思へば耽ることあるまじ。
一日一日と思へば、退屈はあるまじ。
一日一日をつとむれば、百年千年もつとめやすし。
一大事と申すは、今日只今の心なり。 正受老人
3、一大事因縁 法華経方便品
4、一大事とは、佛知見なり。佛知見とは、汝自心なり。六祖
『法華転法華』
5、正信への契機
平成20年度布教師養成所 テーマ 修証義総序
私的所感
1、宗教の話しをしよう 人情話は・・・
2、暗い話しよりも明るい話題
3、一人称の業と二人称・三人称の業
4、知りたいのは、ここにいる理由・うまれてきた意味
5、何を説くのか?どこを目指すのか?
※盛田老師
1、先祖供養の理由 日本語 年中行事
※藤田老師
1、早口は、不親切な法話 伝えたいという思いが流れてしまう
2、間の取り方 話しの強弱
D.S.
Posted at 01:23h, 10 6月SECRET: 0
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一大事・・・ですね。
重い言葉です。
私は『修證義』総序をあまりにも軽く唱えていました。
cyonam
Posted at 12:26h, 10 6月SECRET: 0
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私は自分の体験や考えから、供養の大切さというものを最近特に身に染みて感じております。
ご先祖様、また、あらゆる生きとし生けたもの達への供養の気持ちこそが、人のこころを育てる根本となる気がしています。
どうか、この大切な古からの智慧が希薄になってしまわぬよう願うばかりです。
ただまだ私も若いですし、人になかなかこういう事を言える立場でもないですし、たまに友人と大切な話になった時にするくらいで…。
宗派関係なく、和尚様方に今後の日本の心の荒廃を立て直して下さる事を期待したいのです。
きよみ
Posted at 15:11h, 10 6月SECRET: 0
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「一大事」って「面倒なことや困ったことが起こってしまうこと」だと思っていました。 でもそうではないんですね。
当たり前なことって実は当たり前ではないんですよね。 自分や家族が元気で過ごせること、毎日ごはんが食べられること、仕事に行き給料日にはお金が入ってくること、どれも、あって当たり前のように錯覚してしまって、ともすれば不満さえ口にしてしまう。
「一大事」の意味を教えていただき、今日一日、今このひと時の重さについて考えました。 感謝の気持ちを忘れないようにしたいです。
慧
Posted at 22:49h, 10 6月SECRET: 0
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2日目は、修証義の限界を考えるという演題で、自称・宗門の最左翼という人が講義してました。・・・曹洞宗の限界とも聞こえました。
慧
Posted at 23:06h, 10 6月SECRET: 0
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相対の価値と絶対の価値。
ともすれば、お金に置き換えてしまう世の中です。お金がないから供養ができない、と。
私自身、衆生縁が深くなる事を念じております。
慧
Posted at 23:13h, 10 6月SECRET: 0
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一大事は、消極的な現状肯定ではなく、積極的な改革革新の歩みでもあります。
また、帰国が決まれば、お知らせください。
大閑道人
Posted at 15:03h, 11 6月SECRET: 1
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一体誰ですか?
気になるナァ~
講演の内容も、気になるナァ~。
やがて、遊行会から冊子が送ってくると思いますので、待ちますが。
「曹洞宗の限界」
どういう意味でしょう、何を意味しているのでしょう。
曹洞宗は、道元禅師が山奥へ引っ込んだ時点で、限界を設けました。「一般布教戦略を重視しない」という限界を。
出家主義、といわれるものです。
瑩山禅師は、その限界を緩めました。でも、明治以降、今に至るまで、曹洞宗の限界を自覚した人は、殆どいないのではないか、と思います。
自覚できないから、限界なのでしょう。
自覚したら、解決すべき課題、となりましょう。
ひろみつ
Posted at 23:03h, 12 6月SECRET: 0
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一大事には、そんな意味があったんですね。
当り前だと思っていることは実は当たり前ではない。考えれば当たり前のことなど僕らの周囲には、そうざらにはないのかもしれませんね。
アンケートの結果は僕もテレビのニュースか何かで見ました。宗教を信仰する人は減っているけど昨今ブームのスピリチュアルは信じる人が増えているそうですね。
「生きて今あるは」いまの僕にはとてもリアルな言葉です。
子のない親はいても親のない子はいませんものね。
僕らは、やはり生かされているんだなと思います。
慧
Posted at 09:04h, 13 6月SECRET: 0
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>子のない親はいても親のない子はいませんものね
親不孝の私が言うのも憚れますが・・・その通りです。
一歩、一歩、一大事への気付きの歩みを。
taturo
Posted at 00:16h, 14 6月SECRET: 0
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「先祖を敬う気持ちを持っている人が94パーセント」
たしかに、ご先祖様がおられたから、今の自分が存在します。自分から20代さかのぼれば、100万人のご先祖様がおられることになります。もし、この100万人の内、一人でも欠けていたら、今の自分は存在しない。そう考えたら、いまここに、自分が生きていること自体が一大事。生きていること自体にに感謝です。
shima
Posted at 21:37h, 16 6月SECRET: 0
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はじめまして。少し前から拝読してます。深く思索され修養されてる方だと思ってます。
仏教というのは、死者のためのものでなく今ここで生きてる者の為の哲学なのだなぁと、あらためて感じました。最近は、仏教関係の本ばかり読んで、教えに近づこうと思うのですが、理解と実感は別のようでもあります。
(数冊の本で煩悩が消せるわけ無いですネ)
でも、離れなければいつか気付くこともあるのではと思ってます。本当に生きてるという事、一大事という事、意識し続けようと思います。
エイミ
Posted at 05:41h, 17 6月SECRET: 0
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またまた気が引き締まる思いです。退屈な毎日、そして特に変わりのない毎日をすごしながら、心の中では何か未来を考えてみたり、過去の楽しかったことを考えてみたりの最近でした。”いまここ”をいつも考え、生活していくことが大切なんだと改めて思います。
慧
Posted at 10:29h, 18 6月SECRET: 0
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コメントありがとう。
正信への契機を狙いにして話したものです。
それぞれに響いてくれて、嬉しく思います。
最近、パソコンの具合が悪くて、悪戦苦闘しております。
僧侶
Posted at 23:42h, 21 6月SECRET: 0
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人間とは何か?
私や自分と呼ぶものは何か?
人間の役割は?
何故、僧侶は経を読むのですか?
神様と仏様の違いが、わかりますか?
人間が出来ないことは何ですか?
何故人間は病気になるのですか?
真の僧侶ならば
答えを下さい。
大閑道人
Posted at 21:58h, 22 6月SECRET: 0
PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
>答えを下さい
問処は答処なり。
真の僧侶ならば、答ではなくて、問題を与えるだろう。
教えるのならば、問題の立て方だろう。