1月 19日 プロ
武蔵野大学で開催されたシンポジュウム『葬儀を考える』に行きました。
パネリストは、浄土真宗のご僧侶お二人と、葬祭関係の専門学校の講師の方、そして、碑文谷先生でした。
残念ながら、深い議論には、至りませんでした。
しかしながら、ひとつ、気になる言葉がありました。
それは、専門学校の講師の方の発言でした。
「葬儀社は葬儀のプロです。専門学校の講師は、講師のプロです。
では、僧侶の方は、いったい、何のプロなんでしょうか?
私は、長い間、葬祭に関わる仕事をしてきましたが、僧侶が何のプロなのか、未だにわかりません」
・・・さてさて、僧侶は何のプロなのでしょうか?
ひとまず、葬儀という場に限定すれば、僧侶の役割は導師です。
至心に懺悔の文を唱え、法性の水を濯ぎ、菩薩の大戒を授け、引導を渡す。
〔浄土真宗では、引導を渡さないそうです〕
かつては、人天の大導師という言葉もありましたが・・・
お布施の多寡で、葬家への対応が変わり、開式の時間に遅れ、お経を間違え、戒名は誤字、で、威張り散らすようでは・・・葬儀の場から、僧侶が締め出される日も、遠くはないでしょう。
もちろん、葬式法事ばかりが、僧侶の「仕事」ではないはずですが。
「じゃあ、お前は、何のプロなのか?」
私は、布教伝道のプロでありたい、と答えます。
・・・まだまだ、道の茫々たる感は否めませんが、この学びが、この体験が、この出会いが、この今が、布教伝道のためにあると信じております。
葬儀も、大切な布教伝道の場。
MEMO
碑文谷先生の指摘
コンセンサスの崩壊⇒多様化⇒人の死の受け入れ方のわからない時代の到来⇒遺族の孤立化
ミエール
Posted at 20:47h, 19 1月SECRET: 0
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癒しですかね。
おじいちゃんが亡くなったとき、お坊さんがきてくれてなんだかホッとしましたよ。プロだなーと子供ながらに思いました。いつもと変わらないその落ちつきが私たちのバタバタを癒してくれました。
どうでしょう?
koumei
Posted at 21:53h, 19 1月SECRET: 0
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葬儀屋の僕から『プロ』というカテゴリーに
あてはまらないと思います。
勝手に枠に入れないでほしいものですよね
『何のプロですか?』って答えのないものを
いくら考えてもこたえがでるはずがない。
『まぁなんのプロかは知らないし、考えたこともないし、そういうものさしではかるものでもないですよ』と講師に言いたい!!
*碑文谷さんの指摘、メモとりました(お許しを)
白蓮華
Posted at 01:56h, 20 1月SECRET: 0
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私の知っている 声の素敵な
僧侶さんは 初七日や四十九日の
意味を教えてくださり・・・
座禅を 初めてした
建長寺の 僧侶さんは
「辛い事は 私達がやりますから
あなたは ただ無になることだけをすれば良いのですよ。 すぐに慣れます。」と
初心者の私に 優しくおっしゃってくださいました。
おふたりとも 若い方でしたが
とても 勉強になったし ほっとしました。
子供が 先生を慕うような
そんな気持ち・・・
そう思わせる事が 「プロ」なんでしょうね
法慧
Posted at 06:42h, 20 1月SECRET: 0
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癒し・・・ですか。
こんな視点もあるんだな、と気付かせていただきました。ありがとうございます。
法慧
Posted at 06:46h, 20 1月SECRET: 0
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講師の発した「プロ」の意味するところは、おそらく、熟練された状況ではなく、専門や責任であると思います。
あなたの専門は何ですか?その仕事に責任を持ってますか?・・・この問いを立てなければならないくらい、彼にとって、現状はひどいものであったのでしょう。
法慧
Posted at 06:51h, 20 1月SECRET: 0
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私も若い方ですが・・・
>子供が 先生を慕うような
>そんな気持ち・・・
このイメージを、しっかり、覚えておきます。ありがとうございます。
petite aya
Posted at 07:57h, 20 1月SECRET: 0
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>僧侶は何のプロ?
似たような問いを、私もしたことがあります。
信仰心ってものが薄れていく現代の世の中で頼られているのは、精神科医。
では、信仰心といか宗教というものが身近にあった昔は?
僧侶???
宗教という精神科っと、僧侶という精神科医?
宗教問わずに、僧侶さんや神父さんがお説教やミサでの、民に教えを説くことで、自己を見詰る内観などが出来ていたのではないか?
っと、自問自答したことがありましたッ。
それって、法慧さんの言う布教伝道なんでしょうね。
ちょっと、一人でスッキリしてしまいました。ありがとうございました!
remains
Posted at 18:52h, 20 1月SECRET: 0
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人(や仕事)を経済観念(プロとかアマとか)だけでくくろうとするから、矛盾が出てくるのではないでしょうか。
また道を極めんとする人間はプロもアマも無いかと。
仕事として敢えて言うならば、人の心のプロであって欲しいと思います。
ぽあん
Posted at 23:39h, 20 1月SECRET: 0
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「僧侶」でも、生臭いな~と尊敬できない人は多いですが、
希望としては、人間としてのお手本であって欲しいと思ってます。
世俗のしがらみを言い訳にできない環境に自分を追い込めないなと私は思うので。
法慧
Posted at 07:23h, 21 1月SECRET: 0
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精神科医ですか。
お釈迦様も、自らを医者に譬えておられます。佛法の薬を飲むか、飲まないかは、医者の咎ではない。患者さん次第だって。
法慧
Posted at 07:25h, 21 1月SECRET: 0
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人の心のプロ、とは、難題ですね。
まず、己が心のプロにならなくては・・・
法慧
Posted at 07:32h, 21 1月SECRET: 0
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残念ながら、私も生臭さの中に、どっぷり、浸かっております。人間のお手本とは、ほど遠い有様です。・・・ごめんなさい。
日々、娑婆世界、この中に咲く蓮華を、見つめております。
大閑道人
Posted at 18:53h, 22 1月SECRET: 0
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葬儀の段取りのプロ。準備のプロ。
葬儀と告別式を区別しなければなりません。
葬儀社の社員が「プロ」と認識している場面は、告別式の運営なのです。
告別式にしろ葬儀にしろ、葬儀社がプロとしての主役になるはずはありません。
葬儀とは、故人をしてみ仏の弟子として(授戒)み仏のお膝元に送り出す(引導)ことをいうのだから、和尚なしに葬儀は成立しない。だから、会葬者は必要がない。会葬者がいなくても、葬儀はできる。
そもそも、会葬者という表現は正確ではない。これは、弔問者なのである。
葬儀の主宰者は、和尚である。
逆に、告別式には聖職者は必要ではない。
告別式の主催者は、喪主・喪家であり、会葬者=弔問者のいない告別式は、ありえない。
そもそも、現代アメリカで仏教が非常に流行っているらしいのだが、それは心理学の一派として受容されている、との子と。
湯浅泰雄によれば、東洋の抽象学は、西洋のそれと比して、(形而上学ならぬ)心而上学というべき性格のものらしい。
仏教とは、心理学であり、かつ、心理構造の改造手段でもある(唯識・三性説)。
ボス
Posted at 19:00h, 22 1月SECRET: 0
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私はよくS社長と話をするときに葬儀屋はご遺族を癒すことなんかできないと言います。
そんなおこがましい。お手伝いをさせてもらっているだけで、気持ちを癒しているのはご自分の力だと思います。それは僧侶にも言えることではないかと思っています。
葬儀屋は何のプロ?「葬儀のプロ」とはいえないですね。葬儀を進行する、色々な手続きなどをよく知っている、ある程度の宗教知識がある、・・・。これってプロなのでしょうか。勿論専門業者としての意識はありますが。
私は自らはサービスのプロを目指しています。こんなとき何をしたらより良いか。常に「気づく」ということを意識して仕事に取り組んでいます。
tenjin95
Posted at 10:12h, 23 1月SECRET: 0
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> 管理人様
失礼いたします。
この問題、おそらく何かの技術に還元したり、或いは教えというようなものに還元したりは出来ないと思います。強いていえば「生き方」かとも思われますが、これもまた非常に曖昧で、回答を出しているとはいえません。
この問題、当方でもかつて論じたことでありますので、アドレスを貼っておきます。お時間のおありになるときにでもご覧いただければ幸いです。
http://blog.goo.ne.jp/tenjin95/e/b674696380629fb1197fa8a2e68a78bd
法慧
Posted at 06:43h, 24 1月SECRET: 0
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かつて宗門が作成した『葬送の儀』という敬白文のなかに、「厳修供養その因縁を尊ぶ」とあります。葬儀・告別式においても、その因縁を尊ぶ事によって、ご縁が現れてくると思っております。
法慧
Posted at 06:47h, 24 1月SECRET: 0
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サービスのプロですか。僧侶もサービス業に分類されてます。
己が仕事に誇りがあれば、きっと、その仕事は自ずと洗練された上質なものとなるでしょう。
法慧
Posted at 06:55h, 24 1月SECRET: 0
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ひとつの問いに、若い頃は、ひとつの答えを求めておりました。
しかし、今は、問いを答えのないまま、持ち続ける術もあるという事を知っております。
苦しくとも、問いを持ち続けるのが答えだ、と。
ぽあん
Posted at 01:21h, 25 1月SECRET: 0
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>苦しくとも、問いを持ち続けるのが答えだ
同感です。
浅い見識しか持ち合わせておりませんが、この部分、いたく感じ入りました。
鈴木晴之
Posted at 16:53h, 25 1月SECRET: 0
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プロという言葉の定義が難しいかもしれません
私は葬儀屋のプロなのだろうか?という自らへの問いは心に痛みを伴うのは事実です。
プロってなんなんでしょうね?葬儀にプロっているんでしょうかね?
私にとって僧侶は、何かのプロというよりも、如何に生きるべきかを問い続ける存在であってほしいです。
そして時たま、悩んでいる人がいればヒントをくれる存在であって頂ければと思います。
更に私個人の考え方では、生きる事に携わってきた結果として死・葬儀に携わるのは良いのですが、葬儀だけに携わるのは、もうお終いにした方がいいのではないかと思います、お墓も同様ではないでしょうか?
生意気な事を言ってすいませんm(_ _)m
諏訪勇雄
Posted at 16:53h, 25 1月SECRET: 0
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お久しぶりです。
お元気でご活躍されておられるように読ませていただいています。
「プロ」についてのお話し・・・
私なりにですが考えさせられました。
どの世界でもその物事から逃げず追求しようと鍛錬を繰り返せる人物に私はプロの姿勢を感じました。生意気申してすみません。
また近くにお越しの際には是非お立ち寄りくださいませ。
はしだくまお
Posted at 22:10h, 25 1月SECRET: 0
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「プロ」という言葉に凄く心を惹かれました。自分も葬儀の一部に携わる人間。花で飾るという分野においては自分なりにその現場に携わる瞬間瞬間、「プロ意識」というものを毎回考えながら故人の旅立ちのお飾りをしているつもりでした。でも、改めて自分の今を問い直してみると、そこには「慣れ」というものも同時に存在していることに気付かされます。
毎回新鮮に生前の故人を自分なりにイメージしてお飾りをしている気持ちには変わりありませんが、"仕事"という要因も加味してくると100%気持ちが向けていないようで、まだまだ未熟な自分だと反省させられました。
中村
Posted at 23:38h, 25 1月SECRET: 0
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失礼します。
あまりにも、「プロ」に固執しすぎる葬儀社業界・・・
現代の葬儀社は「プロ」意識を持ち過ぎるために本当に大切な何かを置き去りにしている気がします。
葬儀業界内の多くの葬儀社は、「プロ」=「高価な葬儀」を施工できるとしか考えてない気がします。
私は、葬儀はあくまでも故人のものであるとおもいます。
また、葬儀社が後世につなげるていくことは全国統一の葬儀基準を押し付けるのではなく、地方地域に伝わってきた葬儀形態や形式(人を送る心)の習慣・慣習・を伝えていくことだとおもいます。
それに関わる宗教者様は、各宗教の教えや歴史などを後世につなげていくことだとおもいます。
葬儀という儀式を手伝う人々が、「愛・文化・歴史」を伝道できる「プロ」であって欲しいです。
生意気なことをかいてすいません。
法慧
Posted at 16:43h, 26 1月SECRET: 0
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貴女のブログ、楽しみに拝読しております。
深い洞察、思索を積み重ねた意見、そして、日々出来事の捉え方・・・とてもいい刺激をいただいております。ありがとう。
法慧
Posted at 16:48h, 26 1月SECRET: 0
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最近、水上勉の『破鞋 雪門玄松の生涯』を読みました。こんな生き方もいいな、と感じております。
尚、碑文谷先生のブログにも、このシンポジュウムでの発言が取り上げられております。ご覧ください。
法慧
Posted at 16:50h, 26 1月SECRET: 0
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物事から逃げず追求しようと鍛錬を繰り返せる人物・・・そうでよすね。日々鍛錬ですね。
関内に行くときは、また、寄らせていただきます。
法慧
Posted at 16:53h, 26 1月SECRET: 0
PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
厳しくありたいですね、自分にも。
ところで、なすかぶさんは、なかなか再開しませんね。昨年末には、喜び事があり、ますますお元気のご様子ですよ。
法慧
Posted at 16:55h, 26 1月SECRET: 0
PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
あまり葬儀業界の事は詳しくないので、現状に対する意見は差し控えますが、おそらく、大きく変貌を遂げていく事になると思っております。
レラ
Posted at 20:50h, 26 1月SECRET: 0
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「宗教は答ではない、問いだ」とある仏教者が言っていました。
ほんとうにそうだと思います。分った、と思ってもすぐに覆されます。その繰り返しのうちに何か分ってくるのかなと。
ですからお坊さんは癒してくれる存在ではなく、共に問い、時に答えてくれる、一歩先に行く方だと思っています。
法慧
Posted at 21:13h, 26 1月SECRET: 0
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一歩先にいくようなご僧侶と巡りあえたら、素敵ですね。私は・・・時代遅れの大きく取り残された坊主ですが、宗教は問いでも答えでもなく、実践だと思っております。
はしだくまお
Posted at 23:16h, 31 1月SECRET: 0
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うちにも受注で高価な生花の祭壇の依頼が入ってまいります。私個人的には故人の生い立ちから亡くなられた経緯等々を踏まえた上で故人に合ったお飾りを心がけております。ただ、当の葬儀社というものはどうしても受注金額の加減で実績が左右されるとか。
あくまで故人主体の儀式なのにそうした風潮は「会社組織」の考えですよね。
もっと故人・残された家族の意向に沿えるお仕事に取り組んで生きたいと思います。