大童法慧 | 親
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
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3月 31日

40歳も半ばを過ぎると、友人からの結婚式の招待状はほとんど届かなくなります。
たまに二度目や三度目の案内を受け取ることもありますが、祝い事へのお呼ばれよりも、喪服を着る機会の方が増えてくるものです。
そして現実に、親の介護や親の葬儀というものに直面する世代となります。
「親孝行、したい時には親はなし」
この言葉を聞いて、御両親とお別れされた人ならば、「ああ、なるほどな」と感じるでしょう。
その悲しみが最近のものであるならば、涙でもってこの言葉を噛みしめることでしょう。
生意気盛りの頃、「自由に生きたい」と親に言ったことがあります。
息の詰まるような閉塞感を感じ、「早く出ていきたい」と思ったこともあります。
いつもの朝、見慣れた食卓、自分の部屋、親の顔。
でも、そこは、実はなにもかも満たされていた場所でした。
私の手元に、湛玄老師と祖潤先生、両親と私の5人が並んでいる写真があります。
得度式の後、撮影したものです。
平成9年2月8日、湛玄老師に、私は頭を剃っていただきました。
徳山から駆けつけた両親は、我が子が出家するという現実をどのように受け止めたのでしょうか。
得度式が終わり、小浜駅で見送る私に母が言いました。
「あんたの択んだ道じゃけん、自分が本当に納得するまでやりんさい。家のことは、心配せんでええから」
数日後、赫照軒にお参りに行った際、祖潤先生が噛んで含めるように示されました。
「法慧さん、親ほどありがたいものはないよ。
親ほどあなたのことを想ってくれる人はいない。あなたが迷っていた間、御両親はあなた以上に悩んでいたはずだ。
けれども、じっと待っていてくれた。それを決して忘れてはいけない。
出家は家を出るといいますが、親との縁が切れたのではありません。
毎朝、毎晩、親のために手を合わせる心を忘れてはなりません。
そのことによって、また、親との新たなご縁が生まれるのです。
親孝行とは、親に心配をかけないことです。
まっとうに生きてほしいとそれを願うのが親だ
人柄な人に育ててくれたご両親を拝みなさい。なによりの財産だ」
「親孝行、したい時には親はなし」
旅行や食事に連れて行ってあげたり、お小遣いをあげたりすることも大切だけど、親孝行とは親に心配をかけないことでしょう。
それぞれに事情も仕事も家庭もあり、共に住むのは困難かもしれませんが、離れていないと実感できる時を多く共有したいものです。


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