12月 23日 人形供養会 法話
少しばかりお時間をいただきお話をさせていただきます。
申し遅れましたが、私は曹洞宗の僧侶で法慧と申します。
お寺は福島県の郡山市にございまして、現在は川崎の溝の口で別院という形で坐禅や法話などの布教活動をしておりますが、昨今、ITというのでしょうか、あらたな世界がさらに広がりまして。私も仏さまのみ教えを一人でも多くの方に伝えたいと願いまして、最近ブログをはじめております。
残念ながら、見た目の若さと反比例して、かなりアナログな人間ですので、難しい事はさっぱりよくわかりませんが、そのご縁で、本日皆様方の人形供養を勤めさせいていただくことになりました。
これも、仏さまのお導きであると思うところでございます。
曹洞宗にはご本山がふたつありまして、ひとつは、曹洞宗の教えを遠く中国で学び、お伝えになられた道元禅師が開かれました福井の永平寺です。ご存知でしょうか。
今年の夏には台風で樹が倒れ、中雀門を壊してしまったというニュースがございましたが、私はここで修行をさせていただきました。
もうひとつは横浜の鶴見にある總持寺。これは石原裕次郎さんのお墓があるお寺と申したほうがわかりやすいかもしれませんね。
さて、總持寺をお開きになられた方を瑩山禅師と申します。
あるとき、時の天皇であられた後醍醐天皇から、瑩山禅師にこのような質問がありました。
「人は亡き父母のために、お霊膳をお供えしたり、お茶を献じたりするけれども、すこしも減らない。それでも、これが本当に供養になっているのだろうか」
実際そうですよね。
朝、お仏壇にお供えしたものが、夕方には全部無くなっている、かというとそうではありません。
もし、無くなっていたら、それこそたいへんです。
猫が食べたか泥棒に入られたか、ということになります。
瑩山禅師は、こうお答えになられました。
「梅の花の香りは、垣根をへだてても匂うけれども、花にも私にも何も変化はありません」
みなさんはお分かりになりましたか。
供養といいますと、お経を上げたりお香をたいたり、お花を献じたり、いろいろな行為がございます。
しかし、やはりその根本になるのは、感謝のこころではないかと思います。
では、感謝の心とは何か。
それは、解り易く言えば、つまり相手が喜ぶ事をしてあげること、でしょう。
供養とは、感謝の心、相手が喜ぶ事をしてあげること。
このたびの人形供養会に、このようにたくさんお人形が集まりました。
私は、男兄弟しかおりませんので、小さい頃、ロボットなどのおもちゃでは遊びましたけれども、人形遊びということはあまりしませんでした。ですから、人形という物を気にかけることなどなかったのですが、こうしてみますと、本当に様々な人形があるのですね。
そして、この人形ひとつひとつには、皆さま方それぞれの、かけがえのない思い、というものがぎっしりとつまっているのでしょうね。ご供養の際に、その思い出一つ一つが、皆さまのお心の中に次々と湧き出していらっしゃっていたのだろう思います。
さきほど、人形供養のご法要は無事に円成いたしました。
円成とは、まどかになるというと書きます。円満成就という意味でございます。
皆さま方、そして、それぞれの人形たちのこころが安らかになられることを願いながら、ご法要を勤めさせていただきました。
聞くところによりますと、人形という人の形をしたものや、特定のかたの思いがつまった物をむげにぽいと捨てるのは、思いが込められているだけに、罰が当たるだとか、あとでたたられる、とか言う人もいるようです。
しかし、はっきり申し上げておきますが、
たたられるとか罰が当たるということは絶対にございません。
じゃあ、罰が当たるとか、たたりがあるという事ではないなら、供養などせずに捨てればよかったのかといいますと、そうではありません。
皆さま方はそうしなかったし、できなかった。
そう、何事もより丁寧な、より親切な、より思いやりの方法があるのだということでございます。
いままで、長い間、おてもとにあった人形、大切にしてきた人形にたいして、お世話になったという感謝の心を持ちえたからこそ、皆さまはこうして、ここにいらっしゃった。
この人形たちにとって、最後に、一番喜ぶ事をしてあげようと思われたとき、それは、ぽいと捨てるのではなく、このような形でお別れをすることを選ばれた、と私は思っております。
お別れにあたって、人形の一番喜ぶことをしてあげたいという、そのお気持ち。
そのお気持ちこそが、本当に、尊いと思うのです。
今の日本という国は、目に見える世界だけを相手にしているような気がしてなりません。
利益のないことを無駄な事、として切り捨てる事が多いですね。
実感できる事だけが真実であり、実証できるものだけが正しい世界。
人生というものを、勝ち組負け組みとわけ、結局は、お金があるかないかだけで人の一生を計る風潮があるようでございます。
いま世間でいうところの耐震強度偽装問題、あれも、結局は私利私欲によって起こりました。最後は見苦しい責任のなすりあいになってしまいました。
人をだましてまで自分がいい思いをする、人をたぶらかしてまでお金が大事。
そこに、仕事をさせていただいている、という感謝とか、住む方の一番喜ぶものをつくりたいという願い、相手が一番喜ぶ事をしてあげたいという思いは、そこにはなかったのか、と思うのです。
先日、ラジオでこんな話を聴きました。
給食の時間、手を合わせていただきます、ということについて、保護者の方からクレームがついたそうです。
なぜ、いただきます、をいわなければならないのか、というんですね。
私の家は、給食費を払っている、だから、誰かにその食事をおごってもらっている、めぐんでもらっているのではなく、それ相当の対価を払っているわけだから、「いただきます」ということはないのだ、ということだそうです。
また、うちの子には、掃除なんかさせないでくれ、と学校の先生に言う親もいたそうです。
なぜなら、この子は将来、自分が掃除などせずに生きていける身分になるのだから、だそうですよ。
この親の話す事を、おそらく、その子供たちは聞いているでしょう。
本当に怖ろしい事だと思います。
これらは、まったく自分中心の世界観なのですね。
今流行の言葉で言えば「じこちゅー」というのでしょうか。
自分さえよければよい、そこには相手のことなど全くありません。
まして、相手の喜ぶことをしてあげたいという気持ち、感謝の心などまったくない世界です。
今日のご供養において、観音経をという観音さまのお経を読誦させていただきました。
物言わぬ人形たちが、時に皆様を勇気付け、元気づけ、時に叱り、支え、そして守ってくれた。
その人形たちは、みなさまにとりまして、まさに観音さまのような存在であったのではなかったでしょうか。
観音とは、漢字をみれば音を観ると書きます。音は聞くものではないかと思われることと思いますが、音にならない声を感じる、受け止めるのです。その心の、音にならない叫びも聞きつけ、いつでも、どんなときでもわたしたちを助けてくださる仏さまなのです。
そして、一番大切な事。
それは、観音さまとは実はみなさん自分自身であるという事です。
その事にこそ気付いてください、と説かれてあります。
それは、どういうことでしょう。
ただ、相手を慈しみ思いやる心。
相手を思いやる、というのも、これは実際にたいへん難しいことです。
相手の事を思ってしたつもりの行為が、実は、相手にとっては迷惑だったり、喜ばせようと思った行為が、逆に、怒らせる結果になってしまったり・・・。
しかし、もう一度、喜んでくれないと、怒ったり悲しんだりする前に、思い返していただきたい。
その時、私は、本当にその人を思っていたか、と。
香りたつ梅の花も、それをかいだ私にも、一方がへって一方がふえるとか、お返しに何かを求めるとか、そういうことはありません。
ただ、梅の花は自然に香り、その香に癒される私たちがいるだけ。
俺がしてやったから礼を言え、私がしてあげたから感謝してという取引の世界の話ではありません。
私と相手、お金や名誉やそういう世間的なへだたりがない世界。
大きな大きなひとつの世界。
供養とは、感謝のこころ、それは相手が喜ぶことをしてあげること。
実は気付いていないのだけれども、本当のところ、へだたりのない仏の世界では、私たちは常に供養し通しの、また、私たちが供養され通しなのですね。
そのへだたりのない世界をつくるヒントはなんなのか と申しますと、
それは、いま・ここを大切にするということだと思うのです。
いま・ここ。
いま・ここを大切にする。
あなた自身の、そして、相手のいま・ここを大切にする。
人形のご供養にちなんでお話をさせていただきました。
どうか、皆さまの、相手を思いやるというそのお心を大切に、いま・ここをしっかりとお過ごしいただきたいと存じます。
どうぞ、お大切に。
choro
Posted at 22:09h, 24 12月SECRET: 0
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大きな大きなひとつの世界。
いま・ここを大切にする。
いいお話を
ありがとうございます。
そら
Posted at 23:28h, 24 12月SECRET: 0
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とても勉強になりました。
いま・ここ 大切にします。
nasukabu
Posted at 19:46h, 25 12月SECRET: 0
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私も毎朝、仏壇にお膳とお茶をお供えしております。
ご先祖様のお陰で私達が「いま・ここ」で生きているという現実、改めて感じました。
明日からまた新たな「感謝」の気持ちを込めてお供えしたいと思います。
法慧
Posted at 22:15h, 25 12月SECRET: 0
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良いお年を。
法慧
Posted at 22:16h, 25 12月SECRET: 0
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そのうち会えたらいいですね。
法慧
Posted at 22:19h, 25 12月SECRET: 0
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ご先祖とは何か?
ほろほろと 鳴く山鳥の 声聞かば
父かとぞ思う 母かとぞ思う
行基
桃麗
Posted at 16:44h, 26 12月SECRET: 0
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お人形供養のご法要お疲れ様でした。
お疲れ様と云っても良いのかわかりませんが・・・・。ハハハ。
こちら今日も寒いデス。。。
明後日には郡山ですか。。。。
あぁ、覚悟して下さいませね。。。
今現在でもマイナス3度の気温でございます。(一応おどかしておきます♪)
今年度は、ITのお陰様、ご先祖様のお導きにより、法慧さんという素敵なお坊様に出会う事が出来ました。
残り少ない2005年。
どうかお体ご自愛下さいますと共に、
来年度も素敵な、優しい法話、楽しみにしておりま~す♪
良いお年をお迎え下さい♪
佐藤 惣一
Posted at 18:32h, 26 12月SECRET: 1
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ブログを拝見致しました。昨今、忙しいことがいいことのように受取られることもあり、忙しさの中に身をおくことで気分的に落ち着くこともあります。ですが、「忙しい」という字は、まさに「心がない」ということであり、思考はフル稼働しているのでしょうけれど、自分の中、特に自分の心に対して、全く無頓着になってしまっているのかもしれません。私自身が法話を聞く機会は少なくなってしまいましたが、自分と静かに向き合ういい機会であり、時々覗きに来たいと思います。
追伸
おかげ様で、12/26(月)の朝に、2,830gの女の子が無事生まれましたので、ご報告致します。
法慧
Posted at 08:28h, 27 12月SECRET: 0
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かなり、ブルーです。
郡山に帰るふりをして、ハワイとかグアムに・・・。
除夜の鐘、三朝祈祷、お檀家さんの年始参り、お寺からお檀家さん宅へのお年始・・・等々、かなり、忙しい。
桃麗さんもお大切にね。
良いお年をご祈念申し上げます。
レストインピース
Posted at 09:21h, 27 12月SECRET: 0
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>かなり、ブルーです。
>郡山に帰るふりをして、ハワイとかグアムに・・・。
ははは。法慧さんでもそう思うんですね。
途中下車してスパリゾートハワイ(旧常磐ハワイアンセンター)でも寄られたらいいんじゃないですか?(笑)
冗談はさておき、先日の人形供養会ではお世話になりました。今年は、と言ってもつい最近ですが、法慧さんとの出会いによって、一つ新しい試みにチャレンジする事ができました。来年もよろしくお願いいたします。
年末年始のお勤め、大変そうですが、風邪など召されぬようご自愛ください。
法慧
Posted at 18:11h, 27 12月SECRET: 0
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いよいよ明日、かなりブルーです。
寝過ごして仙台かな?
年明けに、お邪魔させていただきます。
良いお年を。
うめ
Posted at 23:06h, 28 12月SECRET: 1
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法慧さん、ご無沙汰していました。
いつも、心温まるお話とても勉強になります。
法慧さんとブログでお話しするまでは、明王様如来様菩薩様の意味すら全然知りませんでした。
最近、ちょっとだけいろんな事知るようになりました。
ちょっと、法慧さんに愚痴を聞いてもらうのも申し訳ないのですが、私はキリスト様でも仏様でもありません。
でも、誰かがいつも私に愚痴を言いにやって来ます。
それは、通りすがりの人であったり、ご近所の人であったり、仕事場の仕入先業者の人であったり、電話であったりと毎日のようにいろんな人から話を聞くので今日はこれをしようと思ってる時間が全部つぶれてしまいます。 エホバの証人で布教活動されてる方でも姑さんとの仲が悪いとかお話を聞くし、
家の横を通られる方1人5分として10人通ると約1時間がつぶれてしまいます。
一日中家にいるのならいいのですが、仕事や他にする事がいっぱいあるのです。
時々、人の話を聞きすぎて嫌になってしまう時があります。
今忙しいからって思っていても中々言えません。
昨日も、1人目はお昼抜きで午前11時から3時30分まで話を聞いてました。
法慧さんはいつも悩み相談とか仏様の立場からどのようにされてるのですか?
私は聞いてあげるだけでストレス発散になるのではと思って聞いてあげるのですが泣き出されるとどうしようもないです。
結局、自分にストレスが溜まってしまいます。