大童法慧 | 初盆
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
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8月 11日 初盆

どんなに悲しくとも 体は勝手に呼吸を止めない。
どんなに空しくとも、朝になれば、また、日が昇る。
雲は流れ、季は巡る。
世界中の花や線香を買占め供えても、多くの僧侶を呼んで法要を営んでも・・・
亡くなった人は、生き返ることはない。
「もう一年になるのね。やっと、初盆。
正直な話、あの人が亡くなったとは思えない、そんな気持ちがする時もあるの。
もしかしたら、朝、目が覚めたら、隣で寝てるのでは・・・
振り返れば、テーブルに座って新聞をよんでいるのでは・・・
ひょっとしたら、携帯に電話すれば、出てくれるのでは・・・もしかしたらって、ね。」
ふたりは、二十歳を過ぎた頃に東京で出会い、惹かれ、結ばれ、共に暮らした。
ともに福井の出身だった。
お金も縁故もなかった。
でも、それ故に一生懸命、与えられた仕事をこなした。
彼は真面目で、お酒も煙草もしなかった。
趣味は、小説を書く事。明るく、いつも笑顔だった。だから、楽しかった。
子を授かった事を機に、籍をいれた。
そして、あっという間の37年。
還暦を迎えたら、新婚旅行をしようって、約束していた。
最後は、「ありがとう、ありがとう」って、手を握ってくれた。
・・・
「あのね、法慧さん。
主人は娘のところには、もう3度も、夢に現れたっていうのよ。
けど、私のところには、一度も来ないのよ。不実よねぇ。
でも、お盆だから・・・」
お盆。
キュウリの馬、ナスの牛。
馬に乗って一刻も早くこの世に帰り、牛に乗ってゆっくりあの世へ戻って行くように、と。
盆提灯を飾り、盆棚をしつらえて、亡き人を迎える。
あの世があるのか。死んだら霊となるのか。祖霊信仰。習俗。
・・・とまれ、そんな野暮を言うのはよそうじゃないか。
そうせずにはいられなかった人間の悲しさに手を合わせよう。
そうせずにはいられなかった人間の祈りに、希望をもとう。
供養の養とは、記憶を養う。つまり、忘れない事。
悲しみを生きる力に転ずる事が、何よりの供養なのだから・・・


MEMO
1、供給資養  供物を供給してこれを資養する行為
2、亡き人に供養するとは、遠き人に餉するがごとし  釈尊 『法句比喩経』
3、四事供養 衣食・飲食・臥具・湯薬
4、生身玉 やがて我等も 菰の上          一茶


10 個のコメントがあります
  • Posted at 12:45h, 11 8月 返信

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    涙ちょちょぎれそう・・・(TT)

  • D.S.
    Posted at 00:51h, 12 8月 返信

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    初盆の良いご法話を拝聴しました。
    想うところは一緒だと感じました。
    その感性が羨ましくも感じます。

  • Posted at 08:46h, 12 8月 返信

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    ちょちょぎれそうという表現に、時代を感じてしまいました。もしや・・・

  • Posted at 08:49h, 12 8月 返信

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    コメントばかりではなく、ご自身でブログを発信されてはいかがでしょうか。
    宗門でも、多くの方が書いてますよ。

  • 岳さん
    Posted at 10:34h, 12 8月 返信

    SECRET: 1
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    あなたは、いつから、一年が始まりますか? 
     日本には一年に二度、人々、そして家々の祖霊たちにとっても、盆と正月は、共に里帰りによる喜びの対照の日々でした。そのどちらも、根本は、稲の豊作や家々の安泰を祈願することを象徴として、死と再生の行事でもあり、だからこそ、一年の無事を祈り、生活の稔りを占うこととなります。 
     今、こうしてお盆の精靈棚には、食べ物を象徴として供物を捧げます。これは、人は、死して魂となっても、旺盛な食欲に支えられているものだとの気づきです。
    ……でもよく考えてみれば、これは私たち活きている人間の貪欲さであり、気がつかないけれど、心の貧しさの原点でもあります。このゆえに、お盆は、みずからじぶん自身を見つめ直す機会でもあります。
     お盆は、私たちの幸せを祈り、願う祖先たちの心痛を安らかにして、迷いの道から遠ざかることを祈り願うものでもあります。
     私たちがこのことを意識するなら、祖霊たちは私たちとともに生き続け、祖霊の心象は救われ、私たちの暮らしが実り多いものになるよう、協力してくれるでしょう。
     さて、お盆にて迎えた精霊たちに対面して、どんなことを思えばよいのか、すればよいのかと考えます。
     あの声、あの姿、あの匂い、あの年月は、私たちにとっても、この声、この姿、この匂い、この年月です。せめてこの期間だけでも、だから…………
     あの声が聞こえなくとも、話しかけたい
     あの姿が見えなくとも、食べものを供えたい
     あの匂いの代わりに、香りを届けたい
     そして、この年月の隔たりを、お花で飾りたい
     生と死があるから、花々は実を結ぼうとし
     迎えた朝は必ず夕暮れになろうとする
     せめて、今、ここに、一緒にいることを祈り、灯りをともしつづけたい。 
     そして祖霊たちの饗宴が終わろうとするとき、祖霊たちは思うでしょう。「また戻ることが出来るだろうか、また戻っても喜んで迎えてくれるだろうか、迎えられる家族や家が無事であるだろうか」と。
     そんなことを思いながら、祖霊たちの一年が始まって行くのだろうと、彼らを送りながら思いを馳せます。これは、私たちとは、生きる場所が違うということなのでしょうか。
     私たちは、いつから、一年が始まりますか? 
     祖霊たちにとっては、待続けるという行為と、離れていかなければならない自覚があるのでしょう。しかし、おおかたの私たちは、そんなことを思いも及ばず、知らずに季節が巡ってきているはずです。待つこともないし、離れる自覚もないのではないかと思います。
     そして、私たちがお盆の明ける十六日に、祖霊たちを送った後に気づいたことがあります。
     それは、祖霊たちはどこに暮らしているのだろうと。古来からの言い伝えでは、正月の神たちも、祖霊たちであることから、山や川や海で、もしかしたら、この町かも知れない。ある人は、すぐ近くにいると言い、夢の中によく出てくるとも。ある人は、思ったこともない、夢に出てきたこともないと。
     でも普段の生活の中で、位牌や遺影の視線に気づいたとき、遺品から思い出を呼びさまされたとき、遺骸が納められたお墓の前に立ったとき、ふと立ち止まって「どうしているだろうか」、「あれからもうずいぶんと時がたったものだ」と思うときがあります。そのとき、知らず相見(まみ)えているのではないかと。私の思いが彼方の世界に届けば、その思いを糧に、祖霊たちも季節を数え過ごしているでしょう。
     今年、(初めてのお盆を迎えるに当たって)、    霊位 亡くなって祭られることは、いずれは一人という偲ぶ対照から、幾度となく繰り返されて、また盆を迎えるうちに、より大きな普遍性を与えられて祖霊という段階を踏んで行くでしょう。

  • 岳さん
    Posted at 10:56h, 12 8月 返信

    SECRET: 0
    PASS: efb417f3a6ce30cfd668415ba19056a4
    人の心に届けたくて……
    しかし、その届けたものは、すべて試みとなることにもどかしさがつきまといます。
    それでも、届けたくて……。
    7月のお盆にまわったときの回向です。

  • Posted at 18:48h, 12 8月 返信

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    丁寧にありがとうございます。
    師寮寺では、8月盆です。明日は師匠とふたてに別れて、新盆参りです。
    明後日は、お檀家さんのお寺参り。
    16日の数珠くりまで、お盆の行持が続きます。

  • ひろみつ
    Posted at 21:18h, 12 8月 返信

    SECRET: 0
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    >ひょっとしたら、携帯に電話すれば、出てくれるのでは・
    この一節にドキッとしました。同じことをやってますから。出るわけないのに、ひょっとしたらとどこかで思っている自分がいるんでしょうかね。
    供養の養ってそういう意味があったんですね。・・・・そうだったのか。
    悲しみを生きる力に転化する・・・・それを心掛けていきたいと思います。いいお話を有難うございます。

  • D.S.
    Posted at 22:49h, 12 8月 返信

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    >コメントばかりではなく、ご自身でブログを発信されてはいかがでしょうか。
    法慧さんのブログはいつも参考にさせて頂いております。
    ブログの方も頑張ってみます!

  • Posted at 04:57h, 13 8月 返信

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    お母さまと、温かで穏やかな時を共有できる事をお祈りいたします。

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