12月 16日 帰らぬ人
亡くなったと知らせを受けても、まだ、信じられませんでした。
駆けつけ、横たわる姿をみても、まだ、信じられませんでした。
遠くの親族や多くの友人が来ても、まだ、信じられませんでした。
涙はでるけれど、死んだとは思えなくて・・・
悲しくて切ないけれど、また、起きてきそうで・・・
ゆっくりと目を開けて、私の名前を呼んでくれそうで・・・
もっと、そばにいて、もっと、話をしとけばよかったと、思いました。
お通夜が終わり、葬儀を終えました。
お棺に、いっぱいのお花と好きだったお酒と煙草、そして、愛用していた杖と帽子、お気に入りの写真と本、そして、私の子供の書いた手紙をいれました。
それでも、なんだか、父が死んだとは思えませんでした。
火葬場で、炉に入り、蓋がゆっくりと閉まった時、なぜだか、「帰らぬ人」という言葉が浮かびました。
その時、はじめて、身が震えるほど泣いてしまいました。
ああ、父が死んだんたと、私のお父さんが死んだんだと・・・
本当に、馬鹿な娘でした。
本当に、わがままな娘でした。・・・ごめんなさい。
お骨になった父の姿を見た時、はじめて、寂しさを感じました。
どんなに泣いても、どんなにお金を積んでも、誰に頼んでも、何をしても・・・
父は帰ってきません。
お骨を骨壷に収めた後、お話をしてくれましたね。
移り変わっていく事、無常の意味、そして、いま・ここ、と。
すごく、心に響きました。すこし、楽になりました。
また、電話させていただいてもよろしいですか?
また、はなしを聞いてください。
帰らぬ人、戻らぬ時。
だからこそ、いま・ここ。
だからこそ・・・
白蓮華
Posted at 16:52h, 16 12月SECRET: 0
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私にも 同じような経験があります。
共働きの両親の代わりに
私を5歳まで 育ててくれた 祖母です。
それまで幾度と お葬式に参列したことが
ありましたが「死んだ」という実感がなく
手を握って 寄り添って寝ました
本当に悲しいと 涙は出ないものですね…
火葬場で やっと 解ったんです
死んでしまったんだっていうこと…
祖母がなくなったのが とても
ショックでした
鈴木晴之
Posted at 17:32h, 16 12月SECRET: 0
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私は葬祭関係の仕事をしておりますので死は身近です。
でもそれは三人称の死で二人称の時に私はどうしているのかと思うと...
ボス
Posted at 21:54h, 16 12月SECRET: 1
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私のブログにいつもコメントしていただきありがとうございます。「同業者」と書いてから「あっ、そうか。葬儀社でなくても宗教者もあるか」と思いました。そう思ったとき一人の方が思いつきました。杉並区にある鈴木葬儀社、私の同業の仲間のブログに度々コメントをされている「法慧さん」。一字こそ違えもしかしたらとおもっておりました。確かめようがないと思ったら、私のブログのコメントから貴殿のブログにアクセスでき、鈴木さんのブログから同じページにアクセスでき。ということで判明しました。
実は鈴木さんのブログにたまにコメントしていました「人材ひとり」とは私のことなんですよ。。。なんか世間は狭いですね。といいますかこれは「ご縁」ですね。
どうぞ今後とも宜しくお願いいたします。
まだ貴殿のブログは全部読んでいませんがこれからじっくり拝読させて頂きます。
星 てぐじ
Posted at 22:00h, 16 12月SECRET: 0
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お葬式を終えて家族が帰宅する光景は悲しく映ります。
今まで居た人がいなくなる事、空白の大きさは経験しないと解りませんね。
最近のテレビなどでは、命を軽くあしらい、お笑いの種になり下がっています。
お葬式を終えた家族にとって、そんなシーンは黙ってやり過ごすしかない悲しい時間でしかありません。
お葬式が多くなってきた現代の進む方向。命のあり方は、人のわがままより重いことをしっかりと肝に刻みたいと思うのは私だけでしょうか?今のうちに心したいと思うのです。
ミエール
Posted at 00:08h, 17 12月SECRET: 0
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病院で働いていたとき、誰かが亡くなるのは毎日のように起こることでした。
でも、長く入院していて家族のように毎日お会いする患者さんのベットが出勤して空いているのに気づいた時のことを今でも忘れることができない。
最後の会話をいつも心に止めるようにしていました。職場では取り乱してはいけないので、帰りの車でよく泣いていたのを思い出しました。
思い出してあげることってたいせつなことなのでしょうね。生きることは忙しく、忘れてしまいそうですが、こうやって亡くなった方を思って生きていけたらと思います。
まだ生きている祖母も大切にしていきたいと思いました。
えすえ
Posted at 15:42h, 17 12月SECRET: 0
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認知症の父を在宅介護して10年、施設に入ってからも通い続けて3年近く、父の晩年13年を共に歩んできました。
ここ1年ほどは先が長くないのを感じて、今までのこと現在の父のことをブログに記録してきました。
父と接する時、ブログを書いている時、涙が込み上げてくることがありました。
父が生きている時は、このようにたまに涙することはあったのですが…。
でも、覚悟していたせいでしょうか?
父の生き様をしっかり受け止めて、志を受け継いで行きたいと思っているからでしょうか?
父が85歳で亡くなって四十九日になりますが、一切泣くことはありませんでした。
全く泣かないで父に申し訳ないと思うほど、泣くことがないのです。
泣いて感傷的になっている場合でない、父の死は重いものだから。
そんな気持ちもあります。
どこかで何かを抑えているのかもしれません。
自分でもなぜ泣くことがないのか分かりません。
24年前に母が亡くなった時は、枯れるほど泣いたのに。
けれど、父と歩んだ人生、父の人生について、そしてこれからのこと。
それはしっかりと私の胸に刻まれています。
父の志を受け継いで、前向きに今を生きて行きたいと思っています。
法慧
Posted at 05:43h, 18 12月SECRET: 0
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大切な人との死別を体験しなければ・・・
死ぬという事がわかった、とは言えないのじゃないか、と思うのです。
法慧
Posted at 05:45h, 18 12月SECRET: 0
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みんな、頭ではわかってるのでしょう。
生まれたら死ぬ、会えば別れる事を・・・
法慧
Posted at 05:47h, 18 12月SECRET: 0
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大切な人との死別から、死を学べる感性を育てなければならない、と思うのです。
法慧
Posted at 05:49h, 18 12月SECRET: 0
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供養とは、思い出す事ですね。
だからこその、お供えがあるはずです。
法慧
Posted at 05:52h, 18 12月SECRET: 0
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どうぞ、ゆっくりと、焦らずに、穏やかに。
remains
Posted at 14:30h, 18 12月SECRET: 0
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だからこそ生きる意味が問われます。
先達に恥じぬよう生かしたい。
悲しい辛い死を無駄にはしたくは無い。
全ての故人様の安寧なる事を願っています。
ごゆるりと。
tom~cho
Posted at 15:19h, 18 12月SECRET: 0
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思い出すことが供養になるのですね。
もっと思いっきりなけばよかった。
まわりで悲しむ人たちをみて、強くあらねば・・・と思い毅然と振舞いました。
しかし、今そのしわ寄せがきています。
母を想いながら自分の気持ちと素直に向き合えるようになりたいです。
法慧
Posted at 06:13h, 19 12月SECRET: 0
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生きる意味は、おのおの異なるでしょうが、常に、死と共にある事は真実のひとつですね。
法慧
Posted at 06:17h, 19 12月SECRET: 0
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お葬式は、人前で大きな声で泣いても許される場でもあるんですよ。
きっと、頑張ったんですね。
どうぞ、親しく親しく、お母様に語りかけてください。
julia
Posted at 13:02h, 28 12月SECRET: 0
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父の葬儀は昭和61年のことでした。
この世にこんな辛いことはない、と思っていました。
母は平成15年に旅立ちました。
満月の夜でした。
あれからどんなに楽しい歌でも「お月様」という言葉があると涙が溢れ、歌う事が出来ませんでした。悲しい歌はなおさらです。
もう一度話したい、母の着物に手を通し、母のコートを抱きしめては泣いていました。
なんで最後にもっと話をしなかったんだろう、「コンサートが終わったら行くから‥」約束の朝、何度電話をしても出ないまま、意識不明になり10日後に亡くなりました。
世界にたった一人残された孤児のように思いました。
息子の県立高校の終わった翌朝、「昨夜の本校生徒の死亡事故についてお話しますので体育館に集まってください。」と連絡網が回った。それが誰かわかった瞬間からの全ての時間は言葉にはできません。
知らせを聞いた息子は飛び出し、居間の扉には大きな穴が開いていました。
皆でお別れの会をして、御通夜にはなんとたくさんの子供たちが並んだことでしょう。
あんなにたくさんの15歳が泣く姿を見たことはありませんでした。息子の親友でした。
みんなに好かれたステキな子でした。
家でご飯を食べたり、車に乗って出かけたり、けんかしてお母さんと誤りに来てくれたり‥
息子は扉に穴を開けたきり‥泣きませんでした。彼のことは何も話しませんでした。
葬儀の翌日、県立の試験に落ち、悲しみの卒業式。それから1ヶ月‥息子は2階の部屋にこもったきりでした。
静かな時が流れました。1ヶ月後、息子の部屋にまた友達がやってきました。
春が音もなく訪れていました。
私は息子のお友達に送る歌を歌いました。
逝ってしまった15歳の小さな棺に歌いました。
「もう一度生まれ変わっておいで‥
もう一度生まれ変わって、そして生き続ける勇気をあげよう‥」と
その歌を彼のお母様にお届けしようと思いながら、まだ渡すことができません。
一周忌も過ぎました。
次のご命日にはお渡ししてもよいのでしょうか?この答えはまだ出ません。
全ての私の悲しみを歌に込めて封じ込めました。だから‥あの日からは泣かずに歌えるようになりました。
この世にはなんとたくさんの悲しみが満ちているのでしょう。普段は胸に秘めていることなんですが、このページを見たら封じ込めていた想いが溢れてしまいました。
私事を書きまして申し訳ありません。
法慧
Posted at 07:09h, 29 12月SECRET: 0
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丁寧に想いを綴ってくれて、ありがとう。
私も、言葉に人を変える力があると信じている一人です。