大童法慧 | 無宗教葬 
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
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3月 18日 無宗教葬 

都内葬儀社の社長さんとお話をした。
特に最近の流行は、菩提寺を持たない方の無宗教葬であるとのこと。
かつては、
戒名はいらないけれど、お経だけは読んで欲しいという方が多かった。
つまり、俗名での葬儀がされていた。
でも今は。
戒名はもちろん、意味の分からんお経もいらない。
お経よりも、故人の好きだった歌でも流した方がいい、と。
通夜や葬儀に集まって、音楽をかけて、焼香もしくは献花をする。
そして、偲ぶ会と称しての会食。
無宗教葬は自由葬ともいうらしい。
自由だから、何の制約もないから、
「自分らしい葬儀」ができるという売り。
ニーズの変化に対応する。
故郷の菩提寺との縁を断った今、
新たに都会で寺院墓地を持つよりも宗派不問の霊園が気軽でしょう、と。
生前、お寺や僧侶と縁がなかったのだから
死後に縁がなくとも困らないだろう、と。
「生き死に」に関して、宗教を求める必要がなかった人生。
案外、何よりの幸せなのかもしれない。
「無宗教。自由。自分らしさ。」
ここに、確固たる核があるのならば。


MEMO
1、 「死者をあの世に送るための宗教儀礼」の場から、「死者との別れ」の場へ
2、 長子家督相続”という因習
3、 墓地は本家の証、家の歴史という財産


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