7月 05日 自分という塊
「自分という塊なんぞ、ない」
この言葉は、私が坐禅を始めた頃、お師匠からいただいたものです。
もう20年も前になります。
その頃も、今のように太っておりまして、また、体が固かったものですから、半跏趺坐さえもままになりませんでした。
一炷40分の間に、何度も足を組み換えておりました。
足が痛い、腰が痛い、と嘆きながら、それでも、後ろ頭で天をつくような気持ちで腰骨を立て、呼吸を整えて、必死に坐っておりました。
半跏趺坐ができるようになったのは、坐禅をはじめて2年後。そして、その1年後に、ようやく、結跏趺坐で坐れるようになりました。
茶話会で、足や腰が痛くて坐禅に集中できないと、訴えられる方もいらっしゃいます。
私も全くそうでしたから、よくわかります。
特に、摂心は辛かったですね、ホント、痛くて涙がでてきました。
しかし、あえて厳しい言い方をさせていただくのなら、足が痛かろうが、腰が痛かろうが、それでも、坐り続けていくところに味わいが現れてくるのではないでしょうか。
泣きながらも、それでも坐禅を続けてこられたのは、私なりの悩みや願いがあったからです。
二十歳の頃、私は、大切な人を亡くしました。
その時、強く思いました。
「ああ、人って、本当に死んでしまうものなんだ。
だったら、なんで、人は生きなければならないのだろうか?」
若かったですね、そんな事を真剣に悩みました。
本を読みあさり、人を訪ねました。けれども、納得できなかった。
そんなときに、「こんな人のようになりたい・この人のように生きたいな」と思える曹洞宗のお坊さんに出会いました。
そして、そのお寺で坐禅をするようになりました。
幸いな事に、後々、頭を剃っていただくご縁までいただきました。
大学在学中4年間、何度も、そのお寺に参禅しておりました。
なんとかして、自分の悩みを解決したいと願い、そして、不動の自己の確立とでも言うのでしょうか、弱い自分に打ち克ちたいと考えておりました。
そんな思いで、いっぱいであった、ある日、
私は、お師匠様から「自分という塊なんぞ、ない」と言われたのです。
いや、ホント、びっくりいたしました。
なんとかして、この自分をどうにかしたいと思っていたところに、その自分がないって、言われたのですから。
きっと、まだ、機が熟していなかったんですね。
お師匠様の言葉を受け入れる事ができなかった。
「自分という固まりなんぞ、ない」と、言われた時、私はたまらず、お師匠さまの腕をつかんでしまいました。
そして、「じゃあ、これは誰の手ですか?」って、言ってしまいました。
その瞬間、私は、お師匠様に警策で打たれていました。
いかがでしょうか?
「自分という塊なんぞ、ない」という言葉、皆さんは素直に頷けますか?
最近、ご縁をいただいて3カ所で、お話をする機会がありました。
ひとつは、友人の経営する進学塾で、中学3年生の生徒さんに。
それから、年に2度お彼岸の法要で伺う、老人ホームで。
そして、弟の子供が通う保育園の4歳児クラスで。
どれも一大事をテーマにしてお話をさせていただいたのですが、話の中で、「あなたにとって、一番大事なものはなにですか」という問いかけをしました。
どうでしょう、皆さんにとって、一番大事なものは何ですか?
中学生は、自分、夢、家族、という答えが多かったです。
なかには、ませた子もいて、彼女とか、お金という答えもありました。
老人ホームでは、自分、家族、思い出の品々、お金、心という答えでした。
保育園での答えは、パパやママでした。
面白い事に、自分という答はありませんでした。
一人一人に聞いても、自分という答えは出てきませんでした。
かといって、4歳の子供に自分という意識がないわけではありません。
自分のものは主張しますし、「自分でする」と言ってきかない時もある。
察するに、この子たちにとって、自分とは、パパでありママなのではないか。
それはつまり、自分を塊として持たないからこそ、パパやママを一番大事だと言うことができるのではないか。
私たちの出発点は、ここであったはずです。
私たちは、本当は、パパやママだけでなく、この世界そのものを自分としていたはずであります。
しかし、気づかぬうちに、自分という塊にがんじがらめとなり、自分に苦しんでいる。
坐禅をしていた自分、悩みの解決を願っていた自分、自己の確立を求める自分。
正座の痛さに脂汗を流す自分。お腹が減って眠れない自分。もうだめだと泣いた自分。
あの時の私は、自分を作る事に一生懸命でした。
なんと多くの自分という塊を作り出し、執着し、隔たりを生み、比較し、結果、もだえ苦しんでいたことか。
私が禅の世界に飛び込んで、僧侶として、今あるのは、あの時、お師匠様に警策で打たれたおかげでもあります。
真剣に坐る道があることを、そして、自分という塊に執着しない心を実践し、体現していく道もある事をわからせていただきました。
坐蒲にどっかりと坐り、身を整えて、法界定印を組む。
「自分という塊」に執着することなく、頭であれこれと考えることなく、丹田で呼吸を整える。
堂々と、悠々と坐り抜く。
そこに、この世界をわがいのちとするはたらきが現れてくるでしょう。
さあ、もう一炷、坐りましょう。
MEMO
1、対象参禅者 稟命二等
※増田老師
1.語る姿にすべて現れている。 聞法者はすぐに見抜いてしまう。
ひろみつ
Posted at 19:14h, 05 7月SECRET: 0
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ちょっと意外でした。
慧さんは太ってらっしゃったのですか。何となく細身の鋭いイメージを持っていました(笑)
「自分という塊なんぞない」・・・・味わい深いというか、毎日の生活を懸命に生きていく中で自ずとわかることなんでしょうかね?
でも、強い味方になってくれそうな言葉だなと思いました。
般若心経に「色即是空、空即是色」ってありますが「あるものがない ないものがある」という意味だと聞いたことがあります。
苦しい時、辛い時でも、自分はいないと思ってしまえば、その苦しみはないのと同じだ。自分が自分がという執着を捨てなさい。我を捨てなさい・・・・そんな意味なのかなぁ・・・
慧
Posted at 11:34h, 06 7月SECRET: 0
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吾我をはなれた所に、大きな自由な世界がひろがってくるはずだと、夏が苦手な僕は思います。
D.S.
Posted at 23:02h, 06 7月SECRET: 0
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あぁ、私も夏が苦手なんですぅ・・・。
しかしながら、夏が嫌いな人は誰なのか???と考えさせられる記事でした。
慧
Posted at 07:13h, 07 7月SECRET: 0
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また、お盆の季節がやってきます。
今年は、浜の方にも伺う予定です。
taturo
Posted at 23:13h, 08 7月SECRET: 0
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「自分という塊なんぞない」
いい言葉です。
この言葉を聞くと、小さなことで悩み苦しんでいた自分を
遠くから見ることができるような気がします。
心に刻んでおきたい言葉です。
アラモ
Posted at 13:43h, 09 7月SECRET: 0
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正直、時々、何で座ったり勤行したりするのかがわからなくなります。で、少しの間やめていると、また何故か復活してるわけです。
これといった悩みがあるわけでないし、性格も楽天的だし、でも、坐禅をしたり勤行する時間は大切にしたいっていうか・・・。でも何で大切なんだと思うんだろう、、なくても生活できるじゃん、、、と。ぐるぐるして、また座ってます。
慧
Posted at 21:18h, 09 7月SECRET: 0
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この法話は、参禅者を対象に話したものです。
響くものがあって、こちらも喜んでおります。
慧
Posted at 21:21h, 09 7月SECRET: 0
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坐らないでおられないから、坐る。
それでいいと思います。
何かのためだと、ふたごころになってしまいます。
大閑道人
Posted at 23:36h, 09 7月SECRET: 0
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>何かのためだと、ふたごころになってしまいます。
おお、なんという素晴らしいコトバだろう。
いや、「コトバ」と言い切ってしまうと、それこそ、「素晴らしいコトバ」に対して、失礼になってしまうのだが。
陽菜
Posted at 01:31h, 10 7月SECRET: 0
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他の方から言われると納得しかねる言葉だと思いますが、法慧さまから説いていただくと、ふとカラダのチカラが抜けて気持ちが楽になりました。
最近、少し意固地になってしがみ付いていた「私という塊」をしばらくの間、手放してみようと思います。
そしてその代わりに何が入ってくるのか、見守ってみます。
ありがとうございました。
慧
Posted at 14:38h, 11 7月SECRET: 0
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先日は、お心づくしのお品をご恵贈賜りまして、ありがとうございました。
美味しく頂戴しております。
我が身ゆえ 君を思ふは ふたごころ
慧
Posted at 14:52h, 11 7月SECRET: 0
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私が・俺がの日暮らしも、悪いわけではありません。
しかし、もう少し自由になれたら、もう少しおおらかに暮らせたら、人生の歯車は、より力強く、より大きな回転に変わることでしょう。そのヒントの一つが、塊にあると思います。
らぶり☆
Posted at 19:10h, 12 7月SECRET: 0
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なんだか、泣きそうになりました。
慧
Posted at 08:37h, 14 7月SECRET: 0
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お久しぶりです。
下の句は…
君のためなら 身をも思わじ
白蓮華
Posted at 00:39h, 19 7月SECRET: 1
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その後、お身体はいかがでしょうか?
ずっと気になりながら、こちらへ伺うのが
つらく思えて来れませんでした。
最近、鎌倉へ出向くことが多くなりました。
仕事も兼ねておりますが、お寺や僧侶の方を
電車の中でお見かけすると、
慧さんのことが想い浮かびます。
夏盛りになるこの頃。
どうかお身体ご自愛くださいませ。
「自分という塊はない」
最近、同じような言葉を耳にしました。
奥深く心に響く言葉です。
精進いたします。